第3話
「タイミング悪いなぁ」
放課後。静かになった廊下を急ぎ足で歩きながら、私は我慢できずにぼやいた。
午後最後の授業が終わり、すぐに彼女と学校を出ようと考えていたのに、運悪く担任から呼び出しを受けてしまった。
クラス委員として、これまでも先生に頼み事をされることはあった。でもまさか、今日まで手伝わされることになるなんて。いつも真面目に手伝っていたけれど、今日だけは苛立ちを抑えられなかった。
急がないと彼女と過ごす時間が短くなってしまう。
それに何より、彼女を待たせてしまっていることに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
いつもは廊下を走ることなんてないけれど、今だけは控えめに廊下を走る。
教室が見えてきたところで一旦立ち止まり、深呼吸をした。
遊びにいくのが楽しみで走ったなんて柄にもないことを、彼女に知られたら恥ずかしいから。
私は呼吸を落ち着けてから、何気ない様子で教室に入った。
「お待たせ、さっそく行こう、か?」
彼女が待ってくれちるはずの教室は無人だった。
「あ、あれ?」
誰もいない教室に自分の声が虚しく響く。
まるで無視されているみたいで心細い。
彼女はどこに行ってしまったんだろう。
「トイレ、かな?」
自分の口から出た考えに頷く。
きっとそうだ。私を待ってる間にトイレに行ったのかもしれない。
ただ入れ違いになっただけだ。
なら教室で待っていればいい。
そう結論付けて、ひとまず自分の荷物を取りに席に向かう。
そこで気が付いた。
彼女の荷物は、もうなくなっていた。
慌てて自分の鞄を乱暴に掴み、駆けだそうとしてスマホの存在を思い出す。
取り出したスマホに彼女からの連絡はない。
すぐにメッセージを送ってみるも、一向に既読がつく様子もない。
すぐに待ちきれなくなって電話をかける。
1コール、2コール、3、4、5……。
10を超えたあたりで数えるのは止めた。今もコール音は続いている。
彼女は電話に出てくれない。
どうして?
悲しさと怒りと、他にも良くない感情が心の奥から湧き上がってくるのが分かる。
そのまま感情が溢れそうになったとき、コール音がきれた。
『もしも~し? 気付くの遅くなってごめ~ん!』
「あ、よかった!」
いつもの呑気な真の声が聞こえてきて、その声を聞いただけで、湧き上がって来ていた様々な感情が、スッと消えたのがわかった。
こわばっていた身体から力が抜けて、私はとりあえず近くにあった席に腰を下ろした。
「ごめん、ようやく先生から解放されたから」
『あぁ、呼び出されてたもんね。委員長お疲れ様!』
「それで、そっちは今どこ? こっちは教室に戻ってきたけど」
『え、今? あ、ちょっと待ってね』
そう言った彼女は、電話の向こう側で、私ではない誰かに話しかけていた。
遠くなった彼女の声と、それに応える何人かの声が聞こえる。
はっきりとは聞こえない。けれど何度か聞いたことがある声は、誰もものかすぐに分かった。
彼女の部活の友達だ。
『あ、ごめんごめん。今みんなと駅前にいるけど』
あまりにも普通に返答してくる彼女に、自分の中で何かが切れる音がした。
どうして彼女は悪びれもせずにいれるのだろうか。それが私には理解できない。
「どこか行くの?」
『そうそう聞いてよ! 急だけどライブのチケット貰ってさ、行くしかないっしょこれ!』
私との約束は忘れてしまったの?
「そっか、遊園地どうする?」
『あ、忘れてた!?』
私はこんなに楽しみにしてたのに、それは私だけだったんだね。
『……あ〜ごめん。明日にしない? ナイトパスって日付指定ないよね? こっちのは今日限定だからさ』
私の誕生日も今日だけなのに。
「うん。今日以外も行けるよ」
『よかった! じゃあちょっとライブ行ってくるから、またね』
私は、またね。とは言わずに電話を切った。
身体に力が入らなくて、たまらず机に突っ伏す。
アンタバカじゃないの! くらい言えばよかっただろうか。
でも、怒る気にすらなれなかったのだ。
私にとっては、何日も前から楽しみにしてた誕生日のお出かけ。
それも彼女にとっては、すぐに忘れてしまうような何でもない事だった。
それがわかった瞬間、怒りは微塵もなくなって、残ったのは虚しさだけだったから。
たぶん私は理解したんだと思う。
私にとっての彼女と、彼女にとっての私は、もう全然違うものなんだって。
今までも見て見ぬふりをしていただけで、ずっと前から、彼女の私に対する扱いは、宿題を写させてくれる便利な人でしかなかった。
ただそれを認めたくなかっただけ。
けれど、大切に思っていたのは自分だけだと、はっきりと分かってしまった今、その扱いを受け入るしかない。
立つことすらできずに時間だけが過ぎていく。
どれくらい茫然としていたか分からないけれど、チャイムの音で現実に引き戻されたとき、時計を見るともう下校時間だった。
椅子から立ち上がる。
鞄に手を突っ込み、探り当てたそれを強引にひっぱり出す。
遊園地のペアチケット。
力任せに握りしめたそれは、くしゃくしゃに皺になっていた。
このチケットのせいで、私は彼女から、大切だと思われていないことを理解してしまった。
一度それを理解してしまったら、もう前の気持ちには戻れそうにない。
私だけが彼女にしがみついていても、何の意味もないのだから。
昔は違った。
自信のない彼女は、わたしだけを頼りにして、必要としてくれていた。
だけど、今はもう彼女は私を必要とはしてくれない。
昔とは立場が真逆になってしまっていた。
私は今日、それをはっきりと理解させられた。
私は、握りしめていたチケットをゴミ箱に捨てた。
私を必要としてくれない彼女への想いと一緒に。
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