第2話
「……お邪魔します」
「入って入って!て言っても、ここはもう君の家にもなるんだけどね」
時刻は午後五時四十分。俺は一人部屋を追い出され、今は男子寮二階にあるアルの部屋へと荷物を抱え、玄関に立っている。
「君のエリアはここを真ん中に左側。僕は右側ね。荷物は大体片付けてあるから、好きにしちゃっていいよ」
アルは部屋の中央を指さし、互いの領土の中心線を示す。俺が使う事になる左に位置するシングルベッドを見れば、意外に状態は良さそうだ。こいつの事だから、この一週間の間に使わないからとベッドを爆発でもさせてるんじゃないかと心配だったが、杞憂で良かった。
両手に持っていたトランクをベッドに置き、後ろに立つ男を見る。
「お前の事だからとっちらかっているのかと思ったが、そうでもないんだな、リリナイル」
「アルでいいって。名前で呼んでよ」
「そしたら、お前も俺を名前で呼ぶだろ?」
「それの何が悪いのさ。先生も言っていただろ。人との関わりが大事なんだって。仲良くなる第一歩として、名前呼びはちょうどいいんじゃないかな?」
「……わかった。アル、よろしくな」
「うん。よろしく」
アルがにこりと笑う。俺も真似して、口角を上げる。アルの言う通りだ。俺は俺なりに、これから人と関わっていかなくてはいけない。
上手く笑えていたつもりなのだが、俺の顔を見たアルは眉間に皺を寄せ、「下手くそな笑顔だな」
と文句をつけてきやがった。
「失礼だな」
「いや、今のは酷かったよ。これじゃ、確かに人と話さない訳だ」
アルはそう言いながらローブを脱ぎ、ハンモックに掛ける。
「準備が終わったら食堂に行こうよ。今日のデザートは夜明けのプリンだってさ」
食堂のデザートについて語るアルは、酷く嬉しそうだった。
☆☆☆☆☆☆
夜の学園はとても暗い。
新学期が始まるも、学園は変わらず忙しなく動く。リドは静寂に身を包む長い廊下を一人歩いていた。
明かりは僅かだが灯っており、月光石が青白く光っている。規則的に配置された窓からは学園の正門と、その奥にある噴水を眺めることが出来る。学園の最終下校時刻は午後六時半だが、今は新学期が始まったばかりで部活は活動していない。なので生徒は早々に帰っていた。普段ならまだ喧騒としている時間帯でも、今は違う。
リドは正門周辺に生徒がいないことを確認し、四階へと繋がる階段を登る。
階段を登ってすぐ目の前に、大きな両扉が見える。扉の両脇には美しい白鳥の彫刻が佇んでおり、ルビーが瞳に嵌め込まれている。
常人ならここに立つだけで威圧感に押しつぶされるような空気が充満しているが、リドはそうにもいかない。
いつも通りの風体で扉をノックする。すると数秒の間を置いて、「入れ」と扉越しに声が聞こえた。
扉を開ければ、一人の女性がソファと机の先にある大きな窓から外を眺めていた。
女性─学園長が、ゆっくりとこちらを見る。腰まで伸びた長い黄緑の髪は緩くカーブがかかっており、月明かりに照らされると僅かに黄味がかって見える。その様と憂いた瞳が美しいと、その歳になっても男が引く手数多らしい。リドには馬鹿馬鹿しくて聞いてられない。内面を知れば、すぐに人が避けるような人間だ。
「何の用だ」
学園長が振り向きざまに言う。リドはにこりと笑った。
「フィーネ・ショーンの事ですが」
「それがどうした」
「計画通り、アル・リリナイルと同室になりましたよ。相手は誰でよかったのですが、あのお転婆と時を共にすれば、ショーンも心変わりしていくでしょう。成果が楽しみですね」
数日前に学園長と話した、フィーネ・ショーンに関する計画。その旨を伝えれば、学園長は思い出したかのように「ああ」と嘆き、次にそれは良かったと祝辞を述べた。
思いの外興味なさげな学園長に捲し立てるようにリドは言葉を紡いでいく。
「彼はとても優秀な生徒ですよ。学園の規律と歴史を尊重し、魔法に対する愛もある。そして、精神魔法学を受講したんだ。彼なら、倫理委員会も黙らせる成果を成してみせるかもしれない」
リドはつい興奮気味になり、声色が上がっていくのを感じ取る。柄にもないことをしてしまったと恥じ、小さく謝れば学園長は鼻で笑うだけだった。
「リド、お前はショーンを買うつもりでいるのか?」
「買うなんて、生徒に対して扱う言葉では無いですよ」
「私はリリナイルに注目しているのだがな」
そう言って、再び窓を見やった。学園長室は明かりが付いておらず、窓から差し込む月明かりだけが頼りとなっていた。
リドはリリナイルについて思い出す。今年三組に転校してきた彼は、問題を起こしまくり早くも問題児としてブラックリスト入りしたと、彼の担任が言っていた。
確かに彼の純真さと真っ直ぐな心持ちは評価するに値するが、あの縦横無尽っぷりは手に負えない。そして彼の才能をまだ見ていない以上、正当な評価はできないでいた。
なので純粋に、「何故ですか?」と聞いてみる。「学園長、貴方が直々に生徒を評価するのは珍しい」
「珍しい?まぁ、確かにそうだな。だがお前も、これからその理由がわかることになる」
いまいち話の趣旨を掴めず首を傾げれば、「老いぼれが舐めた態度をとるな」と一蹴された。悔しいな。私がこのような態度を取れば、大抵の大人は喜んで私に口を開くと言うのに。まあ引っかかるとは甚だ思っていなかったが。
気持ちを切り替えるように、咳き込みをする。
「老いぼれは貴方もでしょうに」
「あまり舐めた口を聞くと首を飛ばすぞ。腰の調子はどうなんだ?」
瞬間、ピリリと空気が重くなり、割くような空気が鼓膜を振動する。リドが睨みを効かせれば、学園長は楽しげに意地悪く微笑み「リリナイルは面白い」お不敵に言い放つ。彼女がこんな顔をする時は、大抵碌なことが起こらない。
同じ話の流れに嫌気が差し、リドはあからさまにため息を漏らす。「だから、それはなぜなのですか?」
「私は編入試験であいつの治癒魔法を目にした。あれは逸品物だ。あの速度と精度で治癒魔法を使う者は久しぶりに見た。あいつは確実に大物になる」
「……へぇ」
リドは黙って、ほんの一瞬だけ月を見た。
編入試験。確か、通常の学力検査と実技検査に加え、自分の得意魔法を一つ披露しなければならないはずだ。リリナイルはそこで治癒魔法を選んだのだろう。今の時代に治癒魔法を選ぶとは、精神魔法学も選択しているあたり、好みがかなり渋い。
私が頷けば、学園長は満足気に私を見ながら、窓に体重を預ける。
「あれほどの治癒魔法の使い手なら、きっと精神魔法だなんてつまらない魔法も、充分に使いこなして見せるだろうな」
「はは……それは面白い。では賭けますか?私はフィーネ・ショーンに。貴方はアル・リリナイルに。どちらの方がより、精神魔法を使いこなしてみせるか」
「お前からそんな発言をするとは、随分勝ち気なようだね。いいよ、賭けようか」
学園長は窓から体を離し、こちらに向き直る。思いの外やる気のようだ。
「自分の担当科目だからと言って、好き勝手ショーンを贔屓するような事、するなよ」
「しませんよ、そんな事」
リドは笑いながら、学園長へと近づく。机の前で止まり、右手を差し出した。外では暗闇の中フクロウが鳴いており、三日月がこちらを照らしている。
「では私は、ショーンに七万ビコー」
「私はリリナイルに十万ビコー」
「二桁ですか。随分大きく出ますね」
「七万の酒は味気無さそうだな」
「賭け金は酒代になるんですか……」
自分よりも大きな額を出した学園長に対し、つい若い頃のような負けん気を感じてしまう。この人の前だと、やはり大人気なくなるな。しかしそれは、目の前の彼女も同じことだろう。
「わかりましたよ、では……私はショーンに十五万ビコー」
私がそう発言すれば、彼女は嬉しそうに口角を上げ、私の手を取る。掌の上で転がされたような気もするが、今はそんなことどうだっていい。
「なら私は十七万ビコーだ」
「給料が吸い取られますね」
「結果が楽しみだな」
「一年後を待ちましょう」
交わされた握手は、影になって見えにくかった。
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