第28話 帰らざる者たち──冥府の代償 ③

 冥府の路は、

歩くほどに明るくなっていくはずだった。


――そう思っていた。


だが違う。

闇は濃くなる。

冥府は、帰還を許さない。


アリスの光に導かれ、

魂たちは静かに並んでついてくる。

その光は、弱い。

か細い。

それでも――途切れない。


「レン……

 つかれたけど……

 まだ歩けるよ」


無理をする声じゃない。

決意の声だった。


「ありがとう。

 でも、無理はしなくていい」


「ううん。

 みんな、待ってるから……」


背後を見る。

青白い魂たちは、

静かにアリスの背に寄り添う。


それが――

彼女の力になる。


ガルズが前を睨む。


「……来るぞ」


闇がうねる。

霧が裂ける。


次に現れたのは、

甲冑でも、獣でもなかった。


――人。


男だった。

長い外套。

黒い杖。

表情はあるが、

その瞳には生がない。


「生者よ」


それは、

淡々と口を開いた。


「冥府の路を行く者。

 問いに答えよ」


問い。


「答えなければ――

 魂はそこで終わる」


アリスが震える。


「レン……」


「大丈夫だ」


男は続ける。


「――おまえは、誰を救いたい」


「……!」


選択――か。


魂の“重なり”が、

背中へ圧をかける。


俺は言った。


「全員だ」


男は瞬きもせず告げる。


「偽りだ。

 すべてを救うことはできない」


ガルズが吠える。


「黙れ!」


だが男は揺れない。


「魂は有限。

 命は短い。

 救えぬ者を抱えて進めば、

 救える者すら取りこぼす」


当たり前の真理。

だが――


「そのうえで答える。

 ――全員だ」


男は静かに首を傾げた。


「愚かだな」


「かもな。

 でも、そう決めた」


その瞬間、

背中の魂たちが――震えた。


喜びか、驚きか分からない。

ただ揺れる。


男は杖を突き立てた。


「ならば証明せよ。

 その愚が真であることを」


闇が裂けた。

冥府の底が、噴き上がる。


黒い影。

影。

影。


追跡者とは違う。

“生”の形を模した――

偽物の人影。


《来るぞ、レン!!》


ベルダが叫ぶ。


「ガルズ、アリスを!」


「任せろ!!」


俺は大鎌を構え、

迫りくる影群へ突っ込んだ。


――ザン!!


一体、消える。

だがすぐ、十体が生まれる。


増える。

増える。

増える。


無尽蔵。

それが冥府の本質。


「キリがねぇ……!」


《レン、恐れるな。

 奴らは“形だけ”だ。

 魂が宿らぬ影は、ただの幻想!》


(幻想……!)


俺は深く息を吐く。


(なら――迷う必要はない)


刃が、

迷いを断ち切る。


――斬。


光が走る。

魂が震える。

影が砕ける。


破片は霧散し、

道に吸い込まれていく。


(道が――少し、太くなった……?)


そうだ。

影を斬るほどに、

冥府の道が補強される。


ベルダが言う。


《影は“帰らざる魂の残した恐怖”

 斬れば――前へ進む道になる!》


「よし……!」


斬る。

斬る。

斬る。


ひたすらに。


影は、俺たちに問う。

恐怖を。

疑いを。

諦めを。


それでも――

斬る。


最後の一体が砕け、

霧へと消える。


杖の男は、

静かに一歩後退した。


「……ならば、次だ」


第二の問い。


「生きたいと願った、

 “その先”を知っているか」


「先……?」


「生とは、ただ生きるためのものではない。

 何を為すか。

 何を遺すか。

 何を――選ぶか」


アリスの手が震える。

俺はそっと握り返す。


「俺は、まだ分からない。

 でも――

 選びながら、生きる」


「選びながら……?」


「間違えるかもしれない。

 後悔するかもしれない。

 それでも――

 生きて選び続けたい」


男の瞳が、

ほんのわずか揺れた。


「……それでいい」


杖が地を叩く。


――コン。


冥府の路が、

前へ伸びた。


「進め。

 生を求める者よ」


影が、

道を開く。


だが――

男は消えない。


「ただし、忘れるな」


その声は、

どこまでも冷静だった。


「救えぬ魂は、必ず生まれる。

 “全員を救う”と叫んだ者は――

 最後に、最も多くを失う」


アリスが息を呑む。


男は最後に告げた。


「それでも歩め。

 選んだ道を」


そうして――

影は沈み、

霧となって消えた。


冥府が静かになる。


ガルズが言った。


「主よ……

 まだ迷いはあるか」


「あるさ」


迷いがあって当然だ。

分からないことだらけだ。


「でも――

 進まなきゃ何も掴めない」


アリスが小さく笑う。


「レンが……一緒なら……

 どこまででも、行けるよ」


胸が熱くなる。


背の魂たちも、

静かに寄り添う。


(守る。

 必ず――帰す)


冥府の路が前へ伸びる。

遠く、かすかに。


光。


微かな、生の匂い。


「見えた……!」


アリスが指差す。


遠く――

薄明るい門が立っていた。


帰還の門。


だが――

その前には“影”が立つ。


ひとり。


黒い外套。

赤い瞳。


仮面の男。


以前、冥府の入口で見た――

“魂喰らい”の仮面。


奴は、

静かに大鎌を肩に乗せ、

こちらを見ていた。


「……ようやく来たな」


その声は、

聞き覚えがある。


「お前……!」


仮面が、

わずかに揺れた。


「冥府は選ぶ。

 帰る者と――

 置いていく者を」


刃が、ゆっくりと持ち上がる。


「さあ、選べ。

 “代償”を払え」


冥府の門番よりも――

深い闇。


ベルダが震えた。


《……そいつは――

 俺の“同胞”だ》


冥府の道が、

再び揺れ始めた。


――帰るために。

――守るために。

――生きるために。


俺は刃を握り直す。


「行くぞ」


闇が裂ける。

魂が震える。


冥府の門へ――

最後の戦いが始まる。

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