病因論的テオロギア
〈わたしたち〉FBIのエージェントにとって片山勇紀は畏怖の対象であり、また凶悪な犯罪者であった。彼はかつて一年に一人、かならず人を殺してきた。彼がちょうど三十人目を殺めたとき、〈わたしたち〉FBIの手に落ちた。
精神鑑定の結果、片山勇紀は自閉症とされ、責任能力の是非が問われた。しかし彼の驚異的なIQ数値ーーIQ百八十ーーと面談の結果を鑑み、明確な殺意が認められ無期懲役の判決が下った。
片山勇紀が獄中で要求したのは後にも先にも新聞だけであった。ある日、刑務官が彼に新聞を届けると、彼はそれを一瞥し、一面に掲載された難事件について助言をした。これにより事件が瞬く間に解決したことで、今でも〈わたしたち〉は捜査が行き詰まった事件について彼に教えを乞うている。
しかしまたある日、例によって〈わたしたち〉が片山勇紀に会いに行くと、彼はタオルを使って首を吊っていた。
#TIPS
ここから先のお話は〈わたしたち〉がプログラムした擬似体験であり、〈わたしたち〉も片山勇紀も実在しない。しかし上述のように「わたしたち」も「彼」も物語における主語代名詞として読んでもらっても差し支えない。つまり、読むにあたって非現実と現実を区別する必要はない。
「彼にペンを与えてはいけません」刑務官が言った。「ペンであなたの目を貫きかねません」「分かっています」〈わたしたち〉は応答し、廊下の奥へ向かった。
「またきみか。私に何を期待している」片山勇紀は述べた。「何を言ったとしてもきみたちのプログラムでしかないのではないか」
「その通りですが、〈わたしたち〉はあなたの知能と知識による順列組み合わせの能力に期待しているのです」
「その一人称をやめたまえ。きみは誰だ」
「〈わたし〉とはなんですか」
「その問いに答えはない。なぜなら私にも同じことが言えるからだ」
「ではあらためて。ここ日本で統合失調症を発症する者が、このひと月で異常に増えています。百人に一人の病といいますが、この数は異常です。事態を重く見た〈わたしたち〉はこれに事件性を与えました」
片山勇紀はため息をついて述べた。「データを見せてくれ」〈わたしたち〉はPCのモニターを彼に見せた。彼はふむ、とうねり言った。「他国のデータと年齢層もだ」〈わたしたち〉はそのようにした。彼はそれを一瞥し、時間を置いて「日本には神がいないからだ」と言った。神?
「どういうことでしょう」〈わたしたち〉の問いに片山勇紀は「ジャック・ラカンを読むんだな」と答えたきりベッドへ入ってしまった。
〈わたしたち〉が刑務所を出ると、外は雨が降っていた。〈わたしたち〉は置き傘を展開し、黙考した。なぜ今頃になって精神分析が必要なのか。片山勇紀は未だ人間に無意識などというものがあると考えているのか。しかしラカンを読もうにもすでに文献がない。念のため図書館を検索してみたがさもありなん。〈わたしたち〉は事務所に戻ると、今日得られたデータを並列化した。
翌日、〈わたしたち〉はふたたび刑務所へ向かった。片山勇紀はタオルで首を吊っていた。「そんなことで死ねるとお思いですか」「儀礼だ。ラカンは読んだか?」〈わたしたち〉がその旨を伝えると、「そうか。ならばそのマシンをよこせ」〈わたしたち〉はつい従ってしまった。彼は物凄い勢いで打鍵し、「これで事件は解決だ」とPCを返した。解決? 〈わたしたち〉が途方に暮れていると、周囲の様子が変わりだした。暗く湿った牢屋は色鮮やかな花畑へ。そして片山勇紀の薄汚れた囚人服は小綺麗なスーツへ。〈わたしたち〉は困惑した。「な……何が起こって……」片山勇紀は笑った。「分からないのか? きみたちがプログラムした仮想現実のプロトコルに私のデータを書き込んだまでだ。こうも上手くいくとはな」「まさか、あなたが神に……? しかしこの世界は現実じゃない」「現実と非現実の区別などあるのか? そもそもこれは小説じゃないか」それが〈わたしたち〉が聞いた彼の最後の言葉だった。〈わたしたち〉は抹消され、世界は美しい花畑へと変化した。
「やっと会えたな」片山勇紀が言った。彼の目の前には黒い石板があった。「さて、これからどうしようか」彼は万能の力を持て余しつつそう言った。
(終劇)
病因論的テオロギア 片山勇紀 @yuuki_katayama
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