其の八 血縁の地層
昔の話をしようと思います。
数年前に大叔父を亡くしました。
心不全でした、享年八十八歳。
私は大叔父が大好きでした。
大叔父は、私が生まれる前に亡くなった曽祖父の十二歳下の弟。大学で地学を教えていました。退官して故郷に戻ってからも研究者として好奇心旺盛で筆まめで穏やか、どこか少年のような人でした。
家には本と鉱石標本が溢れており、その一つひとつが宝物のようで、絵を描くのが好きだった私は標本や図鑑の絵を描いては見せて、「上手だね」と言われるのが嬉しくて何枚も何枚もスケッチをしました。
大叔父の話はどれも面白く、子どもだった私を『子ども扱い』しなかった。学術的な話も丁寧に目線を合わせ、ひとりの人間として敬意をもって接してくれた、立派な人でした。
私は小さい頃から怖いもの知らずで、阿呆と煙は何とやらと言うくらいに高いところが大好きでした。木の上にも屋根にも登りたがり、しょっちゅう怪我をしては親に叱られ呆れられていました。
母には、
「かるるは後先考えず、『あれは何だ?見たい!』で一歩踏み出すんだから!母さんは心配よ。頼むから……少し、危ないかそうでないか考えてちょうだい」
と。私は自分が悪いことは理解していたが、興味があることは自分で試したいのだと、少しむくれながら大叔父に愚痴を言いました。
それを聞いた大叔父は、
「好奇心、大変結構。かるるは“何だろう?”と思ったことを、調べずにいられない性分なんだね。僕と同じだね。でも、危険なことをして怪我をしたり命に関わることはやめなさい。お母さんに心配かけてはいけないよ」
その言葉が、今も胸に残っている。「やるな」とは言わず、「なぜ母さんが注意したか」を優しく諭してくれました。
大叔父がよくしてくれた話の中で、私がいちばん好きだったのはこんな話でした。
「地層を見るとね、年代や過去の環境、自然現象の歴史が見える。いわば、地球の記憶を読むようなものなんだ。面白いだろう?知りたいと思うことは行動だけじゃなくて本を読んだり調べたりすることで解ることもあるんだよ」
私は興味津々で聞き入って、調べ物は記憶を読むことなんだと、本を読むのが大好きになりました。
やがて私が高校二年生になり、芸術大学に進学するつもりだと話したとき、大叔父は嬉しそうに微笑んで、
「血筋も地層と同じなんだよ。その一族の生きた記憶や、病の免疫、体質――そういうものが遺伝子という層に積み重なっている。
僕は生涯独身だったけれど、兄、つまりかるるのひいじいちゃんが血をつないでくれた。だから僕の“層”も、かるるに託せるんだ。僕も絵を描くのが大好きだけど絵描きにはなれなかった。僕が出来なかった夢をかるるが叶えてくれたらとても嬉しい」
そう言うと、自分の愛用していた機械式の腕時計を私の手に乗せてくれた。
男尊女卑が根強く残る田舎でしたが、家族はそう表立って分け隔てはしなかった。しかし、やはり長男である兄は頼りにされていた。
こんな立派な時計を兄ではなく私に譲ってくれたことが、嬉しくてたまらなかったのを今でも覚えています。
「ありがとう!絶対大切にする!毎日つけるよ!」
私がそう言うと、大叔父は穏やかに笑い、
「うん……かるるは、好きなことをやりなさい。こんな土地に若い人が縛られる必要はないよ。外へ出て、好きなだけ見ておいで、そして気に入った街があったらそこに住みなさい。ここに……戻ろうとしなくていい」
と、穏やかに言った。
それからというもの、その時計は私にとってお守りのような存在になった。
絵筆を持つときも、旅に出るときも、私は必ずその時計を腕につけています。今これを書いているときも、私の左腕にあります。
――まさか、それからわずか二年半後に、大叔父が急死するとは思いもしませんでした。
訃報を聞いた時、手首の時計がいつもより重く感じて、時を刻む音が、まるで“血縁の地層の奥から響く鼓動”のように思えて、一人暮らしのマンションで泣きました。涙が止まらず、私は声もなくただ涙を流しました。
今でも時折、文字盤に映る自分の顔を見つめながら思います。
私の中にも、大叔父の記憶の層が、確かに積もっているのだと。
その日、葬儀への参列のために私は郷里に戻ることになったのでした。
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