第2話


「おはよ~」


 待ち合わせ場所に時間を過ぎてやってきた彼女は、特に悪びれもなく手を上げた。昔は早く来ていてくれたこともあったのに、最近では時間に遅れない方が珍しいくらいで、私の口からは思わずため息がこぼれていた。


「時間、遅れてるよ」

「朝から小言はやめてよね、疲れるから」


 やれやれと大袈裟なジェスチャー。

 申し訳ないとは少しも思っていないその姿に、また小言が口をついて出そうになる。

 けれど私は出かかった言葉を必死に飲み込んだ。

 今日はせっかくの誕生日なんだから、少しでも楽しく彼女と過ごしたくて。


「仕方ないなぁ」

「そうそう、ちょっとくらいなんだし大目に見てよ……あ、そうだ!」


 悪びれる様子もなかった彼女が、急に声を上げる。

 私は今日の放課後の話題になると思い、期待を込めた視線を彼女に向けた。


「数学の宿題やった? あとで見せてほしいんだけど」


 期待していた話題ではなくて、私は急激に心が冷えていく気がした。

 今日は私の誕生日で、ふたりで遊びにいく約束もしているのに、どうしてその話題にならないのか理解できない。

 全然楽しみにしていないどころか、今日の予定を覚えてくれているのか不安になってしまう。


「ねぇ、今日の予定覚えてる?」

「ん? 今日なんかあったっけ?」

「……本気で覚えてない?」


 自分でもびっくりするくらい低い声だった。

 それでも彼女は気にする様子もなくて、少し考えるように上を見た。


「あ〜あれでしょ? 遊園地でしょ!」

「ほんとに覚えてたの?」

「流石に覚えてるよ~。忘れるわけないじゃん!」


 無駄に大きく笑った彼女に肩を叩かれる。そんな取り繕ったようにされたところで、私の不安は消えてはくれない。だから念を押す。


「チケット持って来てるから、学校終わったらすぐ行こうね」

「おっけ~。今日は部活もないし、いっぱい遊んじゃうよ!」


 大きめのリアクションで盛り上げてくれようとする彼女となんとか笑いあって、学校への歩みを進めた。たとえ急造だとしても、楽しそうな彼女を見ると、その瞬間だけはあの頃に戻れたような気がした。





「おっはよ~!」


 教室に着くと、彼女はすぐに私の隣から駆け出して、他の友達の元へ行ってしまう。


「あ、やっと来た! 昨日寝落ちしたでしょ! 急に返事こなくなったし」

「ごめんごめん。眠気に勝てなくて」

「まぁいいけど。そうだ、今日の昼どこで食べる?」

「部室でいいんじゃん?」


 クラスの友達、同じ部活の仲間。彼女の周りは賑やかで、私が入る隙間なんてない。煌びやかなメンバーと楽しそうに過ごす彼女は、私の隣にいるより、ずっと生き生きとして見える。


「あ、委員長おはよ~」

「おはよう、今日も早いね」

「委員長ぉ。宿題が、宿題が分からなくてぇ」

「教えてあげるからちょっと待ってて」


 真面目に学校生活を送っている自覚はある。

 別に内申点が欲しいからとかじゃなく、ただそういう性分なだけ。

 授業は静かに受けたいし、宿題があれば終わらせないと気が済まない。

 勉強が好きというわけじゃないけれど、日頃から勉強をしていて成績もよかった私は、担任からクラス委員を任されている。

 みんなからもそれなりに認められているみたいで、私の周りにもクラスメイトは集まってくる。

 それでも彼女は、私が誰と話をしていようが、特に気にならないらしい。相変わらず違うグループで楽しそうにお喋りを続けていた。


 彼女の周りは、彼女も含めて華やかだ。

 みんな可愛らしい、派手さもあって目立つ、そんな人たちの集まり。

 地味な見た目の私とは全然違う。

 見ているだけで、貴方の居場所はありませんと、そう言われている気分になってくる。


「委員長? 大丈夫ですか?」

「あ、うん。平気だよ」


 宿題を教えていた子に声をかけられて、じっと彼女を見つめてしまっていたことに気がついた。

 住む世界の違いを見せつけられて、私はどうしても不安になってしまう。

 けれど今日だけは、私と一緒にいてくれる。だから大丈夫。

 始業のチャイムを聞きながら、私は心の中で、そう唱え続けた。





「ごめ〜ん、宿題写させて」

「写すだけはよくないよ。いつも教えるって言ってるのに」


 午後最後の授業の直前、彼女が慌てて泣きついてきた。

 いつものことだ。彼女が宿題をやって来ることはない。毎度写させて欲しいと私を頼ってくる。


「でも休み時間短いから無理だよ! 写させて!」

「わかったよ」


 これもいつものこと。

 毎回写すのはよくないと言っていたら、彼女は直前にしか頼って来なくなった。

 極力こんなことに時間をかけたくないのだと思う。

 勉強が嫌なのか、もしくは私の小言が嫌なのか、どちらかは分からない。

 どっちも嫌なのかもしれない。


「ありがとう! じゃ!」


 宿題を写し終えた彼女は、すぐに友達の元に戻って行った。

 まるで逃げるかのように離れていくその姿を、私はただ見送る。

 けれど心の中では、もっと私と一緒に居てくれたっていいのに、そう思わずにはいられなかった。


 それでも放課後は、あの思い出の遊園地なら、昔のように一緒に過ごせるはず。

 自分にそう言い聞かせて、私は最後の授業が始まるチャイムを聞いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る