08

 おしゃれジャージのジェームスが東京支部に来た。いつもめちゃくちゃダサいか、くたくたのスーツやのに、今日はおしゃれや。カッコいい。

 ルノとゆりちゃんはインフルエンザになって、寮の部屋から出られへんって言うた。これはランボルギーニの指示で、そう言えって

言われたからや。

 実際に寮の部屋に、ルノらが監禁されてる。ルノは薬のせいか、ずっとぬいぐるみで遊んでて、ゆりちゃんはキモいって言いながらヘイリーが好きなフリを続けてる。痛み止めが切れたジャメルさんがうんうん唸ってたけど大丈夫やろか。ミランダがずっと三人と一緒にいてるから、信じるしかないけど。

 もっと怪しむかと思ってんけど、ジェームスは特になんも言わんかった。

 アルベルト支部長に挨拶すると、オレを連れてすぐに東京支部を出た。

 誰かがオレとジェームスをつけてる筈やけど、オレには全然分からへんかった。どこにいてて、どんな人なんか、何も分からんまま東京駅の中を歩いた。

 あんなにわくわくした筈やのに、オレは適当に目についた駅弁を選んだ。適当なお茶と一緒にとりめしを買うと、ジェームスはマグロといくらがいっぱいのってるのを選んだ。二人でお弁当を持って新幹線のホームに行くとすぐに来たやつに駆け込んだ。ドアがすぐに閉まって、オレはびっくりしてジェームスを見た。

「ジェームス、これちゃうんやないん?」

 オレはジェームスにそう聞いた。

 でもジェームスは答えへんと、オレの体をごそごそ調べ始めた。確認し終わってから、オレの肩を叩いた。

「盗聴器はないな。何があったかちゃんと話せ」

 ほっとしすぎて、オレはジェームスにしがみついた。

「怖かった」

「ルノとリリーは?」

「寮の部屋にジャメルさんと一緒に監禁されてる」

 オレはジェームスにしがみついたまま、あった事を全部話した。出来るだけ落ち着いて話したつもりやったけど、不安で押し潰されそうやったから順番めちゃくちゃやったと思う。

 話し終わって、オレが落ち着いたのを確認したら、ジェームスは歩いてその辺の席に座った。

「ここ座ってええの?」

「自由席だから大丈夫だ。ご飯食おう」

 ジェームスはそう言うと、駅弁を広げて食べ始めた。何やってんかと思いながら見てたけど、安心したらお腹すいてきた。よく考えたら、食欲なくて朝ご飯食べてない。大人しくジェームスと一緒にご飯を食べた。

 食べながら、飲ませろって言われた錠剤の袋をジェームスに渡した。白い錠剤で、チャックのついた小さいビニール袋に入ってる。

「これじゃ、何の薬か分かんないな」

 ジェームスはほっぺたにご飯粒をつけたまま言うた。

「どうしたらええの?」

「とりあえず支部に戻ったら調べてもらって、それっぽく飲んだフリするしかないだろ」

 ジェームスは薬をポケットにしまうと、またお弁当を食べ始めた。

「ルノらはどうすんの?」

「そっちはマッキノンから連絡もらって、すでに回収班が向かってる」

「回収班って?」

「イーサンとジェーンが手伝ってくれるって。他にも二人の先輩達も来てくれた」

 イーサンやジェーンより先輩って、オレも会った事ないような人らちゃうん? その人らもう結構なおっちゃんらやと思うけど、動けんの?

 そんな事を考えてたら、ジェームスが笑った。

「俺も同じ顔して疑ったら殴られたぞ」

 ジェームスを殴れるんやったら大丈夫かな。ちょっと安心して、オレはとりめしを口に入れた。すっごい美味しい。安心してるからやろな。ちゃんと美味しいって感じる。

 オレはなんとなくジェームスに尋ねた。

「あのジャージ、捨てたん?」

「隠しとこうと思ったんだけど、ヴィヴィアンに目の前で捨てられた」

 ちょっと笑ってしもた。

 まあ、ジェームスのジャージ、どれもダサいから一つ捨てられたところで一緒な気がする。今日もおしゃれやとはいえ、ジャージ着てるし。

「ジジはどうすんの?」

「それだけが問題なんだよなぁ。てっきりジジが殺しに来るかと思って期待してたんだけど」

 そんな事を言いながら、ジェームスは美味しいなって笑った。確かに美味しい。ルノが二つも食べてた気持ち、今なら分かる気がする。オレも今ならもう一つくらい入りそうや。

 ジェームスはいつもと違って、おしゃれに整えた頭をしてて、ピタッとした黒いジャージの上下を着てる。上にはおしゃれなジャケットを羽織ってて、荷物はなんにも持ってない。

 いつものダサいジャージやったら、こんなにムキムキして見えへん。でもこのジャージやったらジュラ子が筋張ってて不味いって言いそうな腕をしてるのがよく分かる。

「ジャメルさん、足折れてんねんけど、大丈夫かな?」

「ルノがいるんだろ? 最悪ルノに担がせればいい」

「ルノは薬でおかしなってんで」

「そこは先輩なんだから上手にやってくれるって」

 ジェームスはそう笑うと、オレの頭をポンポン叩いた。

「マッキノンも一緒に救出出来るといいんだけどな」

「無理やったらどうするん?」

「向こう側のフリしてもらって、一人になったところを保護するしかない」

 ジェームスはそう言うと、オレにもたれかかってきた。

「まさか、アルベルト支部長がランボルギーニとグルだったとはな。思いもしなかったよ」

「オレも」

 でもそうやんな。

 東京支部のハッカーが何故か役立たずばっかりやったんは、アルベルト支部長が影で悪い事やってんのに気付かれたら困るからや。

 出来る奴数人だけに仕事させまくって、他の奴らは遊ばせといたらええ。気付こうとせん奴ばっかりやったら自由に動ける。どんな悪事をしてたんかは分からんけど、ランボルギーニの顔は東京支部の奴らは知らん筈。本部の人って言えば簡単に中に招けた筈や。

 多分、今回オレやルノが出張になったのは計算外やったんやろ。どうせ掃除と講習会しかせぇへんと思ったら、予想外に仕事に口出ししてきて焦ったんちゃうかな。アルベルト支部長の立場が危ういと思って、ちょうどいいからオレとルノを始末する事にしたんや。

 もしそうやったとしたら、ランボルギーニがエスポワールの人間って知ってたのはごく少数なんかもしれん。

 ヘイリーははじめから向こう側やったんかな? でももしそうやったんやったら、ランボルギーニが気に入るくらい仕事が出来た筈。めっちゃ強いって訳でもなさそうやし、尾行ですら怪しいんやで? 頭も悪そうやったし、何か特別なところなんてないように見えた。あんなん、ランボルギーニが選ぶとは思えへん。

 それとも隠してたんかな?

 でもへっぽこ工作員のフリは出来ても、頭がいいのって隠しきられへんと思うけどな。アホのフリは出来ても、それをずっと続けてたら、誰かが気付く筈。

 マッキノンが見てる限り、いつも通りやったみたいやし、はじめからあんな感じやった筈。流石にそれなりの期間、ずっとアホのフリは無理やろ。

 そうやったらやっぱり、ヘイリーはアルベルト支部長が仲間に引き込んだんちゃうんかな。きっと工作員に一人くらい協力者がほしかったんや。

 ルノのお姉ちゃんがブロンドの美人やったら会いたいとか、ゆりちゃんに言い寄ったり、女の人に興味津々って感じがした。きっとそれをネタにつられたんちゃうかな。

 ジェームスが真面目な顔をして、オレに言うた。

「それで、さっき言ってた工作員はどうだ? 強いのか?」

「オレはへっぽこやと思うけど、実際に戦ってるところはほとんど見てないから」

「少なくとも頭は悪そうだったな」

 オレがヘイリーの仕事を見たのは一回だけ。

 それも超簡単な潜入任務や。会社のパソコン盗んでこいってだけのやつ。あれはなかなかのへっぽこ具合で、見てるこっちがハラハラした。

 実際に戦ってる姿は見てへん。

 ルノを食堂で殴ってるところかて、オレは実際に見た訳やない。あの映像を見る限り、それなりに動けそうではあるけど、どうやろ。ルノと喧嘩してたんならともかく、一方的に無抵抗のルノを殴っただけなんやもん。サンドバック殴ってんのと一緒やんか。

 やっぱり全然分からん。

「ジェームスはどう思う?」

「東京支部での評判はそこそこだけど、全体のレベルが低いからな。ルノほど動けないんじゃないかとは思うけど」

「なんで?」

「殴り方見てる限り、合気道しか出来なさそうな感じだったぞ。受け流すのは得意かもしれないけど、殴るのは慣れてなさそうだと思った」

 ジェームスはそう言うと、食べ終わったお弁当を片付けてこっちを見た。

「受け流すのが得意だったら、ヴィヴィアンみたいなのとは相性最悪だな。上手く当たらなくてキレそうだ」

 楽しそうに笑って、ジェームスはオレの肩を叩いた。

「安心しろよ。ルノみたいな奴が何人束になっても、絶対勝てっこない先輩が行ったから」

 一体誰やっていうねん。

 ジェームスは全然心配してなさそうな感じで、お茶を飲みながらニコニコしてる。

「そうだ、大阪で降りたら、きっと別の奴がつけてくる筈だ。こういう話はここから先、一切するなよ」

「分かった」

 ちょうど京都についた。

 オレは食べ終わった弁当箱を片付けると、ジェームスの持ってた袋にまとめて入れた。お茶を飲みながら、窓から外を見る。


 スーツケースと薬を大阪支部に置いたら、オレはヴィヴィアンの入院してる病院に行った。

 思ったよりずっと大きい病院の、結構広い部屋を貸し切ってるらしい。ヴィヴィアンを含めて、六人の工作員がそこに入院してた。ヴィヴィアンとおばちゃん以外はみんな男性で、一番の重症がヴィヴィアンって話や。

 部屋に入ると、思った以上に元気そうなヴィヴィアンが、食堂のおばちゃんやハリー達とトランプで遊んでた。他にも知らん人が混じってて、誰かと思った。

「ヴィヴィアン」

 オレがベッドに近寄っていくと、ヴィヴィアンは嬉しそうにトランプを放り出して抱きついてきた。

「おかえり、ダンテ。会いたかった」

「ヴィヴィアン、ホンマに怪我してんの?」

「酷いな。これでも肺に穴が開いてんで」

 確かに初日はしんどそうやったけど、二日目からは元気やったやん。

 ヴィヴィアンはそう言うと、パジャマの胸元をめくった。左の胸にガーゼが貼ってある。でも思った以上に傷跡小さいんやけど。流石、ターミネータや。

「元気なんだったら、帰っていいか? 疲れた」

 ジェームスが面倒くさそうな顔してヴィヴィアンに言うた。

「寝るんやったら、うちの横で寝て」

「風呂入りたい」

「意地悪っ」

 仲良さそうな二人にちょっと安心して、オレはヴィヴィアンのベッドに腰掛けた。

「大丈夫? 痛くない?」

「もうあんまり痛ないよ。でも胸が痛い」

「なんで?」

「ダーリンに置いて行かれて、心が派手に傷ついた」

 全然傷ついてなさそうなヴィヴィアンは、ニコニコしながらジェームスを見上げた。

「ほら、チューせぇ」

「お断りします」

「痛いわ、ダンテ。心が痛い」

 元気いっぱいのヴィヴィアンにくっつくと、ジェームスがオレの横に座った。

「疲れた。ヴィヴィアン、そこどけよ」

 ジェームスはそう言うと、ヴィヴィアンの足元に倒れた。そのまま寝るつもりらしい。嬉しそうなヴィヴィアンがジェームスの顔を覗き込んだ。

「これはチューしてええんか?」

「やったら口唇噛みちぎってやる」

 ジェームスはホンマにそのまま寝始めた。しばらくしたらぐーっていびきが聞こえてきた。ジャケットくしゃくしゃになりそうなんやけど、着たまま気にせず寝てる。

 残念そうな顔したヴィヴィアンは、こっちを見ると笑った。

「元気そうでよかった。ルノとゆりちゃん、インフルエンザやって?」

「うん。ルノは熱四十度越えてる」

「ダンテはよぅもらわんかったな」

「オレは仕事でルノとおる時間少なかったから」

 ヴィヴィアンがオレの膝を指で叩いた。モールス信号や。全部、日本語のローマ字や。

『見張ってる奴がおる、気をつけろ』

 オレもヴィヴィアンの膝を手で軽く叩いた。

『分かった』

 オレはこれあんまり得意やないんやけど、近くにおった工作員は全員気付いたらしい。ハリーがトランプを片付けながら、こっちを見た。

「支部長、寝るの早すぎん?」

「朝から大阪東京を往復したからな。しゃーないんちゃう?」

 おばちゃんが笑顔で立ち上がると、ジェームスのすぐそばに黒いお弁当とか入れるような手提げのカバンを置いた。武器やと思う。持っとけって事か。でもそのジェームス、ガチ寝してない? 寝たフリに見えへんねんけど。

 ヴィヴィアンがニコニコしながら、ジェームスの肩を叩いた。

「起きて、寝るなら横で寝てぇや」

 んごーっていびきでしか返事せぇへんジェームスは、ころんと寝返りを打つと、ヴィヴィアンに背中を向けた。本気で寝てると思うのはオレだけ?

 ヴィヴィアンは溜息をつくと、ジェームスの横にあったカバンを掴んで自分に引っ張り寄せた。チャックを開けると、手を突っ込んで中から何かを握って出した。

 ちらっとだけ見えた。すっごい小さい銃や。

 それをこそっと布団の中に入れると、こっちを見て笑った。

「ダンテ、東京はどうやった?」

「スカイツリーがデカかった」

 そこと東京タワーしか見てへんからな。それ以外になんも感想あれへんで。なんも思いつかんかった。

「やっぱりデカいの? 今度は三人で行きたいなぁ」

「オレも」

 ヴィヴィアンはカバンをジェームスの背中に押し当てると、そのままオレに言うた。

「おしゃれジャージは結局買えてへんの?」

「買いに行かれへんかってんもん。このジャージはヴィヴィアンの趣味なん?」

「カッコいいやろ。昔あげたやつやで」

「なんでこれ着ぃひんの?」

「ぴちぴちで動きにくいんやって」

 ジャージやのに? 変なの。

 おばちゃんや他の工作員が、いろいろ準備しながら立ち上がる。みんなすでに武器を持ってるらしい。丸腰なんはジェームスだけみたいや。

 どうすんのかと思って見てたら、急にヴィヴィアンがオレをベッドに押し倒してきた。

 途端にハリーがドアを開けて、外に立ってた男を病室の中に引きずり込んだ。おばちゃんがやりづらそうに左手でドアを閉めて鍵を掛けると、ウェスティンが男の頭を銃で殴った。

 男が動かんようになったのを確認してから、ヴィヴィアンは起き上がった。

 オレはジェームスのお腹の上に転がったまま、様子を見てた。こんな状態やのに、オレの下には、んごーっていびきかいたままのジェームスがいる。

「他に気付かれてない?」

 ウェスティンがそう言うと、おばちゃんが頷いた。

「大丈夫や」

 ヴィヴィアンが面倒くさそうに、ジェームスの頭を叩いた。

「ちょっと、なんで寝たまんまなんよ? このダサいジャージのゴリラ」

 声がデカいから、オレはヴィヴィアンに言う。

「外に聞こえるって」

「そやった」

 ヴィヴィアンはマズいって顔をすると、銃を枕の下に入れて座った。

「さてと、そいつはどうする?」

 おばちゃんが面倒くさそうに、ジェームスの頭を叩いた。

「起きんかい」

「朝早かったんだ。寝かせてくれ」

「仕事してから寝て」

 嫌そうな顔したジェームスは起き上がると、眠そうに目をこすりながら言うた。

「新大阪駅からつけてきた奴だ。ときどきケータイいじってたから、多分それで定時連絡してる」

 ウェスティンが男のボディチェックをすると、確かにスマホを二台持ってた。他には財布と小さいナイフしか持ってない。確かにちょっといかついけど、そこまでやない。普通のおっちゃんや。ほとんど丸腰の状態。

 よくこんな状態で、工作員だらけの病院を見張ろうと思ったなって、ちょっと尊敬する。オレ、銃をいっぱい持っててもやりたくない。

 二台のスマホを受け取ると、オレは中を確認した。

 一台は完全に私物やな。彼女とのラブラブメールしか残ってない。もう一台は完全に仕事用や。ランボルギーニっぽい男宛てのメッセージがいっぱい残ってた。ちょうどついさっき、病院に到着、このまま見張りを続行ってだけのメッセージを送ったばっかりや。

「どう? なんか分かった?」

「こいつはオレの見張りやな。ランボルギーニに直接報告してるみたいや」

「そいつの仲間に連絡とられへんの?」

「ボス以外の連絡先、載ってない。メールは都度消してるみたいやし、残ってないかも」

 オレはそう言うと、男の財布を広げて中身を確認した。残念な事にクレジットカードとかは一切持ってない。現金のみや。って事は、こいつそこそこ仕事の出来る男やったんかもしれん。

 眠そうなジェームスが、床に転がった五百円玉を拾い上げて呟いた。

「お茶買ってくる。なんかほしい物あるか?」

「ダーリン、うちは甘いコーヒーがいい」

 完全にカツアゲやんと思いながら、オレはジェームスの背中を眺めてた。それも敵の工作員らしき人物をカツアゲするってどういう事? ホンマに何やってんかなと思いながら、オレは楽しそうなジェームスとヴィヴィアンを見てた。

 真面目な顔したおばちゃんは、オレに言うた。

「ダンテ、ルノとリリーはどうなってんの?」

「ゆりちゃんは無事やけど、ルノは薬でおかしなってる。ジャメルさんは足折れてるし、ジジはどこにいてんのか分からん」

「そうか。とりあえずそれ、向こうに連絡するわ」

 おばちゃんは左手でやりづらそうにメールを打ち始めた。ウェスティンはハリーと仲良く男を縛り上げると、そのまま床に男を転がす。ヴィヴィアンがオレにもたれかかってくる。

「ヴィヴィアン?」

「動くと流石にちょっと痛いわ」

「大丈夫なん?」

「これくらいやったらどうって事ないけど、ダーリンに甘えたい~」

 布団の上で駄々こねだしたヴィヴィアンは、うだうだ言いながらベッドに転がった。今日も可愛いパジャマを着てる。ちょっと寝癖ついてるけど。

「甘えて何すんの?」

「チューに決まってるやろ」

 ちょっと寂しそうなヴィヴィアンは、こっちを見るとニコッと笑った。

「そう言えば、東京におる間ルノはなんか言うてへんかったん?」

「なんかって?」

「ゆりちゃんの事、なんか言うてへんかったん?」

 ゆりちゃんの事? 思い当たる事が全くない。相変わらずやったもん。お相撲さんがどうのって、ゆりちゃんのお腹つまんでたくらい。

「特に何も。ミランダにもらったぬいぐるみが、ゆりちゃんのお腹食べて喜んでたくらい」

 ヴィヴィアンが不思議そうな顔をした。

「一体なんのぬいぐるみや?」

「恐竜。今はそいつに草食の彼氏が出来た」

 ヴィヴィアンが楽しそうに笑った。

「またぬいぐるみもらったん?」

「うん、恐竜が二つ」

「そいつか、ダンテの事かじっとったん」

「そうやで。ゆりちゃんのお腹が一番美味しいらしい」

 横で聞いてたハリーとウェスティンまで笑った。そこまでおもろい事でもないと思ってんけどな。

「ちなみに名前は?」

 ウェスティンが楽しそうにこっちを見て言うた。

「ジュラ子とジュラ男」

 それ聞いて、ハリーとウェスティンは二人でケラケラ笑い出した。やっぱり、あの名前は適当につけすぎたかな? でもジュラ男はミランダがつけたから、オレは関係ないし。

「もうちょっとマシな名前なかったん?」

「ルノは気に入ってたで」

 ヴィヴィアンが転がったまま言うた。

「ちなみに、なんでゆりちゃんのお腹がええの?」

「霜降りやから」

 転がってたヴィヴィアンが咳き込んだ。オレ、そんなにおもろい事言うたかな? 苦しそうに、ゲホゲホ言いながら笑ってる。

「失礼すぎるやろ」

「固い肉嫌いで、ミランダの肉は吐いとったで」

「おもろすぎるわ」

 戻ってきたジェームスが不思議そうな顔をした。

「何笑ってるんだ?」

「ルノのぬいぐるみがグルメすぎて」

 横を見たら、ハリーとウェスティンも苦しそうに真っ赤になって笑ってた。他の工作員もくすくす笑ってる。笑ってないのは真面目にメール書いてるおばちゃんだけ。

 ジェームスはヴィヴィアンに缶コーヒーを押し付けると、ベッドに座って自分はお茶を飲み始めた。

「ジェームスとヴィヴィアンは肉固そうやから食べてもらわれへんのちゃう?」

「それ、誉め言葉やんか」

 楽しそうなヴィヴィアンはジェームスを見上げると、起き上がった。

「ダーリン、蓋開けて」

「自分でやれよ」

「傷が痛むから」

 面倒くさそうな顔をしながら、ジェームスは黙ってヴィヴィアンの出した缶コーヒーの蓋を開けて押し付けた。冷たくヴィヴィアンを放置するジェームスは、気にせずお茶をごくごく飲んでる。

「飲ませて」

「いい加減にしろよ」

「うちは怪我人やで」

「どこがだ」

 ちょっと寂しそうなヴィヴィアンは、ジェームスの背中にくっついてコーヒーをゆっくり飲み出した。

 一応怪我人なんは事実なんやし、もうちょっと甘やかしたってもええと思うんやけどな。冷たく放置したままや。仲が悪い訳やないんやし、もうちょっと優しくしたってええと思うんやけど。

「よし、向こうにはメールしたから、こっちはそいつ連れて支部に戻ろか」

 おばちゃんはそう言うと、スマホをポケットにしまった。ハリーとウェスティンが片付けを始める。あんまり組まへん工作員のお兄さんが床に転がる男を引きずり起こした。

「忘れ物ないか?」

 おばちゃんは最後に部屋をぐるっと一周確認すると、ドアを大きく開けた。先にみんなが出て行ったあと、オレはおばちゃんと一緒に部屋を出た。その後ろをジェームスとヴィヴィアンがついてくる。

 打ち合わせ済みなんか、みんなバラバラに廊下に散っていく。オレはおばちゃんに手を引かれて病院の中を歩いた。後ろをジェームスがついてくる。ヴィヴィアンが元気なさそうな顔してる。

「なあ、ダーリン」

「なんだ?」

「手ぇ繋いで」

 ジェームスがめっちゃ冷たい目でヴィヴィアンの事を見てる。そんな顔せんと、手ぇくらい繋いだったらええのに。夫婦やん。

「お願い」

 ジェームスは面倒くさそうにしながら、ヴィヴィアンの手を握ると、ぐいぐい引っ張って歩き出した。ヴィヴィアンがめちゃくちゃ嬉しそうな顔してる。

 おばちゃんがあきれ顔でそんな猛獣夫婦を眺めてた。

 病院の広い駐車場の隅っこまで行くと、すでにあの病室におった全員が揃ってた。その全員が、面白そうにジェームスとヴィヴィアンを見てる。手を離そうとするジェームスにしつこくくっついたヴィヴィアンを笑ってるみたいやけど、ジェームスはそれを恥ずかしそうに引きはがそうとしてる。

「おい、離せよ」

「嫌や」

 ただ手ぇ繋いでるだけで、何やってんねやろな。何も恥ずかしい事してへんのに、ジェームスは真っ赤になった。それをヴィヴィアンが楽しそうに見てる。

 おばちゃんが迷惑そうな顔して、二人に言うた。

「後ろに二人で仲良く座ってええから、大人しくしててくれへん?」

「みんな怪我人なんだから、俺がやる」

「黙ってヴィヴィアンにくっついとけ」

 おばちゃんは面倒くさそうにそう言うと、まだ文句言うてたジェームスを一番後ろの席に押し込んだ。オレはそんな二人のひとつ前におばちゃんと一緒に座った。なんでそれだけの事で騒いでんのか、ジェームスはヴィヴィアンを押しのけようとして後ろで暴れてる。

「ヴィヴィアン、くっつくなよ」

「なんでそんなん言うんよ。ええやろ、チューしろとか言うてんちゃうやんか」

「暑苦しいんだよ」

「うち、泣くで」

「勝手に泣いてろ」

 隣りでおばちゃんがめちゃくちゃ迷惑そうな顔して座ってる。

 動き出した車はそのまま病院を出た。その間もずっとどうしようもない夫婦喧嘩で車内がうるさかった。今日くらい、ヴィヴィアンのわがまま聞いてあげてもええんちゃうの?って、オレはちょっと思った。

 ちょっと時間を掛けて、車は支部の裏に止まった。

 まだ喧嘩してるジェームスとヴィヴィアンは真っ先に車を降りた。降りたところで、二人は睨み合いながら、掴み合ってる。騒いだらあかんって二人ともちゃんと分かってるから、黙ったまま睨み合いになってるんやと思う。ホンマにアホやなって思うけど、当然オレは黙って二人を見てた。

 さるぐつわを噛ませた男はガレージに放り込まれて、オレらはそのまま支部の中に入った。相変わらず無言で睨み合いながら、ジェームスとヴィヴィアンはついてきた。

 玄関の隅っこに置いてたオレのスーツケースがそのままになってる。他はいつも通りや。

 オレはそのまま二階の食堂まで行った。

 横におったおばちゃんがデッカイ溜息をつくと、とうとうジェームスの頭を叩いた。

「怪我人なんやし、甘えさしたれよ」

「こんなに元気なのに?」

「ええやんか、別に。お前の嫁やろ」

 ヴィヴィアンが嬉しそうに笑う。

「せやんな、おばちゃん。ほれ、チューせぇ」

「誰がするか」

「ぎゅーしてチューして、それからお姫様抱っこして運んで」

 結構めちゃくちゃ言い出したヴィヴィアンは、ジェームスにしがみつくとギャーギャー派手に騒いだ。確かにこれだけ元気なんやったら、自分でやってくれって言いたくもなるかなってちょっと思う。そもそも、お姫様抱っこして、どこに運んでもらうんや?

 そしたら後ろから声が聞こえてきた。

「またやってんか?」

 クリントや。ちゃんとスーツ着て、あきれ顔でジェームスを見てる。

「もう嫌です、クリントさん。代わってくれ」

「それを嫁にしたの、お前だろ」

 ごもっともな事を言うて、クリントはオレに笑いかけた。

「おかえり。もう安心してくれ」

「クリント、オレどうしたらええの?」

「ダンテはそのアホ夫婦の面倒見て、仲良くさせとけ」

「そんな無茶な」

 嫌そうにヴィヴィアンを引きずりながら、ジェームスが後ろをついてくる。

「もう勘弁してくれ。散々、ヴィヴィアンのわがまま聞いただろ」

「チューはしてくれてへんで」

「だってヴィヴィアンそれしか言わないだろ?」

 ヴィヴィアンはちょっと悩んだ顔してから、床に座り込んだ。

「ううっ」

 ジェームスがそんなヴィヴィアンを見下ろして、面倒くさそうに呟く。

「どうせ、演技だろ」

「痛い」

 泣きそうな顔をしながら胸を押さえて、ヴィヴィアンはまた呻いた。痛い痛いって泣き出すと、ヴィヴィアンは座り込んだまま動かんようになった。

 食堂におった人がみんな、じーっとジェームスを見てる。どうせ、アホな事やってんなぁって思ってるだけやのに、ジェームスは恥ずかしそうや。

 しばらくして、我慢出来んようになったんか、ジェームスは面倒くさそうに頭をかくとヴィヴィアンの前にしゃがんだ。

「あーもー、分かったよ」

 ひょいっとヴィヴィアンを抱き上げると、ジェームスは立ち上がった。

「どこに運んでほしいんだよ?」

 めっちゃ嫌そうにジェームスはヴィヴィアンに訊いた。さっきまで呻いてた筈やのに、ヴィヴィアンはとびっきりの笑顔でジェームスにしがみつく。

「お布団」

「投げ捨てるぞ」

「なんでぇや」

 ジェームスは嫌そうにしながらも、一番近くの椅子にヴィヴィアンを下ろした。

「次騒いだら、殺してやるからな」

 そんな事絶対せぇへんくせに、ジェームスはそうヴィヴィアンを脅すと、その横に座った。嫌そうに足を組むと、クリントに言うた。

「東京の方は?」

「順調や。お前らアホ夫婦は寝ててええで」

「じゃあ俺はシャワー浴びて仮眠室で寝ます」

 ジェームスはそう言うと、ぱっと立ち上がった。ヴィヴィアンがジェームスの腕を掴む。

「待ってぇや。抱っこ」

「分かった、ちょっと待て」

 そう言うと、ジェームスは腰の辺りをごそごそやって銃を引っ張り出すと、それをヴィヴィアンに向けた。流石に笑えんようになってきた。

「ちょっと、何考えてんの。それ、本物やんか」

「言っただろ? 次騒いだら殺してやるって」

 こんなところで本気の喧嘩をされたらたまったもんやないから、オレはジェームスとヴィヴィアンの間に割り込んだ。

「ジェームス、銃はあかんって」

「そこどけ、ダンテ。そのイノシシは殺処分だ」

「殺すんやったら下のジムやって。食堂で騒がんといて」

 ヴィヴィアンがショック受けたような顔してオレを押しのけた。

「なんでちょっと甘えただけで殺されやなあかんの?」

「ちょっと? どこがちょっとだ。牡丹鍋にしてやる」

「何ぃや。素手で勝たれへんからって、怪我人に銃向けるんか? このアホバカゴリラのクソジャージ!」

 もう無駄な気がしてきた。

 大体、牡丹鍋ってなんやねん。ちゃんと殺した後は食べるんか。そういうところだけ、命を大事にしてどうすんねん。殺してもたらあかんやろ。

 うんざりしてたら、クリントがジェームスから銃をひったくった。

「食堂で銃持って暴れんな。ヴィヴィアンも言いすぎや」

 ジェームスがイライラした顔でヴィヴィアンを睨んだ。ヴィヴィアンがジェームスに掴みかかった。

「ちょっとヴィヴィアン」

 仮にも怪我人が何考えてねん。いくら何でも酷すぎる。止めようとして、オレはヴィヴィアンにしがみついた。

「やめてぇや」

「あのジャージ、一発殴らな許せん」

 ジェームスがヴィヴィアンに向かって笑った。

「やれるもんならやってみろよ、イノシシ女」

 それを聞くなり、ヴィヴィアンはオレを振り払ってジェームスを殴った。痛そうなやつがジェームスの顔に当たる。変な声出して吹っ飛んだジェームスが、食堂の壁に思いっきりぶつかった。

 いつもやったら壁に穴あくところやけど、怪我人やからかそこまではいってない。

 もうオレ、知らん。

 諦めてオレは後ろに下がると、クリントの後ろに隠れた。怪我したくないもん。

 ジェームスはヴィヴィアンに掴みかかると、仮にも怪我人の胸を押した。そこ、絶対傷口やと思うんやけど。やる事が汚い。流石は工作員。

 ヴィヴィアンが悲鳴を上げた。

 真っ赤な顔してジェームスの足を踏みつけると、これまた怪我人とは思えない見事な回し蹴りをお見舞いする。

 ジェームスはそれを避けると、ヴィヴィアンの顎に一発痛そうな拳をぶつけた。

 そこへ、つかつかとおばちゃんが近寄ってきた。二人の髪の毛を掴むと投げ飛ばして、その頭を一回ずつ蹴りつけた。

「このバカ夫婦、ええ加減にせぇ」

 オレ、この二人の息子なん恥ずかしくなってきた。

 なんでもうちょっと仲良く出来ひんのかな。アランとクラリスみたいに四六時中イチャイチャしろまでは言わんから、もうちょっとでいい。普通に仲良くしてくれへんかな?

 そもそもジェームスはヴィヴィアンの傷口狙うとか、悪質すぎる。工作員やからなんは分かるけど、自分のお嫁さんにやる攻撃ちゃうやろ。

 床に転がって仲良く呻いてる夫婦を眺めて、オレは溜息をついた。

 こんな時に、なんてアホな喧嘩するんやろ。

 オレ、もう嫌や。

 せめて喧嘩せぇへん夫婦の子になりたい。いや、喧嘩くらいしてもええよ。口喧嘩やったらなんぼでもして。殴り合いせぇへん夫婦やったらどこでもいい。マジで、普通の子になりたい。

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