第5話 雨上がりの虹と、揺れる心

夏の昼下がり、キャンパスの中庭には学生たちの笑い声が響いていた。

蓮は梨乃と並んでベンチに座り、遠くの空を見つめる。

蝉の声が頭の奥で鳴り響き、真夏の光が二人の影を長く伸ばす。


「……ねえ、朝倉さん」

梨乃が小さな声で話しかける。


「ん、どうした?」

蓮は無意識に手を握りそうになるのを止め、視線だけを彼女に向けた。


「私……最近、結香さんといると安心するの」

その言葉は自然で、無防備だった。


蓮の胸がぎゅっと締め付けられる。

(……やっぱり、そうか)

梨乃の心の一部は、すでに結香に預けられている。

でも、それを否定することはできない。彼女が安心できるなら、それでいい――と思いたい自分もいる。


しかし、心の奥では焦りが渦巻く。

(俺だって、もう一度、梨乃に好きになってもらいたい……!)


その日の午後、アトリエで三人は再会した。

結香はいつも通り穏やかに微笑み、梨乃は自然にその隣に座る。

蓮は少し距離を置きながら、二人の間を見つめる。


「朝倉さんも、今日はゆっくりしていってくださいね」

梨乃の言葉には、純粋な気遣いと微かな遠慮が混ざっていた。


結香も、静かに蓮の視線を交わす。

その瞳には、優しさと警戒が同居している。

──この三角関係の微妙なバランスを、結香は理解しているのだろう。


夕方になると、アトリエの窓から柔らかな光が差し込む。

蓮は一歩、梨乃に近づきながらも、まだ距離を保つ。


「……梨乃」

「はい?」

蓮の声は少し震えた。


「……俺は、諦めない。必ず、もう一度、好きになってもらう」

その言葉は、心の奥底から溢れた本音だった。


梨乃は目を伏せ、指先でキャンバスの端を撫でる。

「……でも、私は結香さんが好きなんです」

その一言が、蓮の胸に鋭く突き刺さった。


──それでも、俺は。

蓮は拳を握りしめ、心の中で誓った。

(焦るな、蓮。焦ったら、全てを壊す。梨乃の幸せを壊すな)


夜が深まると、三人はアトリエに残り、静かな時間を共有する。

雨が降り始め、窓ガラスにぽつりぽつりと水滴が落ちる。

梨乃は雨音を聞きながら、結香の肩に頭を軽くもたせかける。


──その光景を見て、蓮は胸の奥が締め付けられるのを感じた。

梨乃の中で、結香はただの支えではなく、“特別な存在”になりつつある。


「朝倉さん……大丈夫ですか?」

梨乃の心配そうな声に、蓮は一瞬我に返る。


「ええ、大丈夫」

微笑みで応えながら、内心では葛藤が渦巻いていた。

──俺は今、この距離で見守るしかない。

でも、いつか、必ず――


その夜、アトリエを出る蓮の足取りは重かった。

外の雨は一層強くなり、街灯の光を濡らして反射する。

蓮は深呼吸を繰り返し、心の中で自分を落ち着かせた。


「俺は……焦らない。

 でも、諦めない――」


翌日、大学の図書館で偶然、真冬と出会う。

彼もまた、梨乃の記憶と感情に関わる人物だ。

真冬の落ち着いた笑顔に、蓮は警戒心を抱く。


「朝倉さん……梨乃さんのこと、よく見ていますね」

真冬の声には、探るような響きがあった。


「……はい」

蓮は短く答える。

真冬は微笑みながらも、その眼差しには計り知れない熱が宿る。


──俺と梨乃、そして結香、さらに真冬。

この関係は、今、確実に揺れ始めている。

蓮は胸に手を当て、心の中で誓った。


(どんな日々が来ても、俺は梨乃を、そして自分の想いを守る――)


その後、雨上がりの空を見上げると、虹がかかっていた。

その色は、希望と不安の入り混じった日々を象徴しているようで、蓮は小さく息をついた。


──三人の関係はまだ動き出したばかりだ。

けれど、俺の決意だけは揺らがない。


夜、アトリエに戻る蓮は、窓際で眠る梨乃の寝顔を見つめる。

「……おやすみ、梨乃」

心の中でそうつぶやきながら、蓮は静かに誓った。

(必ず、もう一度、彼女の心に触れる)


外では蝉の声が遠くで鳴り、夏の夜の空気が二人を包み込む。

その静かな夜に、蓮の心は決して揺らがず、ただ未来への覚悟だけを抱いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る