波子の秋日記

ゆた

第1話

 深夜、コンビニに行く。夜道を歩くと、星空が散らばっている。綺麗な星空だった。まるで、目に飛び込んでくる。一人きりだけれど、こんな胸を打つ景色があるなんて。ウォークマンで、好きな音楽を聞く。あるバンドの曲だ。

 波子は、バンドの曲に聞き入る。この歌声は好きだ。歌詞も好きだ。青春時代からずっとそのバンドの曲を聞いている。一時期、はやった頃から、ずっと聞いていた。高校時代に好きだったラジオで存在を知ってから、このアーティストだけは、ずっと変わらずに聞き続けている。

 好きな小説家の本を、立ち寄ったコンビニで見つける。波子は、一時期入院していた。精神状態を患って、療養していた。この本は、そんなときに読んで救われた。入院していたときは、時間があったし、他の人が話しているホールで、一人座って小説を読んでいた。そんな私にときどき話しかけてくれる人がいた。看護師さんだったり、入院しているおばあさんだったりした。私は、母と父が図書館で借りてきてくれた小説を読む時間が楽しかった。やることを見つけづらくて、どうしようかと思っていたけれど、本に夢中になっていると時間があっという間に過ぎていった。

 夜に海に行って、死にきれなくて、やっぱり家に帰ろうと自転車を漕いで、遠い道のりを戻ろうとしたのだけれど、途中で、意識がもうろうとして、父と母に迎えにきてもらった。精神状態があやうくて、父と母に迷惑をかけたけれど、私が今こうしていられるのは、あのときを乗り越えたからなのだと思う。入院して療養して、よくなった。このままずっと入院したまま人生を終える未来もあった。母と父に迷惑をかけてはいけないから、私は病院で一生を終えるのだ、と病気を治すことに消極的になったこともある。けれど、やっぱり、ちゃんと生きていたかった。

 病院の中で過ごすことよりも、家に帰り、自由に外に出ていける、好きなときに好きなバンドの曲を聞くことのできる日常を選んだ。いろんな人に迷惑をかけたけれど、家族には何よりお世話になったけれど、今、喫茶店でお茶をしたり、毎日仕事終わりの執筆を楽しめたりしているのは、幸せ以外のなにものでもないと思う。 

 波子は、母と今日あったことを話す。はじめて、好きな人の一面が垣間見れたこと。それは、嫌味ともとれる言葉だったけれど、純粋にそう思っていただけかもしれないこと。私は、彼のことを好きでいていいのだろうか。信用できる人なのだろうか。もしかしたら、嫌な人であり、好きになれないかもしれないと思うけれど、やっぱり、見た目や雰囲気でその人のことが魅力的に見えることは確かで、もっといろんな面を見れるかもしれないと思うと、今の環境がずっと続けばいいのになと思う。

 母は、美術展のことを熱心に調べている。芸術が好きなのだ。そのおこぼれのように美術展に足を運ぶ母におともする私と妹、それから父は、それでも芸術を鑑賞することをたびたび楽しんでいる。

 おばあちゃんが退院して、一人で暮らすという意思を尊重する母。大変そうに見えるけれど、おばあちゃんのことを何より思っているのがわかる。私なら、きっと自分が楽な方を選んでしまうだろう。ただ、おばあちゃんが「やっぱり自分の家は落ち着くわ」と言ったとき、少ししんみりとしてしまった。私も、病院に入院していた期間があって、もう家には戻れない環境にいると自覚したとき、帰りたくなったものだ。どうしても家に帰りたくて、自分の病状をわかっていなくて、主治医に無理な意見を言って、呆れられたこともある。でも、結局、私のしたいようにさせてくれた。そんな私は、おばあちゃんを支えるべきなのかもしれない。一緒に、「家に帰れてよかったね、おばあちゃん」と声をかけてあげられる立場にいるのかもしれない。

 だけど、心の中では心配もある。一人暮らしをして、体がついていかないのに、大変な思いをしたら、と思うと、やはり、病院の方が何かと便利がいいのではないかと疑ってしまう。おばあちゃんにとって最良の選択とは何か、考えさせられる。

 母と妹の繭子は、おばあちゃんの退院祝いに、旅館で一泊することを計画している。私も、それに便乗させてもらうつもりだ。これから先、おばあちゃんとそうやって旅行に行けるのは限られているんだろうな、と思うと同時にせっかくなら旅行を楽しみたいな、という思いも強い。

 夜九時。好きなバンドの曲が心にしみる。英人と話したいと思い、波子は彼に電話をかけた。今日あったことをひとしきり話して、彼が金曜だから、夜通し友達と遊ぶのだ、と楽しそうに言っているのを聞いて、私は、近所迷惑にならないようにね、と言いつつ、彼らの楽しそうな話し声を電話越しに聞く。海辺を散歩しているらしく、海の動画を送ってくれた。ライトアップされていて、綺麗な海辺だ。

「小説書いてる?」

 と彼に聞かれ、私は、パソコンのキーボードを打つ手を止めて、返す。

「書いてるよー。最近、と、恋愛小説を二冊読んでるんだけど、どっちも面白い。そんな小説が書けるといいな」

「また、読ませてよ。波子さんの書く小説、僕は好きだよ。なんか一人の孤独な世界に一筋の光を差し込まれるようでさ」

 英人の声が、微笑んでいるように明るくなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る