幕間Ⅳ ―夢の果て―
――夢の底で、光がゆらめいていた。
澪は目を開けた。
そこはもう、誰もいない世界だった。
風もなく、音もなく、ただ淡い光が降り注ぐ。
空も地も存在せず、上下の感覚さえ曖昧な、
“永遠の狭間”――夢界の最果て。
彼女の身体は半透明に透けていた。
指先を見つめると、輪郭がゆっくりと溶けていく。
痛みはない。
けれど、それは恐ろしいほどの静寂だった。
(……これが、終わりなんだ)
呟いた声は、泡のように散って消える。
思考が薄れ、心が眠りに沈もうとする。
けれど、消えていく中でも――
胸の奥だけが、まだ温かく光っていた。
そこには、ひとりの名前が刻まれている。
「勇人……」
その名を呼ぶたびに、世界が微かに震えた。
彼の声、彼の瞳、彼の手。
全部が遠くなっていく。
でも、不思議と悲しみはなかった。
むしろ、幸福だった。
――あの人が、現実で“生きている”。
それだけで、私は十分だった。
澪は目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、いくつもの断片。
初めて出会った夜。
泣いていた少年に微笑みかけた自分。
彼が夢界に踏み込んだ日の、怯えた瞳。
そして、最後に手を伸ばしてくれたときの温もり。
全てが光の粒となり、彼女の周囲を舞う。
やがてその光は、ゆっくりと空に昇っていく。
“記憶”が“空”へ還っていくのだ。
この世界のすべてが終わるとき、
その記憶は、ひとつの“星”として残る。
「勇人……どうか、あなたが――もう二度と、悲しい夢を見ませんように」
澪の唇がわずかに動く。
その言葉が風となって、遠くへ流れていく。
やがて、彼女の足元から“夢の地”が崩れ始めた。
白い花が音もなく散り、光が反転する。
遠くの空から“喰らうもの”の断末魔が響いた。
その影はすでに力を失い、霧となって溶けていく。
勇人が“門”を閉じた証。
(……ありがとう。あなたが選んだ未来を、私は信じる)
澪の身体が完全に透けていく。
けれど、その目は穏やかだった。
涙は流れない。
ただ、微笑んでいた。
まるで眠るように、静かに。
最後の瞬間、澪は天を仰いだ。
そこに、無数の光があった。
星のような、魂のような、無名の夢の残滓たち。
その中に、ひときわ輝く光があった。
――勇人の“心”。
澪は手を伸ばした。
届かないことを知りながら、
それでも指先が、確かに温もりを感じた気がした。
「またね……」
声が、やさしく世界に溶ける。
その瞬間、夢界が完全に閉じた。
闇も、痛みも、すべてが消えた。
残ったのは、ひとつの“祈り”だけ。
――現実の朝。
勇人は目を覚ました。
世界は静かで、やわらかい光が差し込んでいた。
時計の針は、昨日と同じように進んでいる。
それなのに、胸の奥が妙にあたたかい。
夢を見ていた。
白い光の中で、誰かが笑っていた。
名前は思い出せないのに、その笑顔だけは忘れられない。
(……ありがとう)
言葉にならない声が、心の奥でこだました。
その瞬間、窓の外で風が吹いた。
桜の花びらがひとひら、勇人の机の上に舞い落ちる。
それはまるで――
“誰かがここにいた”ことを、そっと教えてくれているようだった。
夢は終わった。
けれど、残響はまだ胸に響いている。
それは、“記憶”ではなく、“想い”。
そして、“愛”という名の、静かな祈りだった。
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