第29話 帰らざる者たち──冥府の代償 ④
冥府の門は静かに佇んでいた。
薄く光を漏らし、
確かに“生”へと繋がっている。
だがその前に立つ影――
あるいは、空洞。
黒外套。
仮面。
赤い瞳。
その男は、
生者とも死者ともつかぬ佇まいで
大鎌を抱えていた。
「……ベルダ」
俺が名を呼ぶと、
俺の中の魔狼は
小さく呻く。
《主よ……
あれは“影狼”ヴァルグ。
冥王直属の喰らい手だ》
ガルズが目を細めた。
「ベルダの同胞……
だが、もう人でも魔でもねぇな」
影は、わずかに首を傾げる。
「ベルダ。
久しいな」
声は淡々としていて、
まるで喪失を前提にした響き。
ベルダが噛み締める。
《……ヴァルグ。
なぜ、冥王に傅く》
仮面の奥から赤い光が揺れる。
「喰らうためだ。
魂は燃える。
温かい。
生は、甘い」
その声音は、
まるで祈りのようであり
呪いのよう。
「……楽にしてやる。
渡せ。
その魂すべて」
背の魂が震え、
アリスが俺の腕を掴む。
「や……やだ……
渡さない……!」
ヴァルグはゆっくりと鎌を持ち上げた。
「ならば――
喰う」
瞬間。
影が跳ぶ。
一閃――!
「ぐっ……!?」
重い。
鋭い。
ただの一撃で膝が沈む。
(こいつ……!
冥府の追跡者とは比にならねぇ!)
ヴァルグの影が揺れる。
俺は咄嗟に大鎌を受け流す。
――火花。
魂の悲鳴が弾ける。
ガルズが咆哮。
「レンを狙うなら――
まずはこの俺を喰ってみろォッ!!」
黒い炎が迸り、
ヴァルグへ喰らいつく。
だが――
――一瞬。
影が霧散し、
背後から現れる。
「遅い」
ベルダが吠えた。
《ガルズ!背後!!》
ガルズは咄嗟に身をひねり、
刃を紙一重でかわす。
だが――浅い。
血が舞う。
アリスが叫ぶ。
「ガルズ!!」
「心配すんな……
まだ、死なねぇよ……!」
ヴァルグの動きは静か。
美しいほど無駄がない。
「生者は脆い。
ただ温かいだけだ」
その言葉に、
胸の奥がざらついた。
「それが――生だろ」
俺は立ち上がり、
大鎌を構える。
「脆い。
弱い。
傷つく。
失う。
それでも――
生きる」
ヴァルグは沈黙した。
やがて、低く呟く。
「……それは苦だ」
「そうだ。
だが、生きるってのは
楽なばかりじゃない」
俺は言い切る。
「痛みの先に――
手に入る『温かさ』がある」
アリスが
ぎゅっと俺の袖を掴む。
ヴァルグは
ゆっくりと大鎌を下段に構えた。
「なら――
示せ」
地面が裂ける。
冥府の黒い光が
足元に広がる。
「苦の先の温さを……
俺に、食わせてみろ」
影が、
弾けた。
《来るッ!!》
ベルダの叫びと同時、
空間がねじれる。
ヴァルグが瞬いた。
次の瞬間――
俺の眼前に来ていた。
(速ぇ――!)
受ける。
流す。
斬り返す。
火花。
衝撃。
魂が軋む。
三撃目、
俺の動きが遅れた。
――刃が、アリスへ。
「……っ!!」
考えるより早く、
俺の身体は動いていた。
――ガキィィィン!!
刃が火花を散らし、
俺の腕に深く食い込む。
「レン!!」
アリスの叫びが響く。
熱。
血。
痛み。
それでも――
「……アリスに、
触れさせねぇよ」
俺は笑った。
痛みの中で、
仮面の奥の赤い光がわずかに揺れる。
「――温いな」
「だろ……
これが、生きてるってことだ」
ヴァルグが呟く。
「苦と痛みを、
温かさと言うか」
「そうだ」
刃が震える。
魂が吠える。
「それを――
みんなのぶん
抱えて進む」
ヴァルグの影が波打つ。
「……理解不能」
冷えた声。
だが――
ほんの少しだけ、揺らぎがあった。
ベルダが低く告げる。
《主よ……
ヴァルグは“空”だ。
生を喰らいすぎて、
何も残っていない》
「……!」
《魂の中に“芯”がねぇ。
だから理解できねぇんだ。
温さを。
痛みを。
生を》
ヴァルグが言う。
「だからこそ喰らう。
埋めるために」
(一度、喪ったから……
求め続けてんのか)
俺はゆっくりと構え直す。
「なら――
奪わせねぇ」
刃を握る手が、
熱を帯びる。
ベルダが叫ぶ。
《レン!
“あれ”を使え!!》
(……あれ)
俺の中に眠る、
冥府で得たもう一つの力。
魂と魂を重ねる――
同調(リンク)。
「アリス!!」
「う、うん!!」
俺は
アリスの手を握った。
温かさが流れ込む。
光が膨れ上がる。
魂たちが、
一斉に震えた。
――眩い。
ヴァルグが目を細める。
「その力……
冥王が恐れた“光”か」
影が構える。
光が燃える。
「行くぞ――
ヴァルグ」
俺とアリス、
そして魂たちの光が――
冥府を照らす。
影と光。
闇と魂。
生か死か。
その答えを賭けて、
刃が交錯する。
――最終聖域、冥府の門前決戦。
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