第47話 虚無の導き──内通者の影
暗闇に溶けるような通路を進む。
足音は抑えているのに、やけに響く。
湿った空気が喉にまとわりつき、
影の囁きが、心臓を締め上げる。
――もっと喰わせろ。
――足りない。
――飢えている。
胸が熱く脈打ち、視界がぶれる。
蓮は壁を支え、肩で息をした。
ミリアが振り返る。
「だいじょうぶ……?」
声が震えていた。
心配というより、
恐れを含んで。
蓮は笑みを作ろうとしたが、
口の端が痙攣し、思い通りに動かない。
「……まだ、いける」
自分で言いながら、嘘臭さを感じた。
ミリアは何も言わない。
ただ、蓮の手を握った。
その温もりが、
仄かに影を押さえ込む。
先を歩くフードの人物が、
無言のまま、足を止める。
「――ここだ」
声は低いが、若い。
男か女か、判別しづらい。
岩壁に掌を押し当てると、
古い術式が淡く光り、
縦に裂けるように扉が現れた。
「早く。
追手が迫ってる」
促され、蓮たちは中に入る。
扉は音もなく閉じ、
外界の気配を遮断した。
そこは広い空洞だった。
岩壁にある古い碑文が淡く輝き、
中央には祭壇のような石台。
ミリアが小さく息を吸った。
「……ここは……魂の隔離域……
この大陸に、もう残ってないはず……」
フードの人物は振り返り、
フードを下ろした。
現れたのは――
黒髪の青年。
年は蓮と変わらない。
ただ、その瞳には
異様な深さがあった。
「俺の名は――ルシアン。
王国の研究部門、《冥府観測局》の者だ」
ミリアが目を見開く。
「冥府……観測局……
そんな部署、もう……」
「表向きは消えた。
だが、地下でずっと動いている。
冥王の研究を、止めるでも進めるでもなく――
“管理”しようとしている」
蓮が息を吸い、言葉を絞る。
「……俺たちを助けたのは。
そのためか?」
ルシアンは淡く笑った。
「助けたというより――
必要だった。
君たちが」
ミリアが警戒の目を向ける。
「……王国は何をしようとしているの?」
ルシアンが石台に手を置くと、
壁面の術式が波紋のように光を帯びた。
淡い像が浮かびあがる。
そこには――
黒い渦に呑まれる王都の姿。
蓮とミリアが凍りつく。
「……冥府が――
地上に来る……?」
ルシアンは静かに頷く。
「正確には――
“引き寄せられている”。
魂の座標が乱され、
現実と冥府が接続を始めている」
「原因は……俺か」
蓮が呟いた。
胸が焼ける。
影が笑う。
ルシアンは首を横に振る。
「君ひとりじゃない。
君を招いた“鍵”――
ミリア・アズレア」
ミリアが息を飲む。
「……わたしが……鍵?」
ルシアンがミリアを見る目には、
畏怖も嫌悪もなく、
ただ、透徹した冷静さがあった。
「君の魂には
“二つの記憶”が重なっている。
一つは、この世界で生きた少女としての記憶。
もう一つは――
冥府の深部にいた者の記憶だ」
蓮の体が、
ぞくり、と震えた。
ミリアは唇を噛む。
「……わたしは……誰……?」
ルシアンは淡々と告げる。
「本来の君は、この世界の人間じゃない。
冥府で、“魂の守人”として生まれた存在。
――冥王に次ぐ、“継承者”だ」
沈黙が落ちる。
蓮は思考が追いつかなかった。
ただ、ミリアの肩が小刻みに震えているのを感じた。
蓮はそっと隣に寄り、
ミリアの手を握る。
それだけで良かった。
彼女の瞳が揺れ、
目の奥の影が、静かに光を宿す。
だが、ルシアンは続ける。
「王国が欲しているのは、
冥王ではない。
“継承者”と“魂喰い”。
この二つが揃えば、
冥府の門は完全に開く」
蓮は息を詰める。
自分が、
あの影に喰われつつある理由。
ミリアが、“鍵”と呼ばれる理由。
すべてが繋がる。
「じゃあ……
俺たちは――
利用されてる?」
「利用され、
そして恐れられている」
ルシアンの目が細くなる。
「王国は――
君を“殺す”決定を下している」
空気が凍った。
ミリアが蓮の手をさらに強く握る。
蓮が息を吸う。
胸がきしむ。
影が笑う。
「……お前は。
俺たちをどうするつもりだ」
ルシアンは静かに答えた。
「――選べ。
逃げるか。
抗うか」
その瞬間、
空間が揺れた。
轟音。
火花。
石壁に黒い裂け目が走る。
ミリアが叫ぶ。
「追手……!」
黒衣の兵が、影から染み出すように現れる。
数は多い。
狭い空間では分が悪い。
ルシアンが術式を展開する。
渦巻く光壁が黒衣を押し留めるが――
長くは持たない。
蓮の胸が――
熱を帯びて脈打つ。
影が囁く。
――喰わせろ。
――殺せ。
――全部、呑め。
蓮は歯を食いしばった。
ミリアが蓮を抱きしめ、
祈るように囁く。
「だめ……行かないで……
蓮は蓮のままでいて……
お願い……」
その声が、
影の奥まで届いた気がした。
だが、痛みは止まらない。
黒い痣が腕を這い、
指先まで染めていく。
ルシアンが短く叫ぶ。
「急げ!
侵食が限界だ!
決断しろ――蓮!!」
選べ。
逃げるか。
抗うか。
影の渦が、
目の前を黒く染める。
蓮は息を吸い――
叫んだ。
「――ミリアを、守る!!」
光が弾けた。
影が、
吠える。
黒衣の兵が、
一斉に動いた。
決断が、
すべてを動かし始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます