第7話 震える心 誓いの空


第5章


その日からさちさんとは連絡がとれなくなった。家に電話をしてもけんもほろろに断られ、家に行ったところで門前払い、塾は車で送り迎え、塾の前で待っていても職員にストーカーとして追い払われる始末となっていた。僕は心に手痛い傷を抱えながらも、必死に矢沢工務店でのアルバイトをしていた。


アルバイトの最終日、社員さんに製図器の使い方を軽く教えてもらった。シャープペンシル一本でクライアントの夢をかたちにするその仕事に惹かれていた。現場の親方には「卒業したらうちにこい。立派な職人にしてやる!」と言われてうれしかった。


アルバイト代はほとんど家族に使った。弟と妹に服、オモチャを買ってやり、父母にも服をプレゼントした。さちさんへのプレゼントを買う余裕はなくなっていた。


さちさんのことはなるべく考えないようにしていた。考えると心が壊れそうになる。自分の無力を呪った。なんの力もない高校2年生の自分。何をどこで間違ったのか。いくら自問自答しても答えはみつからない。目をつむれば「先輩」という君の声が聴こえる。気がつけば夏休みは終わっていた。


秋の訪れとともに僕の心は深く沈み、惰性で高校に通っていた。毎日学校帰りにさちさんとの思い出の場所に行き、思い出に浸る。その日は帰り道にある小さな公園のベンチに座った。


思えばここでシャープペンシルを交換したのが、始まりだったなと思い出していた。ポケットからカセットボーイを取り出し、さちさんから借りて録音したZOOを聴く。愛をくださいと懇願する歌詞にこぼれそうになる涙を、遥か高い空を見上げてがまんした。


「村山先輩!」ふいに呼ばれて耳からイヤホンを外す。涙を拭い歪む視線を戻す。

「やっと見つけた!まったく毎日フラフラして」

「佐々木 楓さん……」僕は思い出していた。なりすましラブレターをさちさんに送って、後日いっしょに謝りにきたさちさんの親友だ。その後も何度か3人で会ったことがある。


「さちが今どうなってるか知ってますか?」佐々木さんの視線は鋭い光を纏っている。


「知ってるもなにもまったく連絡もとれなくて…」佐々木さんは僕が言葉を言い終わる前にしゃべりだす。

「あきれた…あの子、毎日泣いてます。先輩にひどいことしたって。もう私の隣には来てくれないかもしれないって。今はただあなたといっしょの高校に行くことだけを、考えて生きてるかんじです…。


さちの今の学力なら最難関の南高校も十分狙えるところまできてますが、頑なに志望校を暁高校から変えようとしません。もう学校の先生もさちの両親もお手上げっていうかんじで。」佐々木さんは一気にまくしたてた。顔は悔しさで泣きそうになっている。


彼女は一度息を吸い、呼吸を整えて言葉を続ける。その言葉は、静かだが、僕の心臓を射抜く鋭さを持っていた。


「先輩は、また逃げているだけでしょう? あの時、さちを傷つけたのは私たちも同じです。だからこそわかる。今度逃げたら、私たちは先輩を絶対に許しませんからね」


僕はほとんど叫ぶように言う。声が裏返る。「そんなこと言ったってどうすればいい?さちさんの父や大人たちに妨害されて話すことすらできない。学校や塾で待っていれば、ストーカー扱いだ!おれは無力だ!金も力もないただの高校生だ!」自分で言って、自分の無力に悔し涙があふれる。


佐々木さんは諭すように続ける「あなたは知ってるでしょう?あの子がどんなにあなたのことが好きか!いままで一度だってあなたを否定したり裏切ったりしたことありますか!」強まる語尾に佐々木さんの感情が乗る。僕は言葉が出ない。


「あの子があなたに出会えてどんなに幸せだったか。私は毎日のように聞かされてきた。あなたは尊敬できる立派な人だけど、繊細で、いつかふっといなくなって、消えてしまうような気がする人・・・だから私がずっと繋ぎ止めるのって。」僕は彼女のあたたかさを思い出す。


「先輩、本当にさちのためにできることすべてやりましたか?できない理由ばかり集めて、また自分の心を守ってるだけじゃないですか?」佐々木さんの言葉が壊れかけの心に突き刺さる。


「…とにかく伝えましたからね。私は…いいえ私たちは、さちを救えるのは、あなただけだと思っていますから」佐々木さんは僕の目を見据えたまま、涙声で絞り出す。僕は胸の内ポケットに入れっぱなしのあの時冷たいアスファルトの上から拾い上げた『渾身のUDⅡ』を、僕の気持ちを込めたテープを佐々木さんに渡す。


佐々木さんが言う「…これ、さちが言ってた…あの夜、あの人の一番大切なものを、この手からこぼしてしまったと…」


「これをさちさんに…いや、さちに渡して。そして伝えて。僕は必ず君に会いに行くと」


もう涙は流さない。そう誓って紺碧の空に向かって歩きだす。


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