第27話 帰らざる者たち──冥府の代償 ②
一歩進むたび――
魂が、軋む。
足元の道は黒い霧に覆われ、
踏み出さなければ形にならない。
踏みしめた瞬間だけ、道が存在する。
“歩かなければ帰れない”。
ただそれだけが真実だ。
アリスを抱え、
俺は不安定な冥府の路を進む。
揺らめく青白い魂たちは、
俺たちの後ろを漂いながら付いてきていた。
彼らは言葉を持たない。
ただ、願いだけを抱えている。
――帰りたい。
「帰れる。
絶対に、連れて行く」
そう告げても、
彼らはただ虚ろに揺れるだけ。
ガルズが低声で問う。
「主よ。
あやつらは、望みを託しているだけではない」
「どういう意味だ」
「“代償”は、すでに始まっている」
ガルズの声は、かすかに震えていた。
「彼らは……
お前たちに、魂を乗せ始めている」
ぞくり、と背筋が冷えた。
「……寄ってきてる理由は、それか」
「戻るためには“魂の器”が必要だ。
彼らは己の器を失い――
お前たちの器に混ざろうとしている」
つまり、
この道を歩くほどに
彼らは俺やアリスへ
ひっそりと“宿り”、帰ろうとしている――。
(……重くなるわけだ)
魂は質量こそないが、
存在の重みは確かにある。
歩を進めるたび、胸が苦しくなり、
頭を圧迫されるような重さが増す。
アリスは小さく声を漏らす。
「いっぱい……
いっぱい来てる……
みんな、泣いてる……」
その声は、
まるで彼らの感情が
流れ込んでいるかのようだった。
「無理するな」
「ううん……大丈夫……
あの子たち、怒ってない……
恨んでない……
ただ……お願い、って……」
目を閉じ、
アリスは優しく囁いた。
「一緒に帰りたいって……言ってる」
そこに嘘はなかった。
少女の声は、彼らへ寄り添っていた。
(アリス……強いな)
その強さが、
俺をまた前へ進ませる。
だが――
冥府は、ただ帰す気はない。
――ガチャラ……
骨が擦れるような音が、
闇の中で鳴った。
ガルズが唸る。
「来たぞ……“追跡者(チェイサー)”だ」
霧が裂け、
黒い甲冑をまとった存在が現れる。
頭部はなく、
胸から淡い光が――瞬いている。
その光は、
魂を探す灯火。
「冥府から逃れようとする魂を、
連れ戻すための番犬……!」
ガルズの声に、
ベルダが続く。
《レン、構えろ。
あれは魂を喰う》
「喰う……?」
《魂を“冥府の形”へと戻す。
生の匂いを嗅ぎつけて、這い寄る魔物だ》
その言葉と同時に、
黒甲冑たちは、
一斉にこちらへ歩み出した。
音がない。
息もない。
ただ――
魂を求める。
「来いよ……!」
俺は大鎌を構え、
一歩踏み出し、
影へと斬りかかった。
――ギィィィン!!
刃は確かに命中した。
だが、その斬撃は高く弾かれる。
重い。
魂の重みそのもの。
《レン、力を合わせるぞ》
「ベルダ……!」
共鳴の波が走る。
刃がうねり、赤く光る。
――刈り払う。
甲冑の胴を断ち割る。
だが、中から溢れたのは――
白い光。
「魂……!」
霧となって周囲に散り、
後ろにいた“帰れない魂”たちへと溶けていく。
それは……
ほんの少しだけ彼らを暖めた。
アリスの瞳が潤む。
「ありがとうって……聞こえた……」
その言葉が、
冥府に小さな波紋を生んだ。
しかし――
「まだ来る!」
ガルズが叫ぶ。
霧が割れ、
今度は二体、三体と現れ――
やがて数えられないほどの
黒い影が群れとなって押し寄せた。
「やばいな……」
ガルズが身を伏せる。
ベルダが低く呟く。
《レン。
今は斬るだけでは終わらぬ》
確かに。
倒せば魂は散り、
帰れぬ魂へと還るだけ。
それでは意味がない。
なら――
奪い返す方法は?
そのとき。
アリスが、そっと手を前へ伸ばした。
「大丈夫……
わたしが、連れていく……
みんなを……」
淡い光が、
少女の指先から溢れた。
優しく、
温かく。
冥府には似つかわしくない、
生の光。
黒い群れが、その光へ吸い寄せられる。
甲冑の影たちが動きを止め、
視線もないはずなのに、
確かに少女を“見た”。
そして――
静かに跪いた。
「……え?」
アリスが戸惑う。
ベルダが呟く。
《魂返し……
少女の中に、冥府すら逆らえぬ“聖”がある》
メオルが口にした“代償”。
その裏側にある――力。
アリスは小さく囁く。
「一緒に……帰ろうよ……
みんな、ひとりじゃないよ……」
黒い影――追跡者たちが、
次々と魂を解き、
霧へと変えていく。
光へ溶け、
魂たちが癒え、
再び歩き出す。
「……すごいな」
俺は言った。
ただ、素直に。
アリスは笑う。
「レンが……
行こうって言ってくれたから……
だから、みんな……
ついてきてるんだよ……」
胸が熱くなる。
(俺の言葉が……
誰かの魂を――照らしてるのか)
冥府の闇が、静かに揺れた。
その奥で――
冥王メオルが、
わずかに目を見開いた。
「……そうか。
これは“選び取った魂”の形か……」
噛み締めるように呟く。
「帰らざる者たち……
その願いを掬う者……
冥府において――
最も異端なる存在よ」
その声には、
確かに熱があった。
羨望でも、嫉妬でもない。
ただ――敬意。
「冥府さえ照らす魂……
いずれ、その光は――
冥王すら焼くだろう」
そう言い残し、
メオルの気配は闇へと沈んだ。
冥王すら、
見守るしかない。
アリスの手を握り、
俺は冥府の路へ向かう。
「帰るぞ。
全員で」
その言葉に、
魂たちが静かに震えた。
希望の響き。
冥府には不釣り合いな――
生の音色。
一歩ずつ。
また一歩。
揺らぐ道を進む。
冥府の闇が、
その行進を――静かに見送っていた。
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