最強だけど普通でいたい俺は陰陽師なんてゴメンだ!でも俺は神さまの声をきいてしまったんだ
常盤 陽伽吏
第1話
五月。
一年で最も明るい季節。
新入生や新社会人はようやっと新しい環境に慣れ、希望に満ちた生活を送り始めるこの季節なのに彼、
を送っていた。
天気は快晴。暑くも、寒くもない。
慎太郎が通う中高一貫校への、駅から続く道は周囲が住宅街であることもあって、家の庭やベランダに花が咲き誇っている。
たぶん、誰もが心楽しくなるだろうこの季節に、一人鬱々としているのには理由があった。
一つには春休みから続いている体調不良。微熱でもあるのかと思うほど、体が重い。
そしてもう一つ。
「……消えろ」
慎太郎は低くつぶやいた。
周囲には誰もいない。
しかし、慎太郎の目にだけははっきりと視えるものがあった。それが形を成す前に、風に溶けるように、消えた。
春先からずっと慎太郎を悩ませているもの。それは他の者には視ることが出来ないものだった。
霊。
そういわれるものが慎太郎には視えてしまうのだ。体調が良ければ視えるだけで支障はないのだが、こうまで体調が悪いとそうも言っていられなくなる。べったりと横にくっつかれてぶつぶつと恨み言を言われたり、自分がどうして死んだだの、誰それに恨みがあるだのと、四六時中言われていると、こちらの神経の方が参ってしまう。
「今日はもう……帰っちまうかなあ……」
家に帰ったところで消えはしないのだが、今日はまた特に多い気がする。消えろ、と念じればすぐに消えてはしまうのだが、すぐに新しいものが寄ってきて、また同じ事の繰り返し。
「お盆でもあるまいに……」
よくしたもので、盆や彼岸は確実に町で見かける霊の数は増える。しかし今はそういう時季ではない。
体調が悪いから寄って来られるのか、寄って来られるから体調が悪くなるのか。微妙なところだ。
どうせ、今日は大事な授業もないし、と、さぼりを決めたその途端だった。
「オッス! 高生!」
元気の良い声が背後から聞こえて来て、背中を軽く叩かれる。
「
「なんだ、なんだ? 朝からテンション低いぞ! なんかあったのか?」
「いや……ただの寝不足」
「おいおい……高生くんは何故、寝不足なのかなあ? テスト期間でもないのに、徹夜でお勉強かなあ?」
「いいって、絡むな。めんどくさい」
「何だよ、いったい……」
いつもの慎太郎らしくもない、本当に面倒がっている口調の彼に、藤崎は不服そうに口を尖らせる。
「季節の変わり目の持病だ」
「あ、頭痛?」
慎太郎の不調は、そういうことになっている。
「帰るとこ?」
「ああ……」
「大丈夫か? 駅まで送って行こうか?」
お調子者の藤崎だが人は好い。彼は慎太郎の嘘を信じてそんなことを言った。
「大丈夫だ。お前はとっとと行かないと遅刻になるぞ」
「ああ……でもさ、ホントに大丈夫か? 顔色良くないぞ」
「ん~……ま、家帰るまでは保つよ。じゃあな」
言って、慎太郎は踵を返して駅に向かった。
人の流れに逆らって駅へ戻る。
人は都心に向かうので、電車も空いている。その空いた車両では空席も目立っていた。
そのひと席に慎太郎は腰を下ろし、ふぅっとため息をつく。
実際のことを言えば、頭痛がするのは本当のことだ。
霊を視ているのは肉眼ではないため、目を閉じようと開けていようと大差ないのだが、それでも肉眼で見える本当の世界と、慎太郎が視ている世界との乖離で気持ちの方が参ってしまうので、彼は目を閉じた。
しかし、何かの気配を感じる。
誰かに見られているような、気配。
慎太郎は目を開けることなく、周囲を探る。
見られている。
確かに視線を感じる。
誰だ?
視える者が視れば、慎太郎の精神が彼の肉体を離れたことが視えただろう。
慎太郎の精神は肉体を離れ、周囲を探る。
この車両ではない。
隣か?
絡みつくような視線を辿ると、それは隣の車両からだった。
慎太郎の精神は隣の車両に移動した。
隣の車両との間を仕切る扉の所に男が立っていた。
視線の元はこの男だ。
男は隣の車両に座っている慎太郎の身体をじっと見ている。
慎太郎はその男を観察するが、彼には見覚えのない男だ。
背格好だけで言うなら新社会人といった年齢だろうが、何だろう。奇妙な空気をまとった男だ。
慎太郎はしばらくその男を眺めていたが、男の視線は慎太郎から離れない。
慎太郎の精神はふっとその男の側を離れた。そして、身体に戻った彼は目を開けた。
元々向こうっ気の強い慎太郎だ。
見知らぬ男にジロジロ眺められ、それが癪に障る。
慎太郎は立ち上がり、隣の車両へ続く扉を引き開けた。
「何?」
「……」
「さっきから、何ジロジロ見てんだよ」
「……失礼をいたしました……」
男は深く頭を下げた。
「慎太郎さま。私は
「慎太郎『さま』?」
見も知らぬ男に『さま』付けで呼ばれる筋合いはない。
慎太郎は一気にその男への警戒を高めたが、当の男は気付いた素振りもなく言葉を続ける。
「私は、
「松岡家本家って何?」
「ご存知ないのでしょうか?」
「知らない。何だ、それ」
「
玲子と言うのは慎太郎の母の名だ。
「お袋がなんだって言うんだ?」
佐々祐佑を名乗った男は、ため息を落とした。
「困りました……」
「あのさ、困ってるのはこっち。あんた、いったい何者なんだ?」
「慎太郎さまにおかれましては松岡家本家次期当主たるお方でございます」
話が通じない。
慎太郎はイラっとしてきた。
「あんたさ、俺の話聞いてる? そもそもあんたが何者かも知らないし、松岡家本家とやらも知らない。知らないって言うか、そもそも関係ない」
「……慎太郎さま……実のことを申し上げると、本日お目にかかるつもりはございませんでした」
佐々祐佑を名乗った男は、唐突にそう言った。
「は?」
「私は慎太郎さまを遠くよりお見守りするつもりで参りましたが……何と申し上げればよいか、さすがは松岡家本家次期当主たるお方でいらっしゃるとしか申し上げられません」
「あんたさ……俺の話聞いてる?」
「はい」
「……俺の方は、あんたに話通じてると思えないんだけど?」
そう。
まったく会話が成立していないことに、この男は気付いていないのだろうか。
「さようでございますか?」
男はとぼけたことを言ったが、当人はまったくそのことに気付いていない様子だった。
ここまではっきりと話が通じないとなると、腹が立つと言うよりも、気が抜ける。
「とにかく、勝手に俺を付け回すのはやめてくれ。俺は体調が悪いんだ」
「お身体の具合がお悪いのですか?」
「そう言ってるだろう? 朝から頭痛がして、学校行く途中で帰ってる途中なんだ。だから俺を付け回すな。俺は機嫌が悪い」
「かしこまりました」
わかってくれたかと、慎太郎は思った。
「では、お側に近付かぬよう、遠くからお守りいたします」
わかっていないようだ。
「……遠くからでも付け回すな。あんた、おかしな趣味ってわけでもないんだろう? かわいい女の子でも追っかけてな。じゃあな。もう付いて来るなよ」
言い捨てて、慎太郎はもうその男を振り返らなかった。
不思議なことに、その時頭痛は消え失せていた。
「ただいま」
例の男に自宅まで付いてこられてはたまったものではないと思った慎太郎は、念のために一度電車を下りてから、改めて次の電車に乗り換えて帰宅した。
「あら、どうしたの? 慎太郎」
「頭痛……」
慎太郎の家は郊外のニュータウンにある一軒家だ。両親と弟の四人家族で、父はサラリーマン、母は専業主婦、弟は中学生という平凡な家族だった。
「まあ……部屋に行ってなさい。薬持っていくから」
「うん……」
慎太郎が頭痛と言っていることは嘘ではない。あれだけの量の霊体に遭遇すれば、頭痛の一つや二つ、起きても仕方がないことだ。
彼は階段を上り、自分の部屋に向かった。制服を脱いでスウェットの上下を身に着ける。脱いだ制服をハンガーに掛けるのもかったるく、取りあえず椅子にかけて、カバーがかかったままのベッドに座り込んだ。
家の中には霊はいない。
慎太郎自身が調子の良い時に、我流ではあるが結界を張ってあるからだ。
家の中にいれば、余計なものを視ることはない。
「慎太郎……入るわよ」
扉の外から声がして、トレイに水と頭痛薬、空腹では良くないと思ったらしくカップスープを乗せた母が部屋に入ってきた。
「頭痛、ひどいの?」
「ちょっとね……」
「時々起きるわね……熱は?」
「ないよ。いつもみたいに痛いだけ」
「スープ飲んでから薬飲んで、横になってなさい」
母は慎太郎が脱いだままにしてあった制服をハンガーにかけてくれた。
「お昼は食べられそう?」
「まあ、横になったら治まるだろうから、何か食べる」
「そう……じゃあ、横になってなさい」
「うん……そうする」
母が部屋を出ていくのを見送り、スープと頭痛薬を飲んだ慎太郎はベッドに横になった。
薬が効くわけではないのだが、少なくとも自宅に居れば霊にまとわりつかれることはない。
しかし、それにしても今日の数は異常だったなと慎太郎は思っていた。何か、不穏な空気が漂っているような……そう頭に浮かんだが、彼はその考えを頭から追い出した。
俺は、ただ霊が視えるだけ。
何も特別な人間じゃない。
慎太郎はこの時、確かにそう思っていた。
あの、おかしな男のことは、慎太郎の意識から完全に抜けていた。しかしながら、事はそう彼の思うようには進んではくれない。
その事自体を、薬が効いてきた慎太郎はまったく気付いてはいなかった。
慎太郎はベッドに横になっていたが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ヘッドボードに置かれた目覚まし時計を確認すると、時刻は既に夕方に近い。
眠ったせいか、それとも自宅に張った結界のせいか、彼の頭痛はすっかり治っていた。
そうなると、昼を食べ損ねたためか強い空腹を感じた。慎太郎はベッドから出て階下へ下りて行った。
「あら、起きたのね、慎太郎。頭痛はどうなの?」
「治った。それより何か食べさせてよ。腹減った」
「……カップ麵でいい?」
「うん」
母はあまり料理が得手ではない。夕食の席に出来合いのスーパーの総菜が並ぶことが多いが、それを当たり前に育ってきた慎太郎は特に何とも思わなかった。
母がキッチンでお湯を沸かし、カップ麺を用意してくれるのを待ちながら、慎太郎は何気なく外に目をやった。
この家の敷地には、何もいない。
だが、その外。
眉を顰めたくなるほどの霊がいる。
あまりにも多いので、慎太郎には隣家の窓も見えないほどだ。
「慎太郎」
「なに? 母さん」
母はカップ麵を差し出しながら改まった口調で口を開く。
「昼に松岡のおばあちゃんの使いの人が来て……」
すっと、心が冷えるのを感じた。
あの男だろうか。
あの男は確かに松岡家の名を出していた。
母方の祖母、松岡
「おばあちゃん、悪いらしいのよ」
「悪いって? 具合でも悪いのか?」
「そうみたい……お葬式にはあなたに来て欲しいって言って、帰って行ったわ」
「葬式って……まだ、亡くなってもいないんだろ?」
「そうよ。でも、あの家の人たち、そういう事わかるらしいわ。ホントに気味が悪いったらありゃしない」
祖母が、霊能者のようなことをしているらしいことは、おぼろげながら知っている。そして、母がその祖母を気味悪がって近づかないことも。
母は凡人だ。
父も。
弟も。
自分だけが母を介して松岡の血を濃く継いでしまったことを慎太郎が知ったのは、いつの頃だったろう。
当たり前のように霊を視て、その声を聞くようになったのは、まだ自分でも記憶にない頃からだったに違いない。
母は、キッチンへと姿を消した。
その母を見送り、慎太郎は呟く。
「俺だって、気味悪いんだよ、母さん」
「翠さま……孫の祐佑が戻りました」
広大な敷地を有す純和風な屋敷の奥座敷の廊下に正座したまま、老人が襖越しに中にいる人物に声をかけた。
「入れ」
「失礼いたします」
襖の中から声がかかり、老人が襖に手をかける。
「祐佑。翠さまにご挨拶をしなさい」
老人に倣い、廊下に膝をついて、祐佑が頭を下げた。
「翠さま、玲子さまへのご伝言。確かにお伝えをいたしました」
「慎太郎には会えたか?」
座敷の奥から声が響く。
決して大きな声ではないが、よく響く、年配の女性の声だった。
この老女こそ、この屋敷の主たる、松岡家本家当主の松岡翠だった。
和服をきちんと着て、端然と座す翠からは、死期が近いことなど感じ取れなかった。
「はい……何やらご不調のご様子でございました」
「私の能力の低下があれに影響を及ぼしておるのだろう」
翠は何の感情も現さず言った。
「私の死期が近い今、あれに施した術も効力を失いつつある。あれ自身が松岡家本家当主たるを自覚せぬ限り、不調は続くであろう」
「さようでございましたか」
応じたのは祐佑の祖父である佐々
「慎太郎さまはそなたの目にどう映った?」
「はい。慎太郎さまにおかれましては、翠さまのお能力を確かに継いでおられるように推察いたしました」
「そのような事は自明のことだ。慎太郎さまは大事な後継であらせられる。慎太郎さまのお世継ぎとしてのお覚悟をいかが見たか」
「それは……玲子さまは、慎太郎さまに何もお話をされてはおられぬご様子で……」
「それを慎太郎さまにお伝えするが、そなたの役目であるはず。そなたはそれを放棄したということだな?」
「敬一」
祐佑を叱りつける敬一を翠は制した。
「祐佑はまだ若い。そなたがきちんと導いてやれ。本来であれば、慎太郎は私の後継として、もっと幼い頃よりこの松岡家本家に暮らし、少しずつ学んでいかねばならぬ身。霊を調伏し、己の守護とすべきところを、あれはそのようなことなど方法すらもわからぬだろう。神をも鎮めねばならぬ松岡家本家次期当主の自覚など、持ってはおらぬ。だが、慎太郎がこの松岡家本家次期当主であることは私の首にかけても断言できる理だ。私の死後は佐々家の全てをかけ、慎太郎を支えろ。この日の本の国に霊的空白を作ってはならぬ」
「お言葉、確かに承りました」
敬一が深く頭を下げ、祐佑もそれに倣った。
話題となっている慎太郎自身の預かり知らぬところで、彼の運命の輪が静かに傾いで動き始めていた。
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