第19話 冥王──魂を喰らう王 ①

――暗黒。


それは、夜という概念すらも追放したような“無色の闇”だった。

足元も存在せず、ただ宙を漂うように身体が沈む。


「ここが……冥府の最深部……?」


蓮の声は、吸い込まれるように空間へ溶けた。

返答はない。

けれど、確かに“何か”がいる――そんな気配が息苦しいほど濃い。


背筋が凍りつく。

あの《冥府の門》を抜けた瞬間、胸の奥を掴むような悪寒が走った。

まるで、この世界そのものが、俺を“喰おう”としているかのように。


だが、それでも俺は止まれない。

契約した黒き門番――ガルズは、俺の背中を無言で押してくれた。

アリスの魂を取り戻す。

それこそが今の俺の、ただ一つの目的だ。


「……行くぞ」


俺は一歩――踏み出したつもりだった。

しかし、どこにも地面はなく、ただ沈むように進む感触だけがある。


歩くというより、闇に“航行”する。


どれほどの時間が経ったのだろう。

次の瞬間――闇が“開いた”。



空間が歪む。

黒い海が割れ、赤い光が滴り落ちるように視界へ差し込む。

それは“血”を思わせる色。


巨大な円形の闘技場――

いや、墓地のような暗黒建築群が広がっていた。

黒曜石の柱が林立し、天井には無数の“魂灯”が揺れている。


(魂の……光)


そのひとつひとつが、小さな命の声を放っていた。

悲鳴、囁き、祈り。

触れれば砕けそうなほど儚く――

しかし、必死に何かを訴えていた。


――『ここから……出して……』


――『寒い……暗い……』


――『誰か……誰か……』


胸が締めつけられた。

怒りか、焦りか、悲しみか。

混ざり合い、言葉にできない感情が渦を巻く。


――その声を踏みつぶすように、響く笑いがあった。


「面白い。実に面白い」


背筋に刺さる声。

優美であり、狂気を帯び、体温を奪う響き。


その中心。

玉座に座っていた。


黒い衣を纏い、長い銀髪をたゆたわせる青年。

顔立ちは美しい。

だが、その眼――虚無と嘲笑が混ざり合う“漆黒の瞳”が、俺を射抜いた。


「――ようこそ、術者よ」


背後に蠢くのは、巨大な影。

それは竜か、獣か、形を持たない。

“魂を喰う闇”そのもの。


彼は微笑む。


「待ちわびたぞ。

 我が名は――冥王メオル


空気が震える。


黒い王は、魂灯を指でつまむと、

ひとつ、砕いた。


――ァァァァァァアアアア――!


悲鳴。

魂が霧散し、闇に吸い込まれていく。


俺の目の前で、“一つの命”が消えた。


「……!」


胸の奥が灼ける。

怒りが、理性を焼いた。


「やめろ……」


「ん? やめろ、だと?」


メオルが喉を鳴らして笑った。


「無意味だ。魂は巡る。喰らわれ、溶け、また生まれる。

 それが運命。――反逆は業にすぎん」


「魂は……ただの“素材”じゃない……!」


「素材だとも。

 ――せっかくの生贄が、役割を終えたのだからな」


俺は叫ぶ。


「アリスを返せ!」


メオルの動きが止まる。

黒い目が、俺をまじまじと見た。


「アリス……か。

 あぁ、あの少女なら――」


指先をひらひらと動かす。


「――美味かったぞ」


――瞬間。

視界が爆ぜた。



喉の奥から、燃えるような叫びが溢れる。

俺の意思より先に、身体が動いた。


「ぶっ殺すッ!!!」


漆黒の大鎌を、空間から呼び出す。

ベルダの魂が震え――

《武装召喚(アームド・サモン)》が起動。


――ズガァァァンッ!!


衝撃。

大鎌が闇を裂き、メオルへ――


「遅い」


ただ、指一本で止められた。


「……嘘だろ」


「感情は良い。だが、技量が伴っていない」


メオルの指が軽く弾く。

――瞬間、俺の身体は吹き飛ばされ、黒い柱をへし折りながら転がった。


重力がねじ切れたような激痛。

肺から息が抜け、視界が歪む。


「うぁ……っ」


(……強すぎる……!)


“桁が違う”。

レベルやランク、そういう尺度では測れない。


――冥府を支配する存在。


メオルが、黒鎌を手に立ち上がる俺を見下ろした。


「だが――嫌いではないぞ。

 その目。

 生を求める、愚かで、眩しい目だ」


――ザッ。


メオルの足元から、黒い影が走る。

それは咆哮し、巨大な刃となって襲い掛かる。


避けられない。


「レン!!」


ガルズが前へ。

黒き獣王が咆哮し、影の刃を受け止めた。


――ギィィィィン!!


火花が散る暗黒世界。

魂灯が震え、悲鳴を上げる。


(ガルズ……!)


「我が主よ……退くな。

 奴は――我よりも、遥かに深い闇だ」


「分かっている……でも、退けない!」


俺は立つ。

歯を食いしばり、血を吐いてでも。


「アリスを……取り戻すためにッ!」


メオルが薄く笑った。


「――ならば、見せてみろ。

 貴様の“魂”を」

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