誰かがすでに死んでいる
kei
好きだと言ってくれた三人
高校まで、ひとの名前が覚えられなかった。
正確には、名前の文字情報と顔の紐付けができなかった。
名前を見ればクラスメイトとわかる。顔を見ればあの人だろうとわかる。顔と名前がペアにならない。
それでもまあなんとかなった。名前を呼ばずに会話するテクニックを伸ばした。
卒業式間近。三人に告白された。
顔だけはわかる。人懐こい犬のような彼、背が高く髪が濃い彼、眼鏡がよく似合う彼だ。
いずれも名前がわからない。クラスメイトとして長期間過ごしておいてそれを知られるわけにはいかない。
断るしかなかった。惜しいことをしたのかもしれない。
大学進学を機に実家を出た。アルバイトで体力的には追い込まれたが、精神的にはストレスがかからなくなった実感があった。
なにせ食欲が出た。眠れるようにもなり、ひとの名前が覚えられるようになった。世界に色がついて見えた。
あの三人の名前が知りたいと、ふと思った。関係をどうこうしたいというわけではない。ただ、名前だけでも覚えておきたかった。
メッセージアプリのグループで自分の顔写真を使っているメンバーは顔と名前が一致できたが、ちょうど三人だけ、アイコンがイラストやネコの写真だった。タイムラインにも写真を上げていない。ネットリテラシーがある人たちだったらしい。
しかし、誰が誰かはわからないが三人分の名前はわかった。加藤くん、佐伯くん、嶋田くんだ。実家に寄ったタイミングででも卒アルを見ればいいか、と思った矢先。
三人のうちひとり、嶋田くんの訃報が流れてきた。
インフルエンザに罹ってしまい、お通夜には行けなかった。
あの三人のうちの誰か。
いっときでも、思いを寄せてくれたその誰かに、顔も名前もわかったうえでお別れを告げて、謝りたかった。
熱が引いたあと、三人のうち誰だったか知るのが怖くなって、そのままにしてしまった。
観測したら確定してしまう。シュレディンガーの猫が二分の一生きているなら、三分の二生きていることにならないか、それならほぼ生きているなんて馬鹿なことを考えて。
そうするうちに、毎日代わる代わるに夢に見るようになってしまった。名前すらわからないのか、と責めてくる。返す言葉もなかった。
しばらくして同窓会の連絡があった。このままにしておくわけにもいかない、と思った。
思い切って受付役員を引き受けた。もし彼らが来るなら、名簿との照合で名前がわかるはずだ。
三人のうち、初めに来たのは犬のような彼だ。彼は加藤くんだった。背の高い彼か、眼鏡の彼のどちらかが佐伯くん、どちらかが嶋田くんだろう。
次に来たのは眼鏡の彼だ。彼は佐伯くんだった。
ああ、背の高い彼が嶋田くんだったかと思ったとき、受付が交代になった。
会場の隅で皆が話しているのを遠巻きに見る。名前を呼ばないコミュニケーションばかりしてきたので、結局誰とも深い友達にはなれていなかった。
加藤くんや佐伯くんに自分から話しかけるのも何か違うように思った。
まあでも、嶋田くんが誰かはわかった。何もできないが、せめて祈ろう。
ふと、視線を感じて目線を上げる。向かいの隅に、あの背の高い彼がいた。
嶋田くん。
目が合う。嶋田くんは微笑んで、こちらに向かって歩いてくる。
足が竦んで動けない。どうしようと思っているうちに、彼が目の前に来てしまった。
「元気だった?」
「まあ、それなりに。そっちは?」
「見ての通りだね」
幽霊ってことか?幽霊にしては元気そうだ。
「好きな人とかできた?」
「忙しすぎてムリ」
忙しいからって、と彼は笑う。
「やっぱり僕じゃ駄目かな」
頷けば冥婚になるのか?
まあでも、それで彼が納得するならいいのか?
いや、だめだ。生きていても断ることは、安易に受けてはいけない。
「ごめん。そういうふうにはやっぱり見られない」
「そうだと思った。元気で」
彼は淡く笑った。
そのとき、佐伯、と呼びかける声がして、彼は軽く手をあげてそちらに向かった。
佐伯?
なら、あの彼は。
会場を見渡すと、眼鏡の彼はこちらを向いて、真っ黒な眼で笑い、溶けるように消えた。
誰かがすでに死んでいる kei @keikei_wm
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます