病因論的テオロギア
片山勇紀
PROLOGUE
神亡き世界を想え。かつてニーチェが喝破した世界観、すなわち「大きな物語」なくしても強く生きよという主張ーーこれはのちにドゥルーズに継承されたーーはその真意も定かでないまま大衆からの反発を招いただけであった。そして時は流れ、二度の世界大戦を経て現代、いわゆるポストモダンに至り、哲学者たちは「身体」や「動物」レベルでの「男女」についての議論を交わすようになり、他方で大衆は「小さな物語」に熱狂する内省なき「超人」となった。
きみは砂漠を歩いている。それは神が死んだ世界だ。それを否認し宗教団体に参入する者もいれば、途方に暮れて砂漠に身を投じる者もいる。きみは「超人」にはなれなかった。そうでしか生きられない者は少なからず存在する。場合によってはフィリップ・K・ディックのように妄想を体系化する者もいる。
きみは砂漠を歩いている。それは「男」が消滅した世界だ。いまや男性はみな「男」であることを放棄した。「男」を想像する/要請する力はなくなり、サブカルチャーの主人公はすべて女性となった。
きみは砂漠を歩いている。それは社会が分断された世界だ。複数のコミュニティがそれぞれ異質なままで共存し、相互に無関係/無関心な社会だ。これを横断する連帯の可能性も難しくなった。きみだって趣味では分かりあえても教養のない者とは連帯できないだろう? きみの自我理想が許さないはずだ。
きみは歩くのをやめた。限界だったのだろう。きみは仰向けに寝そべり目を閉じる。こうしてきみは干からびるのを待つ。甘き死はなかなか訪れなかった。
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