第8話 最後の切り札
第6章
雪も降り始める冬休み前。学校の帰りに僕は矢沢工務店の親方に会いに来ていた。こんなことを相談できる大人はこの人しかいないと思った。「お、歳三、冬休みのアルバイトの相談か?」工務店の工場で木材加工の作業をしていた親方は、変わりなくよく通るだみ声で言う。
「いや、ちょっと相談したいことがあって・・・」憔悴しきった顔に目だけはギラついている僕が絞りだす声の様子に、ただ事ではないと、即座に悟った親方は「おい、おまえら、手を止めろ!」と叫ぶ。
静かになった工場で、僕はみんなに応援してもらった彼女の父にストーカー扱いされ、会うこともできないこと、どうすればいいかわからないこと等、いままでの経緯を赤裸々に伝えた。黙ってじっと聞いていた親方は、深く息を吐き出し「社長のボンも絡んでいるのか・・・」と何かを考えているようすだった。
「歳三、おれは愛だの恋だのは、正直よくわからねえが、結局はおめー次第だってことだけはわかる。どうしたいんだ?言ってみろ」親方の言葉は静かだが重い。
僕は「…会いたい…会って話をしたい!」とほとんど嗚咽に近い言葉を言う。
「よし。よく言った!もうおまえはまっすぐに思った通りに突っ走れ!余計なことは考えるな。何が起きても後からおれがいっしょに謝ってやる。ただこれだけは言っとくぞ。どうなったとしても最後はお前次第だ。お前のここの強さが、お前の…いや、おれたちの最後の切り札だ」と言って、僕の胸を強くたたく。胸が熱くなる。親方と話して最後の決心がついた。なんとしても会いに行く。そして想いを伝える。
工務店を出て空を眺める。まだ暗闇には染まっていない茜空に上弦の月が瞬いていた。
冬休み前、僕の高校の終業式。教室から体育館に向かう途中で生徒の列から抜け立ち止まる。僕は予め、信用できる同級生たちに、「人生をかける。そのときがきたら手を貸してくれ」と伝えておいた。あいつらならなんとかしてくれる。
教師の一人が小声で声をかけてくる。「おい村山、どうした?」同級生と目が合う。「あ、村山、ちょっと、腹痛みたいです。あいつトイレ長いんすよ」「ははは」クラスの列で笑いが起きる。「はやくしろよ」担任教師が前を向きながら言う。「善処します」なるべく具合が悪そうに僕は言う。「善処?」いぶかしげに教師が言うと廊下は大爆笑となった。どさくさに紛れて玄関に向かい外に出る。
学校を抜け出した。冬の冷たい空気が、熱くなった頬を叩く。心臓がバクバクしている。「ここの強さが最後の切り札…」親方の言葉を思い出す。
さちさんの中学校へ向けて走り出す。目立たないようにカバンから親方から借りた作業着を取り出し羽織る。
ついでに相棒のカセットボーイのイヤホンを耳に突っ込む。すぐに音楽が始まる。中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」のパワフルな歌声と儚い歌詞が後押しする。「オレがヒーローだったら」。何度もつぶやきながら先を急ぐ。
さちさんの中学校も終業式の真っ最中だった。校門に見張りの教師が立っている。僕は作業着のポケットから帽子を取り出し目深にかぶる。「矢沢工務店です。体育館横の水飲み場の水漏れの点検にきました」用意しておいたセリフを言う。「あれ、そんな連絡あったかな」教師が一瞬とまどった隙に「失礼します」といい中に入る。
一直線に体育館に向かい中の様子を伺う。生徒が整列し体育座りをして校長先生の話を聞いているようだった。後ろから声をかけられる。「ちょっと、キミ!確認したけどそんな予定ないよ!」さっきの教師が追いかけてきて僕の肩を掴む。
僕は構わず前に進む。作業着はずるりと脱げ、暁高校の制服が露わとなる。教師は脱げた作業着を持ったまま、ポカンとしている。「ここの強さが最後の切り札…」僕は胸に手を当て、勇気をふり絞り、体育館のドアを思い切り開く。
ガララララー しんとした体育館に乾いた音が響く。校長の話がピタリと止まる。全校生徒がこちらを向く。数えきれない無数の視線を浴びる。心臓は飛び出すくらいに跳ね回る。空気を目一杯吸う。下っ腹に力を入れる。勇気が湧いてくる。
「さちさんー!」体育館中に響き渡る声。全校生徒の中からさちさんがゆっくりと立ち上がる。刹那、目が合う。さちさんの目に浮かんだのは驚き、安堵、そして希望。
それをみて僕が駆け寄ろうとした瞬間、全身に激痛が走る。先ほどの教師が羽交い絞めにして覆いかぶさっていた。「なにをやってる!動くな!」さらに教師がくる。僕は、「さち!」と、もう一度叫ぼうとしたが、教師たちの腕が喉を絞め上げる。何人もの教師にもみくちゃにされ、口を塞がれ、抵抗する間もなく、連行された。その間も、僕は必死でさちさんを探しながら考えた。大丈夫。一瞬だけでも目が合った。僕の想いはそれだけで伝わってくれる・・・。
彼女は、教師たちが僕を引きずり出す様子を、立ち上がったまま、ただ静かに見つめていた。
騒然とする体育館の片隅で生徒会長の矢沢健太郎がつぶやく「か、かっこよすぎるだろ・・・先輩・・・かなわねえな」
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