第2話

 波子は、服屋に行った。秋物の服が売られていて、男物の服だが、好きなデザインのものがある。ニットやパーカーの色合いがいい。母は注文していたコートを引き取りに、レジに並ぶ。波子は、カレーを置いている陳列棚の前で、母を待った。パソコンの鞄を見て、買おうかなぁ、と思う。これがあれば便利そうだ。おばあちゃんの家にパソコンを持っていける。

 ショッピングセンターで買い物をした。おばあちゃんのはんてんを買ったり、本屋でジグソーパズルを見たりした。ジグソーパズルが好きで、どこに売っているのかわからなかったから、ネットで買ったのだが、次はこの本屋で買おう、と思う。

 アイドルのドキュメンタリーを見る。シングル曲をノミネート賞で披露する、という回だった。緊迫した空気に感動して涙が流れた。メンバーの泣く顔と、手元を映した映像と、そこに加わるメロディと。このドキュメンタリーが好きだと思う。もう、何年になるだろうか。二十歳ぐらいのときに、レンタル屋で借りて、それ以来、とりこになった。なにか、心を打たれるものがあって、このときのメンバーが波子は好きだった。

 メンバーの子が卒業する以前の様子を撮ったカットだったり、メンバーの子が、シングル曲のセンターで踊りの指導を受けていたり、全ての映像が洗練されている(と感じる)。

「グループも悪くないなって」

 そう言うメンバーの言葉が耳に残る。いつも、彼女はどんな思いをグループに感じていたのだろうか。楽しさよりも辛さの方が大きかったのかもしれない。グループで活動すること全てが楽しいと肯定できない気持ちもあったのではないか。波子の推測でしかないが、グループにその瞬間魅力を感じたのだとしたら。私も、今いる場所で、今している仕事で必要性がわからなくなるときや、この場所に自分が今いる意味がわからなかったりすることがある。誰にも必要とされてないのにな。そんな風に、自分に納得がいかないと、その環境にさえ疑いを持ってしまう。周りだって悪いと思ってしまう。

 DVDを見ている波子の目から涙が出る。今日は、ドキュメンタリーがやたらと心に響く。

 綺麗な彼女たちを見ること。自分を忘れられること。映像に見入って、何かを感じること。

 メンバーがシングル曲のふり確認の通しを真剣に見入っている映像。それを見て、別れだとか、メンバーとの思い出だとか、そういう目には見えないことを、皆が共有していること。きっと、たった一曲を踊るのだとしても、そこにいろんな感情と感慨が秘められているんだろう、と推測すると、とても美しいものを見ているな、と思う。それを切り取る映像にも優しさが垣間見える。

 英人と会い、昨日は何時に寝たの?と聞くと、夜通し遊んでいて、気づくと朝になっていた、とそれでも楽しそうだ。あまり、寝なくても大丈夫な子らしい。

「波子さんは?何してたの?」

「服屋さん行って、ハンカチを買ったり、帰って、アイドルのドキュメンタリーDVDを見たりしたかな。ゆっくりした休日だよ」

 おばあちゃんが、デイサービスに行くのを見送ったのだが、ちょっと機嫌が悪そうだった。退院後、はじめてのデイサービスに不安なのかもしれない、と話す。

「昨日、海、楽しかった?」

 波子が聞くと、

「楽しかったよ。海辺で弾き語りをしていたりして、フランクフルトも買ったよ。真夜中の夜市みたいなことをしてたんだ。波子さんも誘おうかと思ったけど、夜は寝ないといけないもんな」

 彼が写真を見せてくれた。外国の屋台みたいなものが開かれている。波のさざめきが聞こえてきそうだった。バンドの曲を彼は歌う。二人で公園をのんびりと歩く。秋になり、きんもくせいの香りがし始めた。波子はこの匂いが好きだ。辺りを見渡し、どこに咲いているのか花を探す。

 ショッピングセンターの入口前で恋愛映画のポスターを見て、この映画を見たい、と思ったけれど、都合が合わなくて、見に行けそうにない。公開される前から、見つけられていたらよかったのだけれど、大抵、人気が出てから存在を知るものだから、それから見ようとしたのでは、終わりかけで上映スケジュールは都合が合わないことが多い。夜は家にいたいし、しっかりと眠りたい。英人みたいな若者は、夜通しはっちゃけたって、友達としゃべり倒したって、不調を感じずに過ごせられるのだろうけれど、波子の場合、テンションがおかしくなってしまう。夜しっかり眠れているからこそ、日中の調子がいい。

 日常系ほのぼのドラマを見た。アイドル二人が出演していて可愛い。癒された。恋愛小説も読んだ。土曜は、自由時間が長くていい。このままやりたいことだけやっていられたら幸せなのに。父と母は買い物に出かけていて、一人でつい画面ばかり見てしまって、目が悪くならないか心配になる。

 毎日、ちょっとずつ小説を書いている。十七歳の頃から、小説を書き続けている。前に書いたものを見返しても、あまり上手くなったとは言えないが、好きなアーティストの音楽を聞きながら小説を書くのが楽しい。なにか、過去を振り返るきっかけになっている。過去にあったことを思い出して、あのときは、失言したな、とか、もっと教室では、気を抜いて過ごせていたらな、とか、やり残したことも、あの頃の自分に言ってやりたいことも、支えてあげたい気持ちもあるけれど、もう過去はどうにもならないから、全ての過去を終わったこととして振り返る時間にいろんなことを考える。

 波子の過去には、夜中まで自転車を漕ぎ続けて神社に行って、スーパーで握りずしを買って買えりたかったけどなくて、カップ麺にしたとか。一人で、夜ご飯を好きなアイドルの動画見ながら食べて、寝そべってラジオを聞いただとか、孤独だけれど、好きな時間があった。あの頃の自分も捨てたもんじゃないな。そう思うし、あの頃の自分は割と嫌いじゃない。嫌悪感にまみれていた自分も、それなりにいい生活をしていた。ちゃんと自分のやりたいこともできていた。あの頃の自分なりに、自分に向き合おうとしていたんだと思う。両親との関係が上手くいかなかったり、先生にため息つかれたり、そりゃ、人から見たら足りてない部分が多々あったとは自覚している。それでも、嫌いにはなれない。それが自分だから。ただ、もうちょっと人に心を許して過ごしてもよかったのかな、とは思う。一人の時間を愛しすぎて、結果、寂しくて心打たれてしまうような時間を過ごしていて、職場の同僚には、「あんな生き方でいいと思っているのかねぇ」なんて悪口を言われたりした。人と関わろうとしなかったあの時の自分は褒められたもんじゃないかもしれない。人を遠ざけて、一人で生きていられると思い込んでいた節もある。私は誰の世話にもなりはしないのだから、と。自由でいたかった。なんの制限もなく、一人でやっていけるのだと信じていた。

 信じ込もうとしたけれど、無理だった。人と関わらないでやっていけるわけがない。ただ、人と関わることは、いろんなパターンがあって、それが、ものすごく体力や気力がいることだと思い込んでいた節もある。自分に無理な程度の関係性を人と築かなくてはいけないのだという思い込みが、結果的に人を遠ざけていた。誰か、あの頃の波子に手を差し伸べてくれるとしたら、やはり、波子から周りになんらかの行動を起こさなくてはならなかったのだ。周りは黙っていては気づいてくれないし、何かの合図をしたなら、きっと何らかの反応は返してくれたはずだ。

 バンドの曲を聞きながら、思い出に浸る。

 買い物に行った母と父がなかなか帰ってこない。英人も、「今から寝るから、ラインが来ても、応答できないかも。なんかあったら、電話して」と電話の絵文字をつけて、送ってきた。猫のように、気まぐれだ。それと、自由でのびのびやっている。きっと、父と母は忙しく方々を飛び回っているのだろう。

 一人でいると楽だけれど、なにか味気ない。寂しくもなる。買い物をするでも、家で過ごすにしても、家族や好きな人と一緒にいるほうが楽しい。

「おばあちゃんはデイサービス終わったかなぁ」

 波子は一人ごとを呟く。今日も、小説を投稿するつもりだ。毎日投稿するのはいいが、平日はほとんど仕事で、何を書こうかなぁと迷ってしまう。それでも、音楽を聞きながら執筆するのは楽しい。自分の気持ちをさらけ出せるようで、きっと小説を書いているから、気持ち的に安定している面もあるのだろう。

 午前中、母と寄った本屋で、英語の勉強がしたくて、教科書のような本を探したけれど、どれがよいのか迷った。英語が好きで、理解できるようになりたい。ネットで、探してみて、とりあえずいろんな本をそろえてみることにする。時間がとれたら、毎日少しずつ続けていけたらいいな、と思う。

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