『寂しい人』二章

鈴木 優

第1話

    『寂しい人』二章

             鈴木 優


 次の金曜日も、そのまた次の金曜日も、彼は駅に通った。

 売店の前に立つと、彼女は変わらず缶コーヒーを二本差し出す。

 温かいのと、冷たいの。

 

 彼はそのたびに、少しだけ迷ってから、どちらかを選ぶ。

 その迷う時間が、彼にとっては新しい日常になっていた。


 ある日、彼女がふと尋ねた。


『高橋さんは、どうしてこの駅に来るんですか?』

 

 彼は少しだけ黙ってから、答えた。


『ここで、大切な人を見送ったんです』

 

 それ以上は語らなかった。

 でも彼女は、それで十分だと感じたように、そっと頷いた。


 その日、彼女は売店の奥から小さな紙袋を取り出した。


『これ、よかったら』

 

 中には、手編みの小さなマフラーが入っていた。

 色は、彼がいつも着ているコートに似合いそうな、落ち着いたグレー。


『売り物じゃないんです。ただ、編むのが好きで』

 

 彼は驚きながらも、丁寧に受け取った。

 その重さは、マフラーの重さではなく、誰かが自分のことを思ってくれた時間の重さだった。


 その夜、彼は久しぶりに夢を見た。

 

 夢の中で、亡き妻が微笑んでいた。


 何も言わず、ただ、彼の背中をそっと押してくれた。


 翌週、彼は駅に向かう前に、花屋に立ち寄った。

 小さな白い花束を買って、ホームの端にあるベンチに置いた。

 

 それは、妻への贈り物であり、今の自分を見せるための報告でもあった。


 売店に戻ると、彼女がいつものように缶コーヒーを差し出した。

 でもその日は、彼の方から先に言った。


『今日は、温かいのにします』

 

 彼女は少し驚いたように笑った。


『迷わなかったんですね』


『ええ、今日は、迷わずに選べました』


 ふたりは並んでホームに立ち、電車を見送った。


 風が吹いた。

 

 でもそれは"寂しさ"を運ぶ風ではなかった。

 誰かと分け合える"静けさ"を運ぶ風だった。

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『寂しい人』二章 鈴木 優 @Katsumi1209

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