第48話 魂裂き──選んだ刃

夜を切り裂くように、鐘の音が森に響いた。

それは警告でもあり、呪いでもあった。


木々の奥から、黒い軍勢が現れる。

王国の紋章──だが、纏う気配は違う。

ひどく冷たい。

生きているのかも怪しいほど。


討伐隊。黒衣の者たち。

その標的は──蓮。


「……来たか。」


体の奥で別の呼吸が脈打つ。

魂が、黒く泡立つ。

自分ではない“何か”が、ゆっくりと、骨へ這い寄る。


ミリアが蓮を支える。

小さな手が震えているのに、掴む力は強い。


「蓮は、行かせない……」


その声で、黒衣たちが刃を構えた。

一斉に──襲いかかる。


――血風。


蓮が反射的に腕を振るう。

意思とは関係なく、闇が形をとった。

魂が軋む。

黒い線が、空を裂き、兵士を真っ二つに刻む。


誰も、声を上げない。

切られた者はただ「影へ沈んだ」。


まるで存在ごと消されたように。


「違う……こんなの、僕じゃ……!」


苦痛が視界を歪める。

自分の手から零れる黒は、獣の咆哮となって大地に満ちた。


 ―― 喰ラエ ――

 ―― 魂ヲ ――


脳の裏側から声が湧く。

低く、湿って、甘い。


冥王の残滓。

魂を喰らう王の声。


ミリアが叫ぶ。


「戻ってきて! 蓮!!」


だが蓮の瞳は濁りはじめ、黒い光が視線を塗り潰す。


黒衣がさらに踏み込む。

ミリアを狙い、刃が伸びる。


身体が勝手に動いた。

蓮の腕がミリアを庇い、敵の手首を掴む。


……そして喰った。


肉も、骨も、魂ごと、

蓮の手から黒い霧となり、吸われていく。


ミリアは震える。

蓮の指先が、異質な何かに変わりつつある。


「やめて……違う……蓮はそんな……」


 



そこへ、風を裂く足音。


ルシアンが現れた。


その手には、淡い金色の刃。

蓮が最初に“拾った”男。

助けてくれたと信じた──男。


だが、その目は冷たい。


「蓮。

お前は“鍵”だ。

冥府を開く唯一の。」


そう言って、刃をミリアへ向けた。


「……ミリアを差し出せ。

さもなくば──この世界ごと滅びる。」


ミリアは気づく。


あの日、村で一人だけ生き残った理由。

冥府の残滓を宿す蓮の隣にいた理由。

魔女と呼ばれた血の理由。


すべて、

王国が仕組んだ。


「嘘……全部……」


ルシアンが静かに告げる。


「ミリアは“継承者”。

冥王の魂を完全に受け継ぐ器。

蓮はその導き手──

二人は揃ってこそ意味がある。」


蓮は立ち上がる。

目は黒く濁り、声が割れる。


「黙れ……ミリアを巻き込むな……!」


ルシアンは刃を構えた。


「お前が最も巻き込んでいる。

違うか?」


怒りが、蓮の体を破裂させるように広がる。

黒が奔る。

視界が赤く染まる。


暴走。


空が歪む。

樹々が枯れる。

影が生き物のように蠢く。


黒衣の討伐隊は、波に呑まれるように消えていった。


ミリアが蓮へ駆け寄る。


「お願い、戻ってきて……!」


彼女の手のひらが、蓮の胸へ触れた瞬間──

白い光が走った。


魂が共鳴する。

ミリアの体から、見たことのない紋が浮く。

まるで歌うように輝く。


その光に触れ、蓮の暴走が止まりかけた。


だが。


ルシアンが割って入る。

刃がミリアの肩を貫いた。


「ミリア!!」


血が散る。

ミリアは微笑んだ。

震える指で、蓮の頬を触れる。


「蓮は……わたしが守る……」


その言葉に、

蓮の内側で、黒が泣いた。


 ―― 喰ラエ

 ―― チカラヲ クレ


「いやだ……ミリアを……喰うな!!」


叫びが魂を裂く。


蓮の影から黒い獣が噴き出す。

四肢を持つ獣。

冥府の王を模した姿。


ルシアンが後退し、呟いた。


「これでいい……

お前は、まだ“尖兵”だ。」


 



ミリアの血が地を染める。

蓮は彼女を抱きしめ、喉を嗄らして叫んだ。


「頼む……帰ってきて……

僕を置いていかないで……!」


ミリアの手が、蓮の胸へそっと添えられた。

柔らかい声が耳を撫でる。


「大丈夫……

わたしは、あなたの隣にいる。」


その瞬間──

ミリアの魂が、白く膨れ上がった。


冥王の黒を包み込み、

蓮の暴走を押し戻す。


「だから……

あなたも、生きて……」


白と黒が渦を描き、夜空へ溶けていく。


声も、影も、光も飲み込みながら。


 



闇が晴れた時、

蓮は気づく。


ミリアが、いない。


腕の中には──

微かな温もりだけ。


唇が、震える。


「ミリア……?」


返事はない。


ルシアンが冷ややかに告げた。


「継承は終わった。

ミリアは“魂”となり、お前の中にいる。」


蓮の目が静かに濁っていく。


「返せ……

返せ……

ミリアを……!」


魂が裂ける音がした。

その叫びが、世界を震わせる。

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