第3話

「お前、そいつに会ったことがあるのか?」

「はい」

「で、早速煙たがられたってわけだ」

 誠志朗せいしろうは皮肉を言うが、祐佑ゆうすけにはまったく通じていないようだった。

 祐佑は静かにうなずいた。

慎太郎しんたろうさまは、すいさまの後を継ぐというお話をまったく聞いておられぬご様子でした。そこでとにかくお話を聞いていただこうとしたのですが……」

「聞く必要はないってか?」

「よくおわかりですね」

 わからいでか。誠志朗はこっそり呟いた。

 家を出た玲子れいこの息子ということであれば、母親が松岡家本家まつおかけほんけの話をしているとも思えない。

 そんな少年に、いきなりあなたは松岡家本家を継ぐべき存在だという話をしたとしても、はい、そうですか、となる訳がない。

 この祐佑という男は、空気が読めないと言えばいいのか、そういった他者の気持ちを忖度するということが一切できないのだ。

 頭が悪いというわけではないが、人の気持ちがわからない。

 自分の正義だけが大切で。

 その正義が、松岡家本家当主に仕えるというものであるから、その自覚があるわけもない少年にも、まっすぐにぶつけたのだろうことは想像できる。

 まったく、この男は幼い頃から変わらない。

「わけも話さずに、あなたは松岡家本家次期当主です、なんて言われても、寝耳に水だろうが。そんな話を聞くわけがないだろう」

「ですが、慎太郎さまは松岡家本家次期当主でいらっしゃいますので。ご自覚頂くにはもう遅いくらいです」

「だから、本人にとっちゃ寝耳に水だって言ってるだろうが。翠さまの娘の子供だろ? その娘はさ、松岡家本家を飛び出したんだろう? そんな奴がだぞ、息子に自分の家の話するか? 本人まったく知りゃしないのに、そんな相手取っ捕まえて、あなたは松岡家本家次期当主ですって、見知らぬ男に突然言われても、信じる人間がいるわけないだろう」

「そうでしょうか?」

「ちょっとは頭を使えよなぁ。想像力を働かせるって言うかさ……」

「松岡家本家次期当主ですよ? 言わばこの日本の裏のトップです」

「普通の人間はな、そんなものになりたくはないんだよ」

 誠志朗は噛んで含めるように言った。

「お前は、松岡家本家だけが大事なんだろうが、人それぞれ大事なものがあるんだよ。普通に生きて、普通に死ぬことを良しとする人間がどれほど多いか、知ってるか?」

 そう。話をしている誠志朗自身、どれだけ普通の人生を望んでいるか。

 誠志朗の両親は、ヤクザと陰陽師おんみょうじをそれぞれ継がなければならない立場だった。その二人が偶然恋に落ち、周囲の大反対を子供に後を継がせるという、誠志朗からすればいい加減にしろと言いたいような解決策を提示して乗り越え、結婚した。

 そして、少なくとも二人は必要であった子供が、誠志朗だけという事態となった。

 こうして誠志朗は、将来ヤクザの総長と陰陽師という、とても他人様には言えない職業を否応なく押し付けられた。

 元来の性質として人が好い誠志朗は、散々文句を言ったものの、結局は自分の意志としてその将来を受け入れた。

 押し付けられたものとして、イヤイヤ受け入れるというのは、誠志朗の性格的に出来なかった。

 ただし、たった一つだけ条件を出した。

 大学卒業までは好きにさせてもらうという条件。

 その大学生活も次の春が来れば終わる。

 誠志朗は短い時間を目一杯謳歌するつもりだったのに、この、歓迎できない幼馴染の襲来。

 この男は、幼い頃から全く変わっていないどころか、かえってパワーアップしているとさえ思えてしまう。

「誠志朗さん? どうしました?」

 ふっと考え込んでしまった誠志朗に、祐佑は声をかけた。

「……とにかく、その子供に会わせてくれ。話は全部、それからしか動かない」

「会って下さるのですね、ありがとうございます」

「お前は、俺がうんと言うまで説得するつもりなんだろう? それがわかっているから、俺はムダな抵抗はしないんだよ」

 誠志朗はそう言い捨てた。

 そう。

 今、相対している祐佑という男は、話が通じない。

 いつまで話しても、結局話は堂々巡りだ。

 実は、誠志朗という男。こういう不毛な会話がとても苦手だった。

「タイムリミットは半月からひと月……俺の方はとりあえず、時間は空けるから、そっちでセッティングしてくれ。お前よりは、まともな話ができるとは思うから」

「ありがとうございます、誠志朗さん」

「言っとくが、説得できるとは思うなよ。あくまでも、ひと言話をするだけだからな。過剰な期待はするなよ?」

「いえ。とても期待しておりますよ、誠志朗さん」

「だから……期待すんなっての。俺、子供としゃべったことすらないんだぜ?」

「慎太郎さまは子供というよりは誠志朗さんとそれほど年齢が離れているわけではありません。高校三年生でいらっしゃいますから」

「四つも下じゃないか。まったく……平穏無事にのんびり大学でキャンパスライフを満喫してたってのに……松岡家本家になんか、今は関わり合いになりたくないって言ってるのに……お前はホント、ぐいぐい来るよなぁ……」

「私も必死なのですよ。翠さまがお隠れになる前に、何としても松岡家本家の当主を継いでいただかないと、この国が沈みます」

「どうせ、その勢いで、慎太郎とかいう奴にも会いに行ったんだろう。その状況が目に浮かぶよ」

 言って、誠志朗は酒を飲んだ。

「誠志朗さん、先ほども申し上げました。あの方に松岡家本家当主を継いでいただけなければ、この国は沈みます。一刻の猶予もないのです」

「それは、俺もわかってるよ。わかってなきゃ、そもそもお前に会いに来たりゃしない。この国を霊的に支えてるのは、本当のことを言えば、松岡家本家だ。だがな、だからって、何も知らない子供にそんな重責をいきなり押し付けるのはどうかと思うぞ。確かに、翠さまは最強だろう。しかしな、分家関係にある家にだって、それなりに能力ちからを持つ者もいる。少しは落ち着けよ」

「分家の人間がいくら束になったところで、その能力ちからは松岡家本家当主には遠く及びません。それは、誠志朗さんにもお分かりのことだと思っていました」

 誠志朗は祐佑のこの言葉に絶句した。

 確かに、霊力という点で言えば、分家の人間が束になっても翠には遠く及ばないことは確かだ。

「……いちいち、言うことがご尤も過ぎて、返す言葉もないよ……」

 正直、この男を説得することは最初から無理な相談だ。ため息をついて、誠志朗は結局のところ、慎太郎に会うことを承諾した。

 本当に、俺はお人好しだと思いながら。


「まあ、待てって。祐佑」

「ですが、行ってしまわれます」

「だから、落ち着けって。今から登校だろうが。今は顔を確認するだけにしておこう」

「ですが……」

 祐佑が誠志朗を訪ねてきたその翌朝。

 誠志朗は祐佑が運転するBMWの助手席から、登校する慎太郎を見送って、祐佑をなだめた。

「出来るだけ日常の生活に介入したくないんだよ。顔は見たから、下校の時に声をかけるよ」

「ですが、時間がありません」

 誠志朗の言葉に、しかし祐佑は食い下がった。

「わーかったって。しつっこい奴だなぁ……お前は。お前のやり方じゃあダメだったんだろう? それなのに、そのやり方を俺にやらせてどうするってんだよ。俺には俺のやり方がある」

「ですが……時間がないのは間違いありません」

「わかる、わかるよ? お前の言い分は。だけどな、交渉事ってのは、自分の言い分だけまくしたてたって上手くいかないだろうが。それぐらい、わかれよ」

 俺は、本当に苦労人だと、誠志朗が思ったところで仕方がなかっただろう。

 この祐佑という男。

 本当に近視眼的と言えばいいのか、目的のみを見ていて、他のことが一切目に入らない人間だった。

「とにかく、俺のやり方でやらせないなら、俺は降りるぞ。それでもいいのか?」

 それではさすがに困ると思ったのか、祐佑は黙った。

「とにかく、放課後まで待てって。家の最寄り駅で俺が話してみるよ。昨日、お前が言ったように、分家の人間が束になったって相手もできない人物なのは、間違いない」

「では……やはり……」

「ああ。遠目で視ただけでもわかる。あれは、下手すると翠さまを上回る人間だぞ」

 そう。

 誠志朗が見た慎太郎という少年は、若輩ながらその持ちうる能力ちからは、松岡家本家最強とまで言われた翠と遜色ない。

 ただ、その使い方を知っているかどうかは、甚だ怪しく見えた。

 彼は、何も知らない。

 その、持っている能力ちからをまったくと言っていいほど、扱い切れていないのだ。

 イチから、基礎から、その能力ちからの使い方を教えなければならない。

 誰が?

 能力ちからもない、単なる側近である祐佑にはできない。

 俺か?

 俺なのか?

 そこに思い当たった誠志朗は、はぁっとため息を落とした。

 本当に、俺は、なんで苦労をわざわざ背負いこむのだろうかと、誠志朗はため息を落としたのだった。

 その一方で、放課後までどうやって時間を潰そうか、と誠志朗は考えていた。

 大体が、アタマの堅い祐佑と遊びたいとも思わないし、せっかく大学をサボったというのに、つまらないことこの上ない。

 なので、誠志朗は祐佑に宣言する。

「そこで降ろしてくれ。いったん俺、ハケるわ」

「誠志朗さん?」

「だってさ、放課後まで用事ないだろ?」

「誠志朗さん、わかっていますか? 時間がないのですよ?」

「わかってるけどさ、今、俺、やることないじゃないか」

「……放課後までには、戻っていただけるのですね?」

「ああ。約束する」

「……わかりました。では、また、放課後に……」

「……お前は、どうするんだ?」

 クルマを降りようとして、ふと、誠志朗は疑問を口にした。

「私は、慎太郎さまのお側におります」

「まだ、松岡家本家次期当主じゃあないんだぞ? それは、理解してるか?」

「誠志朗さん。慎太郎さまは誰が何と言っても、たとえ、ご本人が拒絶しようと、間違いなく、松岡家本家次期当主でいらっしゃいます。私は、あの方に人生の全てをかけて、お仕えする心づもりです」

 祐佑のこの言葉に、誠志朗は盛大なため息をついただけで、黙ってクルマから降りた。

 まったく、この祐佑に見込まれた慎太郎に、同情さえしてしまう。

 誠志朗はせっかくサボった大学に行くことにした。


「誠志朗じゃないか。今頃ご登校かよ」

 遅ればせながら授業を受けようと教室に入ると、上辺だけの友人が声をかけてきた。

 誠志朗の来歴を考えれば仕方がないこととは言え、彼には上っ面の友人しかいない。本当の意味で友人と言える人間は皆無と言えた。

 それでも、誠志朗はこの上っ面だけの友人たちを、それなりに大事にしていて、付き合いもそれなりにしていた。

 せっかく自由にできている、大学四年間を誠志朗は精一杯楽しもうとしてそうしているのだった。

「よっ! 太一たいち。ちょっと寝過ごしてさ」

 誠志朗は上っ面の友人、村野むらの太一の隣に座った。

「もうあと、卒論だけじゃないか。さすがにちょっと気が抜けてたみたいだ」

「まぁな。せっかく決まった就職先も卒業できないと意味ないもんな」

「でも、あとはもうすぐ夏休みじゃないか。卒業旅行とか、行きたいよなぁ……」

 そう言いながら、誠志朗は恐らくそれが実現しないことを予期していた。

 松岡家本家現当主、翠の死は確定している。

 松岡家がごたつくのも、言わば確定事項だ。

 自分がそれを自分には関係ない出来事として受け流せられないことくらい、誠志朗は自覚している。

 あぁ、俺の元々僅かだった平和な時間が目の前で消えていく……

 誠志朗は思わず盛大なため息をついてしまっていた。

「どうしたんだ? 誠志朗」

「……なんでもないって……なぁ、太一。この後、出席必須の授業あるか?」

「必須って……そんな御大層なモンないって。なんだ? どうした? 元気ないのか?」

「うん……元気ない……」

「めっずらしいこともあるもんだな。よっしゃ、わかった。俺に任せとけよ。今の時間からでもやってる飲み屋あるから、そこで憂さ晴らしでもしようぜ」

「……夕方までなら……」

 誠志朗は元気なく言う。

「何だよ、誠志朗。お前、元気ないのに彼女にでも会うのか?」

「ンな色っぽい話じゃないよ……」

「何なんだよ、お前。ホントに元気ないなぁ……」

「ちょっとさ、色々あって……」

「でも……珍しいなぁ、お前がそこまで落ち込んでる姿見せるのって。お前って、いつもちょっと距離取ってるじゃないか、俺らとはさ」

 太一が何気なくそう言った。

「え?」

 虚を突かれて、誠志朗は一瞬素に戻った。

「今……何て言った?」

「って……お前ってさ、いつだって俺らと楽しそうに過ごしてはいるけど、何かさ、どこがって訊かれたら困るんだけど……お前から流れてくる空気っての? 雰囲気とかさ……お前って、俺らとどっか違うじゃないか」

「俺……お前らとどっか違うか?」

 完璧に、普通の人間を演じていたつもりだった誠志朗は、完全に虚を突かれていた。

「何て言うか……そうだな、いつだったか、 将来の夢とか喋ってたことあったじゃないか。その時、俺らが好き勝手将来の事喋ってた時、お前、どっか一歩引いてるって言うか……自分の夢とか言わなかったじゃないか。俺もそうなりたいなぁ……とか言ってさ。まぁ、俺らだってみんなそれぞれ事情抱えてはいるけど、お前にはまた別に何かあんのかなぁって……」

 誠志朗はまじまじと友人と呼んでいた村野太一の顔を眺めていた。

 人間というものは、もしかすると自分が考えていた以上にちゃんと物事が見えているのかもしれない。

 それはただ、自分自身たちと明らかに『違うもの』を感知しているだけなのかもしれないが、それでも、この友人は誠志朗が隠し持つ闇の部分を確かに感じ取っていた。

 しかし、それで恐れ入る誠志朗ではない。

「なーに言ってんだか、お前は。この年齢としでさ、将来の嫁だの一戸建て買うのかマンションか賃貸かって、大真面目に論争してるお前らに呆れてただけだよ。だいたいな、俺らまだ社会人にすらなってないんだぜ? 嫁どころか彼女もいない連中がだぞ、子供の将来考えてる時点で笑えてくるだろうが」

「おい、こら、お前な……」

「太一はまずは、オンナでも作れよ。全部そっからだろ?」

「なんだかなぁ、お前は……そういうお前は彼女いるのかよ」

「いるよ」

 嘘である。

 きっぱりはっきり、大嘘だが、太一は信じたようだ。

「紹介してくれよ。俺もさ、最後の夏休みに彼女無しじゃいろいろ辛いじゃん。彼女の友達とかいるだろ?」

「俺の彼女、金かかるぜ? いい女子大のお嬢さまだからな。友達もみんな、そんな感じだ」

「くっそぉ……実家が金持ちの奴はいいよなぁ……」

 誠志朗の実家が都内なのに一人暮らしをしていて、バイトもしていないことを太一は知っていた。実家が裕福なことは周知の事実だ。

「身の丈に合ったカノジョ見つけなさいね、太一くん」

 誠志朗は澄ましてそう言い放った。

「くっそぉ……飲みに行くぞ、誠志朗。お前のおごりだからな」

「なんで、俺が……」

「俺は苦学生なの。金持ってる奴が出しゃいいんだよ」

 太一は平気で誠志朗にたかって来る。

 それがあまりにもあけっぴろげなので、かえって清々しいくらいだった。

「しゃあないなあ……行こうか、太一」

「せっかくだから、お前の行きつけの店連れてってくれよ。高い酒飲めるとこ」

 ここぞとばかりに太一は言った。

 しかし、そんな店がこんな時間に開いてるわけもなく、誠志朗は一刀両断切り捨てる。

「開いてるかよ、この時間に。また今度、夜に行こうぜ」

「しょうがねぇなぁ。約束だぜ? 誠志朗」

「ああ」

 誠志朗と太一は連れ立って教室を出て、学生街にありがちな、安い居酒屋に繰り出した。

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