09

 呻き声を上げるジャメルに、俺はくっついて座ってる。ムーランを抱いたまま、静かに大人しくしてた。遊んでたら、ゆりがウザいって言うからや。

 すぐ横でゆりがミランダと流行りのジェルネイルとかいうのについて喋ってる。あれは暗号やと思うんよ。何言うてんか、全然分からん。なんか知らんけど、可愛いんやそうやで。

 部屋の床には俺が並べた、デート中のジュラ子さんとジュラ男さんがいてる。邪魔したら可哀想やから、俺はムーランとギャレットを抱いて見てんねん。

 ジャメルの足はめちゃくちゃ腫れてて、酷い色してる。たまたまゆりがロキソニン持ってたから飲ませたけど、それももう残ってない。薬が切れて痛いんか、脂汗かきながらジャメルは座ってる。

「ルノ、酒くれ」

「ないで」

 飲ませてあげれたらええんやろけど、残念ながら俺は薬飲んでたから冷蔵庫にワインの買い置きとかしてへん。ゆりもダンテも酒飲まへんし、寮の冷蔵庫にはお茶とカップラーメンくらいしかない。

「あー、くそ。ジジはどこだよ」

「分からん」

「あの妙な薬は?」

「ない」

 痛いからって、麻薬みたいな薬飲んでもあかんと思うんやけどな。俺もちょっと切れてきたんか、だいぶ落ち着いてきた。もうしょうもない事では泣かへんで。

 でも親友が呻いてんのが不安すぎてヤバい。

 まだ楽しそうに爪の話で盛り上がってる女二人は、こっちに見向きもせん。特にゆりはフランス語分からんから、ジャメルが何言うても困った顔するだけや。

「痛い。もう無理。痛すぎる」

 ジャメルが俺に向かって言うた。

 ミランダがジャメルをちらっと見た。

「痛そうやな。ロキソニン、もうないんやろ?」

「さっきので最後」

「うーん、困ったな」

 ゆりは不安そうに俺にくっついて座ると、ティッシュを出してきてジャメルの汗をそれで拭いた。それから俺に言う。

「もうちょっと我慢してって言うて」

 俺は言われた通りジャメルに伝えた。でもジャメルが俺に掴みかかってくる。

「我慢出来たら呻いてねぇんだよ。ゆりに薬買って来させろ」

「そんな無茶な。俺ら外出られへんねから」

「ルノ様、どうにかしろよ。親友だろ」

 ジャメルに揺さ振られて、俺はふと思い出した。

「お前、姉ちゃんの薬の予備って持ってへんの?」

「持ってたらなんだよ」

「姉ちゃん、肩こりの薬飲んでる筈やで。あれ、痛み止め入ってんちゃうの?」

 ジャメルはズボンのポケットから、小さいプラスチックの入れ物を出した。そんなにいっぱい飲んでなかった筈やから、すぐに分かるんちゃうやろか。

 中の薬を床にバラまいたら、ミランダが小さいのを一つつまんだ。

「ボルタレンあるやん」

「なにそれ」

「痛み止めや。ロキソニンほどは効かんと思うけど、これ飲んどき」

 俺は立ち上がると、冷蔵庫からお茶を出してコップに注いで戻った。ミランダがジャメルの手に薬を出してる真っ最中や。お茶を渡すと、薬と一緒に飲み干す。

 多分全然分からんと見てるゆりが床に散らばった薬を拾って言うた。

「これは?」

「姉ちゃんの薬の予備」

「なんでジャメルさんが持ってんの?」

「あの姉ちゃんやぞ? 持たせたって飲まんとポケットに入れたまま洗濯機に入れるに決まってるやろ」

 ゆりは不思議そうに薬を見ながら、元の入れ物に詰めた。

「どれがその強力な薬なん?」

 そしたらミランダがグレーのカプセルを指差した。

「それや、合法覚せい剤って呼ばれてるやつ」

「なんでジジはそんなヤバい薬飲んでんの?」

「飲まんかったら集中力なくなって、じっとしてられんようになるんちゃうかったっけ?」

 何故か姉ちゃんの事をよぅ知ってるミランダが言うた。

「俺もよぅ知らんけど、それのせいで寝つき悪いから睡眠薬も飲んでる筈やで」

「そこまでせなあかんほどじっと出来んの?」

「昔はもっとヤバかったで。よく癇癪起こして泣いてた」

 俺がそう言うと、ゆりがふーんって言いながら入れ物の蓋を閉めた。ジャメルに渡すと、俺の肩にもたれかかってきた。

「これからどうしたらええんやろ」

 なんも言われへんから、俺はギャレットをゆりにくっつけた。

「ゆりさん、ぼくがついてますよ」

「お前がおっても意味ないがな」

 ちょっとイライラしてそうなゆりは、そう言うとギャレットにデコピンかました。痛そうやったから、俺はギャレットをさする。

「可哀想やろ」

 そしたらゆりはデカい溜息をついた。

「ミランダ、ルノってこのままなん?」

「だいぶマシになってきたやん」

 俺もそう思う。

 ちょっと前まで、一人でずっとジュラ子さん達のデートに付き合ってたくらいにはイカレてた。その時はやってんのが楽しくてしゃーなかってんけど、今はそれがいかにヤバかったんか、ちゃんと分かるくらいにはマシになった。

 すでに薬の切れてたジャメルに何回も笑われて、バカにされたら悲しくて涙が出たし、そのうち放置されて寂しくなった。でも今はそこまでやない。

 二人っきりにさしたった方がロマンティックかと思って、ちょっと離れたところにくっつけて座らせてあげてる。幸せそうな二人の背中見てるだけで、俺は十分楽しい。

 でもゆりは不満そうや。

「ぬいぐるみのデートプラン練って遊んでたやんか」

「少なくとも静かになったやろ」

「クマさん抱いてますけど?」

 ゆりはムーランを指差すと、頭を抱えた。

「何よあれ。うち、流石にドン引き」

「あんなん可愛い方やろ」

 ミランダは笑うと、ゆりに言うた。

「ゆりちゃん、うちが最初にギャレットあげた時はもっと凄かったで」

「ぬいぐるみのデートより?」

「シロクマに心肺蘇生して、布団に埋葬しとったぞ。ルノワール神父が別れの言葉、大真面目に言うててヤバかったで」

 俺、そんな事したっけ?

 少なくとも、ダンテは一緒に遊んでくれたぞ。ゆりみたいにあきれた顔して、冷たい事言わんかった。めっちゃ楽しかったの、なんとなくやけど覚えてる。

「一人で寝られへんからって、山盛りのあみぐるみに埋もれて寝てたで。ご飯の時には必ずギャレット連れて来て、一緒に飯食うし」

「あの薬ってそんなんなんの?」

「ルノがたまたまそうなっただけや。同じの飲んでも、そっちの黒人はエロい事しか考えてないやんか」

 ゆりがじーっとジャメルを見てからミランダに訊いた。

「そうなん?」

「ルノとの会話、痛いかジジとヤりたいしか言うてへんで」

「嘘やん」

 俺は意味の分かってなさそうなジャメルを見てから、ゆりに向かって頷いた。

「ジャメルさん、そんな奴やったん?」

「そんなんやなかったらなんやと思ってたん?」

「もうちょいしっかりしてるんかとばっかり」

 ゆりがどう思ってたんかは知らんけど、俺にはジャメルはジャメルやからな。こいつからエロを取ったらなんも残らん気がする。ああ、ハシシは残るか。その他はなんもない気がする。

 多分、ミランダもゆりの考えてる事が理解出来んかったんやろ。不思議そうにゆりを見つめて呟いた。

「うちがこいつらから話聞いた時、エロ系の話題以外を引っ張り出すのに二時間も掛かってんで? ルノはともかく、その黒人はマジで事あるごとに体触ってきてキモいのなんの」

 まあジャメルならやりそう。でも嫌そうな顔したらジャメルは手を引くと思うんやけどな。そんなにしつこく触りにいくタイプでもない。話を聞くためにそれっぽく近寄ってきたって事やろか。

 俺は全然、覚えてないけど。

 黙ってムーランに顔をうずめたら、ジャメルも俺にもたれかかってきた。

「ルノ、今オレバカにされてる?」

「ゆりにはもっと普通の奴に見えてたらしいで。ジャメルが姉ちゃんとヤる事しか考えてないって言うたらドン引きしてる」

「お前、親友だろ? もっといいところあるって言えよ」

「例えば?」

「デカくて太いちんこで、持続力は人並外れてるとか」

 俺、マジでどうすればええねん。

 これ以上、親友をド下ネタのクソ野郎やと思われへんようにとか、してあげられそうにないやんか。ダンテにゲスイ下ネタ仕込むより難しそうなんやけど。

 それを聞いてたミランダが、頭を抱えた。わざわざそれをゆりに日本語にして聞かせるから、ゆりはめちゃくちゃ嫌そうな顔をした。

「ルノもなん?」

「俺、流石にここまでやないと思う」

 ごめんやで、ジャメル。俺、お前みたいにはなりたくない。せめてもうちょいマシな奴でおりたい。

 でもミランダが俺を見て言うた。

「お前も大差ないやろ。ルノがうちに言うた第一声、口説き文句やったで」

「それ、ホンマに俺が言うたん?」

「その後、二人で勝手に三十分、デカい胸の女がいかに凄いかを語って、勝手に酔っ払ってへべれけなったやんか」

 ジャメルやったらやりそうやけど、俺もやったんかなそれ? マジでなんも覚えてないんやけど。まあ、酔ってたんやったらやりそうではあるけど。でもそこまで酔う事、滅多にないんやで?

 俺はちょっと元気になったジャメルに訊いた。

「お前、この女とフランスで喋ったの、覚えとる?」

「覚えてんぞ。ルノがぐでんぐでんのところに来て、お前の話が聞きたいとか言ってたと思うけど」

 なんでジャメルは覚えてんねん?

 俺、そんなに酔っとったんか?

 ミランダは急にフランス語になると、ジャメルに向かって言うた。

「お前ら、うちに胸のデカい女について語ったよな?」

「そこまでは覚えてねぇよ」

 ジャメルはそう言うと、俺にもたれたまま言うた。

「あの女、てっきりお前に気があるのかと思ったんだけど」

「なんで?」

「ぬいぐるみ、いっぱいくれたんだろ?」

「それはそうやけど」

 ムーランを見てたら、ミランダがめちゃくちゃ嫌そうな顔して言うた。

「うち、年下は好みちゃうんよ。ぬいぐるみ抱いてない、もっとカッコいい男探すわ」

 イラっとして、俺は言い返した。

「ムーランくれたん、お前やんか」

「ルノがギャレット持って、一日遊んでるからやろ。好きなんかと思って持ってったったの」

「もらったの、嬉しかっただけや」

 全然分かってないゆりがミランダに言うた。

「なんの喧嘩してんの? 怖い」

「うちがルノなんぞに興味あると思ってたなんて、アホな事言いよるから」

 ミランダはそう言うと、ゆりに向かって言うた。

「ホンマに、男ってアホやな」

「それはそう」

 ゆりはそう笑うと、俺にもたれかかってきた。なんか俺、ジャメルとゆりにくっつかれて、すっごい狭い。しかも重い。なんで俺にくっつくんや?

「なんでくっつくんよ」

「ええやろ」

「俺、ジャメルにもくっつかれて重い」

 そう言うたらゆりはもっと体重掛けてきた。

「重いって言うてるやんか」

「まだうち、お相撲さんになってません」

「あんな体でのしかかられたら、俺が潰れてまうやろ」

 ミランダは楽しそうに笑うと、ジャメルの横に座った。二人で楽しそうに姉ちゃんの話を始めたから、俺はゆりにのしかかった。

「何すんねん」

「しかえし」

 ゆりにくっついてたら、ドアをノックする音が聞こえた。変なリズムでドアを叩いてるから、ちょっと怖い。なんやろ、一体。

 起き上がって身構えた。目の前におったゆりにムーランとギャレットを押し付けると、俺はちょっとだけ前に出る。

 ミランダが普通にドアに向かって歩いて行く。

「落ち着け、モールス信号や」

 そうは言われても、怖いもんは怖い。俺にはモールス信号なんか分からんもん。なんやねん、それ。美味しいんか?

 ミランダはドアを何回か叩くと、鍵を外した。ゆっくりノブを回してドアを押す。

「はい」

 ゆりがすぐ後ろで、ムーランとギャレットにしがみついて震えてる。

 全然見た事のないおっちゃんが立ってた。お爺ちゃんとおっちゃんの間くらいの年の、日本人っぽいおっちゃんや。一人みたい。

「あれ、金髪って聞いたんやけど」

 おっちゃんは困った顔でそう言うと、ミランダを見てほっぺたをかいた。

 可愛らしい感じのおっちゃんはハゲかけた白髪まみれの頭をしてて、日にはこんがり焼けてた。今から釣りに行くんかって感じのベストを着てて、眼鏡を掛けてる。でもお腹がでっぷり出てたりする訳でもなく、立ち姿もしっかりしてる。

「それは中にいてます。安心して下さい。うちは協力者です」

 ミランダはそう言うと、おっちゃんを中に入れた。

 おっちゃんは俺らを見ると、ちょっと安心したような顔で笑った。すっごい優しそうなや。

「ああ、おったおった。またえらいきれいな顔した子やな」

 おっちゃんはそう言うと、俺の前にしゃがんだ。何故か英語で名乗るから、俺はおっちゃんに言うた。

「俺、日本語の方が得意やで」

「そうか。よかったよかった」

 おっちゃんは俺の頭を撫でると優しく笑った。

「僕、元工作員のソロモンや。よろしくな」

 なんかそんなふうには見えへんおっちゃんや。田舎のお爺ちゃんみたいな雰囲気の、ふわふわした優しそうな人やねん。ムーランを人間にしたみたいやって、俺は思った。

「誰かのぬいぐるみも回収したってくれって聞いてんけど、どれや?」

 一体誰の指示や?

 ゆりがちょっと離れたところに座ってたジュラ子さんとジュラ男さんを引っ張り寄せると、持ってたムーランとギャレットと一緒に見せた。

「これです」

「君がリリーか? よし、君はそれ持ってついておいで」

 俺はおっちゃんの手を引っ張った。

「待って待って、ジャメルは足折ってるし、おっちゃん一人じゃ無理や」

「お前がルノくんやろ? 君はその子に手ぇ貸したげて」

「え?」

「大丈夫や。おっちゃん、あの猛獣夫婦よりよっぽど強いで」

 それ、本気で言うてる?

 呆然としながらおっちゃんを見てたら、おっちゃんは気にする事なく、ミランダを見た。

「もう一人、行方不明の工作員がいるんやっけ?」

「はい」

「とりあえず君ら先に逃がしたるわ。そっちはそれから考えよか」

 おっちゃんはそう言うと、ベストのポケットから小さい銃を一つ出すと、俺に持たせた。

「今、銃使える状態か?」

「多分大丈夫」

「よし、無理はせんでええ。援護射撃だけや」

 なんか、すんごい手慣れてるみたいな言い方で、おっちゃんは武器を構えた。俺はジャメルに手を貸すと、どうにか立たせて一緒に歩いた。

「君、名前は?」

 おっちゃんはミランダに訊いた。

「ミランダ。うちはスタートリガー社の人間ちゃうで」

「分かった。ミランダは逃がしたのがバレたらマズい立場か?」

「そこまでマズくはないけど」

「まあええや。ミランダちゃん、抵抗するフリしてくれる? 君を人質にして逃げるわ」

 おっちゃんはそう言うと、ミランダのおでこに赤いのを塗った。殴られたように見える。なんでそんな事出来んねん? しかもそれ、めちゃくちゃ慣れてるように見える。

 おっちゃんはちゃちゃっとやると、ミランダの腕を掴んで背中に銃を押し当てた。

「思いっきり悲鳴上げてや」

「了解」

 ミランダはにこっと笑うと、息を吸い込んだ。思いっきり悲鳴を上げると、バタバタと暴れ出した。おっちゃんはそれを捕まえたまま、ミランダに銃を向けてゆりに言うた。

「君、ドア開けて」

「はい」

 おっちゃんが出た後、俺らとゆりが出た。

 めちゃくちゃ冷たい風を浴びて凍えそうになりながら、俺はジャメルを担いで歩く。これ、絶対風邪ひくわ。俺、ペラペラのパジャマ一枚なんやから。

 おっちゃんは俺とゆりに指示をしながら、ささっと道に出た。目の前に止まったデカい車に俺とジャメルが乗り込むのを確認してから、ミランダの背中を蹴っ飛ばす。

「ありがとう」

 そのまま車に乗り込みドアを閉める。おっちゃんは最後まで警戒をやめる事なく辺りを見回したままや。大きい車はそのまま道路に出ると走り出した。

 ほっとして、俺は車の中を見た。

 見知った顔がこっちを向いてる。

「ルノくん、ゆりちゃん、大丈夫か?」

 ジェーンがそう言いながら俺とゆりを見る。

 頷くと、ゆりも横で泣きそうな顔して頷いた。横で歩いたからやろ、うんうん唸ってるジャメルを見て俺は言うた。

「ジャメルの足折れてんねん。薬ない?」

「もうちょい我慢してくれたら病院や」

 ジェーンが言うから、俺はジャメルにちゃんと病院まで連れてってくれるから、もうちょい我慢せぇって言うた。ジャメルもそれやったらって頷いた。

 俺はゆりに訊いた。

「みんなは?」

「ああ、ギャレットやったらここにおんで」

 ゆりは俺にギャレットを渡してから、腕の中のムーランらを見せてくれた。ほっとして、俺はギャレットに顔をくっつけた。

「よかった」

「ところで、ルノ」

「何?」

 ゆりがムーランを見ながら笑った。

「ムーランからルノの匂いするんやけど、どんなけ毎日抱いてんの?」

「俺のなんやからええやろ。毎晩一緒に寝てんの」

「それでか。ルノの匂いめっちゃする」

 ゆりは楽しそうに笑うと、ムーランの頭を撫でた。おっちゃんはのほほんとした顔で、ゆりに訊く。

「ルノくんはそのぬいぐるみが大事なんか?」

「めちゃくちゃ大事にしてます。ないと寝られへんねんで」

 楽しそうに笑いながらそう言うと、ムーランの頭を嗅いだ。

「やっぱりルノの匂いする」

 そんなに笑わんでもよくない?

 俺は恥ずかしくなって下を向いた。

 しゃーないやん。ムーランとギャレットがおらんな寂しいんやから。あれだけ毎晩抱いたまま寝てんねんもん、俺の匂いが染みついてとれへんねん。最近、マジで枕みたいな匂いするようになってきたからな。

 でもゆりはムーランの頭を撫でて言うた。

「ムーラン、ルノに愛されてんなぁ」

 ジェーンはそんなゆりを見て安心したんか、おっちゃんの方を見た。

「ソロモンさん、この子らどうしましょう?」

「手筈通りに保護したら、治療して大阪支部に。僕はまたあそこ戻って、もう一人の救出に行くわ」

 俺はゆりの横でニコニコしてるおっちゃんに言うた。

「待って、それ俺も連れてって」

「なんで?」

 おっちゃんは不思議そうに俺の事を見た。

「もう一人って、キティってコードネームの女やろ?」

「そうやけど」

「それ、俺の姉ちゃんやねん」

 優しそうなおっちゃんは、銃をしまうとこっちを向いた。

「そうか、お姉ちゃんか」

「待ってんの嫌や。俺も連れてってぇや」

 おっちゃんは手を伸ばしてくると、俺の頭を優しく一回撫でた。

「分かった、ええよ。でもそのぬいぐるみ置いてくって約束してくれへんか? おっちゃん、流石にぬいぐるみの安全までは保証出来ひんで」

 俺は自分が抱いてたギャレットを見下ろした。ぎゅっと一回抱きしめると、覚悟を決めて頷いた。

「分かった。それでええから連れてって」

 ギャレットの頭にキスをすると、ゆりに言うた。

「ギャレットらに意地悪せんと、一緒におってくれる?」

「うん、ええよ」

 ちょっと困った顔したゆりが、こくっと一回頷いた。俺はギャレットの顔を見てから、もう一回キスしてゆりの手に渡した。

「大事にしてくれる?」

「もちろん」

 ゆり、ホンマにギャレットらに意地悪せんかな? ムーランが臭いとか言うたり、ジュラ子さんその辺に置きっぱなしにするとか、そういう事せぇへんかな? ギャレットの事、一人にせぇへんかな? ちょっと心配。

 きっと俺、凄い顔してたんやと思う。

 ゆりは俺のほっぺたつまむと引っ張った。

「痛い」

「大丈夫。ちゃんと大事にするよ」

「絶対やで」

 俺はゆりにそう言うと、持ってた銃をしっかり握った。


 ソロモンのおっちゃんは、凄いしっかりしてる。支部長やヴィヴィアンみたいに、ズカズカ敵のおるところに潜入したりせん。ちゃんと注意しながら入っていって、きちんと俺に合図をしてくる。

 ホンマにおっちゃんとは思えへんほどの動きをしてて、俺が敵と当たる前に、ちゃちゃっと簡単にやっつけてまう。俺はその敵を目立たんところに押し込む事しかやれてない。

 きっとこのおっちゃん、ホンマにめちゃくちゃ強いんやと思う。俺みたいなんが敵わん相手なんはすぐに分かった。

 たまに腰が痛いとか言いながらストレッチしてるけど、マジでそれ以外はしゃきっとしてる。

 倉庫でちょっと休憩しながら、おっちゃんは俺に言うた。

「あのぬいぐるみ、みんな名前があるん?」

「うん。もらってん」

「そうか、おっちゃんも知り合いにもらった犬おんねん」

 おっちゃんは銃に弾を詰めながらにっこり笑った。

「どんな犬なん?」

「うちの子、柴犬やねん。フランスにも柴犬っていてんの?」

「日本の犬なん?」

「そうやで。めちゃ可愛い」

 たまに見掛ける見た事ない犬、そう言えばおったなってちょっと思い出した。明るい茶色でお腹白いやつ。顔が独特でめちゃ可愛い。日本では一般的みたいやけど、俺はああいうのあんまり見た事ない。

 俺も犬飼いたかったけど、自分らの事で精一杯で無理やった。特に散歩は無理やと思って、諦めたんよ。一回ジャンヌが捨て犬拾ってきたけど、すぐに誰かに譲ったっけ? あれ、マジで可愛かったな。

 俺はおっちゃんに訊いた。

「名前は?」

「ポチ」

 おっちゃんはニコニコしながらそう言うと、俺の肩を叩いた。

「君のクマさんは? 名前なんていうの?」

「ゆりに預けたのはムーランとギャレット」

「いっぱいいてんの?」

「うん。ミランダが会うたんびにくれる」

 ちょっとだけ恥ずかしくなって、俺は下を向いた。

 こんなん、きっと普通の人にやったら話せへん。恥ずかしいやんか。でもなんか、このソロモンっておっちゃんは不思議な雰囲気してて、つい言うてもた。このおっちゃんに隠し事すんのってめちゃ難しい気がした。

「ミランダちゃん、ルノくんと仲良くしたいんやな」

「仲良く?」

「せや。君が喜ぶの、きっと嬉しいんやで」

 おっちゃんはニコニコしながらそう言うと、立ち上がった。俺も銃を握って立ち上がる。

「ルノくんのお姉ちゃん、似てんの?」

「いや、全然似てない」

「そうか。しゃーないな、女に手は出さんと進むしかないな」

 おっちゃんはそう言うと、廊下の方をちらっと見た。

 声が聞こえてくる。

「ハゲかけのおっさんが一人で乗り込んできた?」

「凄い強かったです」

「本当にミランダが太刀打ち出来ないような相手だったのか?」

「だからそうやって言うてるやないですか」

 どうやらミランダがすぐ近くで誰かと喋ってるらしい。誰と喋ってんかは分からんけど、男の声が疑うようにミランダに向けられてる。

 緊張してるせいやろか、頭がガンガンする。

 おっちゃんは真面目な顔しながら外を見ながら、静かにそのまま立ってる。落ち着こうとすればするほど、しんどくなってきた。

 ちらっとこっち見ると、おっちゃんが言うた。

「大丈夫か? ここで待っててくれる? すぐ戻ってくるから」

「大丈夫やから、置いていかんといて」

 俺はゆっくり息をすると、おっちゃんを見つめた。

「姉ちゃんが心配なだけやから」

「分かった。でもホンマにしんどくなったら言うてや」

 おっちゃんに言われて、俺は大きく頷いた。

 こんなところで座って姉ちゃんを待つとか、絶対嫌や。俺も探しに行きたい。不安なまま、座ってるとか我慢出来ん。動けるんやから、ちゃんとやるんや。

 必死でそう言うと、俺は銃を握り直した。

 嫌な汗が出てる。寒い筈やねんで? 俺パジャマしか来てへんねから。せやのに、俺はなんでこんなに汗かいてるんやろ?

 手の甲で顔の汗をふくと、もう一回深呼吸をした。

 大丈夫。俺はパリじゃ有名な不良のルノ様やぞ? ポリ公相手にめちゃくちゃやって、パトカーに火炎瓶投げつけた、パリの悪魔のルノ様や。いろんな女といっぱいヤッて、女を泣かせまくったんやぞ? ギャレットが一緒やないくらい、どうって事あれへん。今更何が怖いって言うんねん。

 おっちゃんは廊下の様子を伺いながら、ゆっくりドアを開けるとそのまま出て行った。ちょっと離れた壁まで行くと、ちょいちょいと手招きして俺を呼ぶ。

 俺はそっと廊下の様子を確認すると、おっちゃんの方に向かって走った。おっちゃんの横に立って、壁に背中をくっつけるとゆっくり深呼吸をする。

 おっちゃんは俺の顔を見ると、そのままゆっくり前に向かって歩き出した。

 しばらくすると、怒鳴り声が聞こえてきた。

「ふざけんな! 弟に会わせへんねやったら、仕事なんかやらん」

 姉ちゃんや。

 俺はおっちゃんの服を引っ張った。不思議そうな顔してこっち見るから、俺はおっちゃんの耳元に顔を近付けて小さい声で言うた。

「あれ、姉ちゃんの声や」

 おっちゃんは笑顔で頷くと、声の聞こえてくる部屋のドアに近寄った。俺はおっちゃんの反対側に立って準備すると、一回大きく頷いた。ノブに手を掛けると、おっちゃんは勢いよく中に飛び込んでいった。

 後ろを追ったら、すでに姉ちゃんとヘイリー以外は倒れてるような状態やった。

「ルノ」

 姉ちゃんはこっちを見ると、俺の顔を見てほっとした顔をした。俺はさっき拾った銃を姉ちゃんに投げると、目の前のヘイリーに銃を向けた。

「手ぇ上げろ」

 でもヘイリーは手を上げんかった。

「ランボルギーニさんから訊いたよ。君、殺せないんでしょ?」

「でも撃たれへん訳ちゃうぞ」

 俺は迷わず銃をヘイリーの足に向けると引き金を引いた。赤い血が出て、ヘイリーは痛そうに悲鳴を上げるとその場に倒れる。量は多くないけど返り血を浴びて、嫌な気分になった。

 おっちゃんが銃をヘイリーに向けたのを確認して、俺は姉ちゃんにしがみついた。

「姉ちゃん、生きてた」

「勝手に殺さんといてくれる?」

 迷惑そうな顔をした姉ちゃんは、俺の頭を軽く叩くと、おっちゃんを見上げた。

「ああ、僕ソロモン。君がキティやね? 助けに来たで」

「なんでルノまで?」

「君の事凄い心配してたから」

 おっちゃんはそう言うと、ヘイリーの前にしゃがんで言うた。

「君が東京支部の裏切者であってるか? 死にたくなかったらなんで裏切ったんか聞かしてくれる?」

「聞いたら殺すんでしょ? お爺ちゃん」

 おっちゃんはヘイリーの頭のすぐ横を打ち抜いた。

「名前は?」

「ヘイリー」

 ヘイリーはちょっと悔しそうな顔で答えた。

「ヘイリーはいつからランボルギーニの下におるん?」

「さあ」

「分かった。もうええわ」

 おっちゃんはひょいっと立ち上がると、ヘイリーの頭を撃った。血しぶきが飛び散って、ヘイリーは動かんようになる。すぐそばにおった俺もそれを浴びて、両手が真っ赤になった。

 俺が殺した訳でもないのに、手がガクガク震えてくる。どうしよう、こんなところで動かれへんようになったら迷惑なだけやのに。

 泣きそうになってたら、姉ちゃんが俺の事を抱きしめてきた。

「落ち着け。大丈夫や」

 姉ちゃんはそう言うと、俺の頭を何回か撫でた。

「ルノが無事でよかった」

 おっちゃんがこっちに近寄ってくると、姉ちゃんに訊いた。

「この子、血ぃあかんのか?」

「そういう訳やないけど」

「なんかずっと様子がおかしかった。悪いけど、その子の事見といてくれる? 君らの事守るくらいやったら余裕やから任せて」

 おっちゃんはそう言うと、外の様子を確認して言うた。

「ちょっと待っててや。数減らしてくるわ」

 姉ちゃんは頷くと、俺をその場に座らせた。

 情けないほど体が震えてる。どうにか泣かんようにだけしてたら、姉ちゃんが俺にしがみついて言うた。

「あのおっちゃん、何者なん?」

「分からん」

 俺はそう返事すると、ヘイリーに背中を向けて座った。吐き気がする。なんでや? 俺はこいつが好きやった訳ちゃう。死んでもなんとも思えへん筈やろ。でもなんか、めちゃしんどい。

 臭くない姉ちゃんにくっついて、必死で落ち着こうとしてたら、もうドアが開いた。

「行けるか?」

 ソロモンのおっちゃんや。早ない? いくらなんでも早いと思うんやけど。

 姉ちゃんに引っ張られて立ち上がると、持ってた銃を落っことしそうになった。姉ちゃんは俺の手から銃をとると、そのままズボンの腰のところに入れた。

「自力で歩いてや」

 しゃーないから頷くと、俺は最後にちらっとだけヘイリーを見て廊下に出た。

 凄い事にひとけの全くない廊下をには、おっちゃんが殺したらしい人がいっぱい転がってた。血まみれの廊下を歩いて行くと、姉ちゃんがわおって呟いた。確かに、「わお」や。数減らすってレベルちゃうやろ。

 気を付けて歩いててんけど、途中で一回血を踏んで滑った。しゃーないやん、血まみれやってんから。こけへんかったけど、それでも姉ちゃんにあきれた顔で睨まれた。

 どうにか外に出ると、おっちゃんは乗ってきた車のドアを開けた。

「君ら、先乗り」

 おっちゃんはそう言うと、周囲を確認してた。姉ちゃんに背中を押されたから先に後ろの席に乗り込むと、姉ちゃんがすぐ横に座った。

 おっちゃんは運転席に座ると、のんびり運転を始めた。

「ちょっと我慢してや」

 すっごい安全運転で、おっちゃんはそのまま東京を出た。車はだんだんひとけのない道に出て行く。

 暗くなってきて、外を見てると眠くなってきた。しっかりせなと思って、俺はあくびを噛み殺して座ってた。

 チャイナタウンをすぎると、車は大きいホテルみたいなところで止まった。

 おっちゃんはこっちを向くとにこっと笑った。

「よし、二人ともそこの黒い上着着てくれる? 着たら部屋に行こう」

 俺は置いてあった黒のロングコートを姉ちゃんに渡すと、自分もそれを羽織った。これやったら返り血も分からへん。なるほどと思いながら外に出たら、おっちゃんは俺に言うた。

「疲れたやろ? お風呂入ったらもう休みぃや」

 ホンマに優しいおっちゃんやと思った。


 口唇になんか当たってる。

 また夢やろか? くたくたなんやからこんな夢見たくない。ぐっすり寝かしてくれ。

 真っ暗でよぅ分からん。

 でも俺に覆いかぶさってるのは、きっとゆりや。赤い前髪が見える。何故か今日も俺の手首を押さえつけて、俺の事を見下ろしてた。

「無事でよかった」

 ゆりはそう言うと、俺の頭をゆっくり撫でた。それからほっぺたに触って、またゆりの方を向けさせる。

 またやって思って、俺は目をつぶった。

 胸がぎゅって苦しくなる。心臓がうるさくて、頭がぼうっとしてきた。しんどい。こんなん嫌や。

 でもなかなか口唇が降ってけぇへん。

 俺はゆっくり目を開けた。

 目の前におったゆりは楽しそうに笑うと、俺の胸の上にムーランをのせた。それから頭の横で何かやってから、俺の横に転がる。

 頭をゆりの方に動かしたら、ゆりは俺にくっついてきて、そのまま寝息を立て出した。

 あれ? なんかおかしい。

 俺は左手でムーランを抱くと、右手でゆりのバスローブを引っ張った。

 ゆっくり目を開けると、ゆりは俺のほっぺたを撫でて笑った。

「どうしたん?」

「なんもない」

 俺、寝ボケてギャレットにキスしただけか? ゆりにからかわれたんかもしれん。ゆりやったらあり得る。

 そのままゆりにしがみついて、俺はもう一回目をつぶった。

 もやもやするけど、体温が気持ちよくて落ち着く。胸はちょっと苦しいけど、疲れてしんどいからこのまま寝られそうや。マジで疲れた。

 今日はもう、夢なんか見ぃひんかったらええな。

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