其の九 寝ずの番①
大学二回生、秋が深まり夜が肌寒くなってきた頃。大叔父が亡くなったと父から連絡が来た。訃報を聞いた瞬間、うまく受け止められず、しばらく呆然とし――そして泣いた。
声を上げず、ただ涙が落ち続けた。
泣いたのは、何年ぶりだっただろう。
泣きながら、私が進学で故郷を出た日のことを思い出した。
あの日、大叔父は言った。
「僕から一つ……直感を大事にしなさい。おかしいと思ったら、その感覚を疑わないこと。すぐ回避する、いいね?……着いたら美味しいものを食べなさい。どうか、健康に気をつけて」
そう言って、祝いとは別に小さな可愛いポチ袋を渡してくれた。
どうして今になって、その言葉を思い出したのだろう。
---
朝一番の新幹線に乗り、ローカル電車とバスを乗り継ぐ。景色が変わるほど、時間が戻っていくようだった。
故郷は相変わらず、時が止まったままのような古い街並みだった。
無人の駅。駅前なのにコンビニすらない。
舗装された一本道は果てしなく田畑に挟まれ、その先には山肌に閉ざされた暗い稜線が横たわる。電線は空を縫うように垂れ、使っているのかどうかもわからない納屋の錆びたトタン屋根を押さえこんでいる。
空き家の雨戸は昼でも閉じられ薄暗く、シャッターが降りた商店の看板は色だけが残り、剥がれかけたポスターが風にちぎれそうに揺れていた。
町を囲む山々は塀のように高く、外へ通じる道は一本きり。バスは日に二本。来るのか来ないのか、都会の人から見たら運まかせのような交通事情に見えるだろう。
夜になれば、家の灯りが一つ、また一つと消え、最後に残る街灯の白さが孤独を強調する。その静けさは安らぎではなく――
「ここからは出られないぞ」
と告げる檻の気配を帯びていた。
持ってきた荷物は三日分の着替えと、「
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――「寝ずの番」という通夜の前に行う風習がある。
昔ながらの襖をすべて外した広い座敷。そこに安置された亡骸の線香を絶やさぬよう、夜通し見張る。それが寝ずの番。
ここまでは、特に地方では珍しくはない習慣だろう。線香を絶やさないための寝ずの番は今でも全国にある。
ここから先は、おそらく私の故郷――この小さな土地だけの話だ。もし似たような習わしをご存じの方がいらっしゃれば、いつか聞いてみたい。
この土地にはやや特殊な役目がある。
その説明の前に簡単に間取りを説明する、今回の話に関係しない部屋は省く。
実家の間取りは左右対称で、
この物置は幼い頃から裏の蔵より厳しく「入るな」と言われてきた。
好奇心旺盛だった私でさえ、この決まりだけは破らなかった。
「壊れると困る古い道具でもあるのだろう」と、それ以上深く考えたことはなかった。
だが、そうではなかった事が自分に課せられた役目で知ることとなった。
先にも述べたがこの土地には、葬送の役割がある。
寝ずの番四名――そして一名、
役は亡くなった者から数えて四親等以内の者を
寝ずの番は、亡骸を囲むように東西南北に座り、全員が死者に背を向ける。北の役だけが線香を焚き続ける。
簡略図にするとこうだ。
↑
◇
←◇ ■ ◇→
◇
↓
■が大叔父、◇が選ばれた者。矢印はそれぞれが向く方角。
そして――
東の物置に籠る者、それが
懐剣役の務めはひとつ。
「悪しきものが来る方角を見張り、死者を守ること」
物音がしたら懐剣を抜き、三秒構え、鞘に納める。刃は潰されているが、所作は武家のそれと変わらない。
この役目は十八歳を超えると対象になる。私はその年、二十歳。
そして――
怖くないと言えば嘘になる。だが、大好きな大叔父を送り守る役目なら、逃げる理由はなかった。
住職から懐剣の抜き方・構え・武芸では大切な残心と呼吸を教わる。懐剣と聞いて短刀を想像していたが、渡されたのは
「悪いものは金気を嫌う。微かでも音がしたら――抜くんだよ」
家鳴りでも、虫でも、風でもいい。疑うな。迷うな。ただ刃を抜け。
そう教えられた。
身内の女性が
祖母は私をまっすぐ見て言った。
「いいかい。音がしたら迷わず抜いて、腰を落としなさい。気のせいと思ってはいけない。おかしいと思ったら――迷わず、刀を抜きなさい」
声には厳しさと、心配が混じっていた。
私は深く頷き、呼吸を整えた。
――たった一晩だけだ。
そう、悪いものなど迷信だ……ただの儀式だ。
そう自分に言い聞かせた。
---
寝ずの番は、日没とともに始まる。
日没時刻――十七時十四分。
私は今も忘れない。
家族に送り出され、懐剣を抱えて、初めてその物置の襖へ手をかけた。
十八年暮らした家で、一度も開けたことのない場所。
蔵には入ったことがある。秘密でこっそり忍び込んだことすらある。
だが――
この物置だけは、一度も……。
私は襖を開いた。
そして思った。
――この物置は、いったい何のためにある?
と。
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