第2話

「行ってきます」

 翌日。頭痛も治り、学校に行くため家を出た慎太郎しんたろうは、会いたくもなかった人物と再会してしまった。

 昨日の、佐々ささ祐佑ゆうすけを名乗った男が駅に立っていたのだ。

「おはようございます、慎太郎さま。お身体からだの具合はいかがでございましょうか」

 最寄り駅を知られていることに、慎太郎の警戒心は増した。

「あんた……昨日、家に来た?」

「はい。玲子れいこさまにすいさまよりのご伝言をお伝えにお伺いいたしました」

 自宅も抑えられている。

 恐らくは、学校も。

 それでも、慎太郎は言い放った。

「俺には何も関係ないから。大体が、お袋の実家なんてところ、俺は一度も行ったことすらない。そんなところから来たっていうあんたも、俺には何も関係ない」

 言い捨てて、慎太郎は完全無視を決め込み、駅へと向かう。

「慎太郎さま、お供いたします」

 付いて来る……と見るや否や、慎太郎は走り出した。彼は硬式テニス部でキャプテンを務める人間だ。脚力には自信がある。

 自宅も学校も抑えられてはいるが、これほど胡散臭い男に付きまとわれるのはまっぴらだ。

 案の定、祐佑という男は付いてくることができなかった。

 駅まで走り、電車に乗って、学校の最寄り駅からも走って学校まで行った。

「おっはよー! 高生たかお! 今日は元気だな」

「おはよ、藤崎ふじさき

「何で走って来たんだ?」

「ま、トレーニング?」

「へぇ~。さすがテニス部キャプテン。頭痛治った?」

「ああ。いつまでも続くわけじゃないし」

「そっか、よかったな」

「ああ。心配してくれてありがとうな」

「何改まってんだよぉ! 気にすんなって」

 藤崎は慎太郎の背中を叩いた。

「教室行こうぜ」

「ああ」

 慎太郎は今日は頭痛も起きず、授業を受けて部活までこなして帰宅の途についた。

 しかし、平和だったのはそこまでだった。学校の最寄り駅まで行ったところで、待ち伏せをしていた祐佑に出会ってしまった。

「お帰りなさいませ、慎太郎さま」

「あんた……いったい何なんだ?」

「私は、佐々祐佑と申します。佐々家は代々、松岡家本家まつおかけほんけ当主たるお方にお仕えする身でございます」

「何なんだよ、その松岡家本家当主とかってのは」

「ありがとうございます、私の話を聞いてくださるのですね」

「聞きたくはないけどな。あんたみたいな人間に、付きまとわれちゃ困る」

「慎太郎さまには松岡家本家次期当主の座に就いていただきます」

「はあ?」

 祐佑のあまりにも唐突な言葉に慎太郎は面食らった。

「……俺はその何とか家本家とかには何の関係もない。大体が、お袋だって付き合いないんだろ? そのお袋をすっ飛ばして、いったい何なんだ?」

「玲子さまは、松岡家本家を嫌って外の世界に出て行かれた方でございますから」

「だからって、何で、俺?」

「慎太郎さまは現当主であらせられる翠さまの血を濃く受け継いでいらっしゃいます。慎太郎さまは強い霊力をお持ちでございましょう?」

「なんで、それを……」

 慎太郎はうっかりそう口を滑らせた。

「やはり……」

 祐佑は得心したようにうなずいた。

「やはり翠さまの次代の当主は慎太郎さまでいらっしゃいます。慎太郎さまは次代の日本の裏のトップに立たれるお方です」

「何言ってんだ? あんた……」

 祐佑の言葉を聞くだけは聞いた。

 しかし、とても正気の沙汰とは思えない。

「憲法二十二条! 職業選択の自由ってあんた知ってるか? 何で、俺がそんな会ったこともないばあさんの後なんか継がなきゃならないんだよ。俺が目指してるのは、普通に高校出て、普通に大学行って、普通に会社員になることだぞ? それで、かわいい嫁さんと結婚して、どっか郊外に一戸建ての家買って、子供は男と女一人ずつ欲しいなぁって……それが俺が望んでる未来だよ。何が悲しくって、そんな訳の分からんばあさんの後を継がなきゃならないんだ?」

「慎太郎さま……あなたさまがどうお考えになられても、翠さまの後を継ぐことができるのは、あなたさまを置いて、他にはいらっしゃいません」

「だから! 何で赤の他人のあんたに、俺の将来を決められなきゃならないんだよ! 俺は極普通のサラリーマンになるって言ってるだろうが!」

「慎太郎さま……あなたさまにはまだ、松岡家本家当主たる立場の重さがお分かりではないのでしょう」

「わかるわけがないだろう。俺には関係のない話だからな」

「慎太郎さま……どうか……あなたさまが松岡家本家当主を継ぐかどうかは、この国の趨勢すうせいに直結するのです」

「……どういう意味だ?」

「松岡家本家当主は、この国の神々を鎮め、安寧あんねいを守ることが重大な責務なのです」

「……何言ってんだ、あんた」

 慎太郎は祐佑にそう言い捨てて、踵を返した。

 とてもではないが、付き合ってなどいられない。

「俺の前に二度と顔を出すな。あんたの話にはもううんざりだ」

「慎太郎さま」

 祐佑はまだ何か言いたげだったが、もう慎太郎は彼に構わなかった。

 これほどまでに胡散臭い話はない。

 慎太郎は祐佑を置き去りにして、駅の改札を抜けた。


 木製のドアが静かに開く。

 そのドアの方に視線を流したバーテンダーが、静かな声をかける。

「恐れ入ります。当店は会員制のバーでございます。ご紹介の無いお客様のご来店はお断りさせていただいております」

「いいんだ。俺が呼んだ」

 店内でグラスを傾けていた若い男が熱の無い声を上げた。

「さようでございましたか、それは大変失礼をいたしました。どうぞ、おかけ下さい」

 カウンターだけの、静かなジャズが流れる小さなバー。

「ご無沙汰しております、誠志朗せいしろうさん」

「お前には正直会いたくなかったよ、俺は」

 若い男。

 財田さいた誠志朗は入ってきた、彼よりも少し年嵩の男の方を見もせずに言った。

「早速ですが……」

「いくらなんでも早速過ぎだろうが、祐佑。何年ぶりだと思ってるんだ?お前は」

「あなたが最後に松岡家本家の新年の儀に顔を出されたのは、中学三年生の時でした。もう、お酒を飲めるご年齢になられたのですね」

「頼むよ、祐佑。ちょっとの間なんだからさ、俺をそっとしておいてくれないか? 俺はな、来年春に大学出たら、もうそこからは、おっきな荷物背負って敷かれたレールの上を歩いて行かなきゃならないんだぜ? 大学生の間くらいは、放って置いてくれよ」

 誠志朗はようやく祐佑の方に顔を向けて、言った。

「誠志朗さん」

 祐佑は誠志朗の顔をしっかり見ながら、言葉を紡ぐ。

「あなたが、わずか高校三年の少年を見捨てることはないことを、私は知っています」

 その祐佑の言葉に誠志朗はふいっと横を向いてしまう。

 そして小声で呟いた。

「だから、行き来の無かった幼馴染の頼み事なんか、イヤだってんだよ。まったく……人の性格読みつくしてやがるんだから……」

「誠志朗さん」

「あー、もう、わかったって」

 吐き捨てるように言って、誠志朗はグラスの中身を干した。

「なんだ、お前が出張って来るってことはだ。松岡家本家。ごたついてんのか?」

「これからひと悶着があるのです」

「松岡家本家には最強のばあ様がいるだろうが」

「はい」

「それで? 何で揉めるんだ?」

「もう、お分かりでしょう?」

「あー、相変わらず、イヤな奴だな、お前は。翠さま、危ないのか」

 この男。

 佐々祐佑の家系は代々松岡家本家当主の側近筆頭の立場にいる。

 現在の松岡家本家当主は高齢の女性で名前を松岡翠という。その側近筆頭の位置にいるのはこの祐佑の祖父敬一けいいちだ。父親は側近に着く相手がおらず、各分家の連絡係とでも言うよりないことからして、佐々家での立場はかなり弱いものだと思われる。

 そして、この祐佑。

 本来であれば、松岡家本家次期当主の修業時代から側近として仕えなければならない立場の人間だった。

 しかし、松岡家本家の抱える大問題として、現当主の後継ぎとなる人間がいないということだ。

 松岡家本家現当主、松岡翠には一人娘がいた。

 名を玲子という。

 この玲子は松岡家本家の生業なりわいをひどく嫌っていたと聞いている。高校卒業までは松岡家本家で暮らしてはいたが、絶大な霊力を持つ翠の能力をまったく継承していなかった。

 霊的な力をまったく持たぬ者からすれば、松岡家本家はさぞ恐ろしく見えただろうことは想像に難くない。

 玲子は高校卒業と同時に松岡家本家を飛び出し、その後交流はないらしい。

 翠に他の子供はおらず、彼女の弟妹は分家筋の家と婚姻関係にある。

 翠の霊力は絶大で、その力は後継者の不在の不安を払拭するだけのものであった。

 しかし、人は老いる。

 そして、翠が死を迎えてもおかしくない年齢になった今、改めて後継者問題が掘り返されたのだろうと誠志朗は思う。

 祐佑は静かに頷いた。

「翠さまにおかれましては、すでにご自身の死期を悟っておられます」

「いつだ?」

「半月。もって、ひと月」

 この言葉に、誠志朗は新たに供されていたグラスを煽った。

「……何だって、そんなギリギリのところになって、俺に連絡してくるかな? お前は」

「それは、誠志朗さんが、今は松岡家本家と距離を取っておられるので、私なりに配慮しました」

 この、祐佑の言葉に、誠志朗は盛大なため息をついた。

「そこまで配慮するなら、いっそのこと全部済むまで放っといてくれよ……」

「しかし、翠さまの次の当主を決めなければなりません。猶予がないのです」

「あては?」

「ございます。翠さまのご息女、玲子さまのご子息さまである、高生慎太郎さまという方です」

「で?」

「で? とは?」

「とぼけんなよ。いったい俺に何をやらせようって言うんだ」

「まずは、慎太郎さまのお能力ちからを測っていただきたいと思っておりますが」

「俺は、その小僧っ子とは面識ないんだぞ。どうしろって言うんだよ」

「誠志朗さん。仮にも松岡家本家次期当主です。お言葉にはご配慮いただけますか?」

「お前……相変わらずだなぁ……」

 全く会話にならない祐佑。

 誠志朗と祐佑の接点というものは、松岡家本家の新年の儀くらいでしかないが、その時から祐佑はどこまでも松岡家本家次期当主の側近でしかなかった。彼は会ったこともない、いや、もしかするとその時にはまだ産まれてもいなかったかもしれない次期当主に仕えることのみを目標としていた。

 自分の全てを次期当主に捧げていた。

 その、愚直さを危ういと思っていた誠志朗だったから、あまり接点を持ちたくなかったのだが、如何せん、生憎年齢の近い者が祐佑くらいしかおらず、誠志朗の意に関わらず、接点はあった。

 誠志朗も特殊な立場であったから、友人らしい友人もおらず、新年に松岡家本家に集うたびに、話をする機会を持っていた。

 しかし、それも誠志朗が中学三年生の新年の儀を最後に、その場に顔を出さなくなってからは、接点がなくなって久しい。

 それが突然、どこでどうやって入手したのかは知らないが、誠志朗のプライベートの方の携帯に着信があったのが、事の始まりだった。

 誠志朗は、携帯電話を二台所有している。

 大学の友人たちに公開している携帯電話と、ほぼ誰にも知らせていない、プライベートな携帯電話。

 その、プライベートの方の番号を知っているのは、数が限られる。誠志朗からすれば、教えた全員をそらで思い浮かべられるほどに、限られていた。

 その、プライベートの方の携帯電話に着信があり、誠志朗は正直かなり驚いていた。

 番号にも覚えはない。

 一回目の着信は、表示された見覚えのない番号をただ眺めていただけで、受信ボタンを押す前にコールは終わった。

 そして再び、その番号で着信があり、誠志朗はそれに出たが、無言だった。

 電話の向こうから、静かな男の声が響いてくる。

『誠志朗さん、ご無沙汰しております。佐々祐佑です』

「……祐佑って……え?」

『私を覚えておいでですか?』

「……松岡家本家の……?」

『はい。その、佐々祐佑です』

 誠志朗は記憶の箱をひっくり返して、その名を引き出した。

 懐かしさよりも、何故、彼がこの電話番号を知っているのか。

「お前、何でこの番号を知ってるんだよ?」

『あなたのお父さまにお聞きしました』

「あんの、くそ親父! 息子の番号、勝手に教えてんじゃねぇよ」

『私がしつこくお尋ねしたのです。どうか、お許しください』

「お前が旧交を温めたいって人間でないことは、知ってるぞ」

『相変わらず、言いたい放題ですね。誠志朗さん』

「何言ってんだよ。ホントのことだろうが。お前は昔からそうじゃないか」

『そう言われても仕方がないかもしれませんね……お元気ですか?』

「俺が元気かどうかなんか、気にもしちゃいないんだろうが。何の用だ?」

『話が早くて助かります。実は、折り入ってお話がありまして……』

「お話?」

『はい。お願い事が一つあります』

「お前の頼み事なんか、正直聞きたくはないぞ」

『そうおっしゃらずに……少し、私にお時間をいただけませんか?』

 相変わらずの、押しの強さ。

 自分の正義を信じている者、独特の。

 だから、誠志朗はこの祐佑という男が苦手だった。

 正義など、立つ位置によっていくらでも変わる。

 それなのに、自分の正義……松岡家本家に人生を捧げると言う、自らの生き方に、何の疑問も抱かない、盲目的なまでのその姿勢。

 自分の人生というもの。その、課せられた重さに何度も折れそうになり、それでもようやく、今この年齢になって折り合いをつけた誠志朗からすれば、産まれた瞬間に課せられたものに対して、盲目的に信じ切っていた祐佑という人間は、何とも危うく思えてしまう。

実はこの、財田誠志朗という男。

 松岡家本家の分家筆頭である財田家出身の父を持ち、母親が誠心会せいしんかいという広域暴力団の総本部直系の女だという、かなり複雑な血筋を引いている。

 彼に兄弟はおらず、それぞれの血筋を継いでいかねばならぬ立場だった。

 だが、この誠志朗という人物は、その背負った重責に似合わず、ひどくお人好しにできている。

 俺には関係ない。とひと言で切って捨ててしまえる人間ではないのだ。

 ヤクザとしても、陰陽師おんみょうじとしても、そんなことを言っていられる甘い世界ではないのだが、持って生まれてしまった性質というのは、変えられないものらしく、本人はイヤだイヤだと言いながら、他人の世話を焼いてしまうような人間だった。

 それだからこそ、誠志朗は何年ぶりかで連絡をしてきた祐佑に対しても、関係ないとひと言の元で切って捨てることができなかった。

 誠志朗はこの、招かれざる客の話を聞くことにした。

 グラスを傾けながら、祐佑に視線を投げる。

「ま、話してみな。聞くだけは聞くよ」

「聞いてくださるのですね。ありがとうございます」

「だから、聞くだけだって。お前もなんか飲めよ」

「では……水割りをいただきましょう」

 誠志朗はカウンターの向こう側に立つバーテンダーに水割りをオーダーした。

 長い夜になりそうだった。

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