第19話 冥王──魂を喰らう王 ①
――暗黒。
それは、夜という概念すらも追放したような“無色の闇”だった。
足元も存在せず、ただ宙を漂うように身体が沈む。
「ここが……冥府の最深部……?」
蓮の声は、吸い込まれるように空間へ溶けた。
返答はない。
けれど、確かに“何か”がいる――そんな気配が息苦しいほど濃い。
背筋が凍りつく。
あの《冥府の門》を抜けた瞬間、胸の奥を掴むような悪寒が走った。
まるで、この世界そのものが、俺を“喰おう”としているかのように。
だが、それでも俺は止まれない。
契約した黒き門番――ガルズは、俺の背中を無言で押してくれた。
アリスの魂を取り戻す。
それこそが今の俺の、ただ一つの目的だ。
「……行くぞ」
俺は一歩――踏み出したつもりだった。
しかし、どこにも地面はなく、ただ沈むように進む感触だけがある。
歩くというより、闇に“航行”する。
どれほどの時間が経ったのだろう。
次の瞬間――闇が“開いた”。
◆
空間が歪む。
黒い海が割れ、赤い光が滴り落ちるように視界へ差し込む。
それは“血”を思わせる色。
巨大な円形の闘技場――
いや、墓地のような暗黒建築群が広がっていた。
黒曜石の柱が林立し、天井には無数の“魂灯”が揺れている。
(魂の……光)
そのひとつひとつが、小さな命の声を放っていた。
悲鳴、囁き、祈り。
触れれば砕けそうなほど儚く――
しかし、必死に何かを訴えていた。
――『ここから……出して……』
――『寒い……暗い……』
――『誰か……誰か……』
胸が締めつけられた。
怒りか、焦りか、悲しみか。
混ざり合い、言葉にできない感情が渦を巻く。
――その声を踏みつぶすように、響く笑いがあった。
「面白い。実に面白い」
背筋に刺さる声。
優美であり、狂気を帯び、体温を奪う響き。
その中心。
玉座に座っていた。
黒い衣を纏い、長い銀髪をたゆたわせる青年。
顔立ちは美しい。
だが、その眼――虚無と嘲笑が混ざり合う“漆黒の瞳”が、俺を射抜いた。
「――ようこそ、術者よ」
背後に蠢くのは、巨大な影。
それは竜か、獣か、形を持たない。
“魂を喰う闇”そのもの。
彼は微笑む。
「待ちわびたぞ。
我が名は――
空気が震える。
黒い王は、魂灯を指でつまむと、
ひとつ、砕いた。
――ァァァァァァアアアア――!
悲鳴。
魂が霧散し、闇に吸い込まれていく。
俺の目の前で、“一つの命”が消えた。
「……!」
胸の奥が灼ける。
怒りが、理性を焼いた。
「やめろ……」
「ん? やめろ、だと?」
メオルが喉を鳴らして笑った。
「無意味だ。魂は巡る。喰らわれ、溶け、また生まれる。
それが運命。――反逆は業にすぎん」
「魂は……ただの“素材”じゃない……!」
「素材だとも。
――せっかくの生贄が、役割を終えたのだからな」
俺は叫ぶ。
「アリスを返せ!」
メオルの動きが止まる。
黒い目が、俺をまじまじと見た。
「アリス……か。
あぁ、あの少女なら――」
指先をひらひらと動かす。
「――美味かったぞ」
――瞬間。
視界が爆ぜた。
◆
喉の奥から、燃えるような叫びが溢れる。
俺の意思より先に、身体が動いた。
「ぶっ殺すッ!!!」
漆黒の大鎌を、空間から呼び出す。
ベルダの魂が震え――
《武装召喚(アームド・サモン)》が起動。
――ズガァァァンッ!!
衝撃。
大鎌が闇を裂き、メオルへ――
「遅い」
ただ、指一本で止められた。
「……嘘だろ」
「感情は良い。だが、技量が伴っていない」
メオルの指が軽く弾く。
――瞬間、俺の身体は吹き飛ばされ、黒い柱をへし折りながら転がった。
重力がねじ切れたような激痛。
肺から息が抜け、視界が歪む。
「うぁ……っ」
(……強すぎる……!)
“桁が違う”。
レベルやランク、そういう尺度では測れない。
――冥府を支配する存在。
メオルが、黒鎌を手に立ち上がる俺を見下ろした。
「だが――嫌いではないぞ。
その目。
生を求める、愚かで、眩しい目だ」
――ザッ。
メオルの足元から、黒い影が走る。
それは咆哮し、巨大な刃となって襲い掛かる。
避けられない。
「レン!!」
ガルズが前へ。
黒き獣王が咆哮し、影の刃を受け止めた。
――ギィィィィン!!
火花が散る暗黒世界。
魂灯が震え、悲鳴を上げる。
(ガルズ……!)
「我が主よ……退くな。
奴は――我よりも、遥かに深い闇だ」
「分かっている……でも、退けない!」
俺は立つ。
歯を食いしばり、血を吐いてでも。
「アリスを……取り戻すためにッ!」
メオルが薄く笑った。
「――ならば、見せてみろ。
貴様の“魂”を」
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