第2話
翌日の放課後。
昇降口から見える空は、呆れるほどに青い。一日ごとに着実に盛夏に向かって季節が進んでいる。
運動部の掛け声が遠くに響き、蝉の声がそれをかき消している。
職員室の前に立ち、二度ノックをする。
「失礼します」
職員室の扉を開けると、中にはほとんど人がいなかった。先生方は部活や明日の授業の準備をしているのだろう。
窓際の席に目をやると、目的の水木由宇先生がプリントの束を整えていた。
二年三組の担任で、英語科教師としてこの学校に十年近く勤めている。いつもは穏やかな笑みを浮かべているその人が、今日は少し疲れて見えた。
「水木先生」
と声をかけると、水木先生はすぐにこちらに気付いてくれた。
「ああ、白坂さん。高端先生から聞いたわ。旧校舎の図書室に行きたいんですって?」
「はい、文芸部の部誌に掲載する作品の参考にしたくて」
私の言葉に、先生はゆっくりと頷いた。
「……そう」
その言い方に、どこか影があるような気がした。
「旧校舎は基本的に立ち入り禁止なのよ。整理されていないだけじゃなくて、古くて危ないところもあるんだから。
……今回は高端先生に頼まれたから、特別よ」
まるで、自分に言い訳をしているような言い方だった。先生は机の引き出しを開けると、一本の古ぼけた鍵を取り出す。
「これが旧校舎の鍵。図書室は一階の突き当りだから、まっすぐ進めばすぐにわかるわ」
差し出されたのは、赤いタグのついた一本の鍵だった。
すっかり古ぼけて、錆も浮いている。長らく使われていないその鍵は、私には宝物のように見えた。
「ありがとうございます、危ないところには入りません」
「ええ。それに、暗くなる前には旧校舎を出て、鍵を返しに来ること。あそこは管理が行き届いていませんから、電気が切れているところがあるかもしれません。
あと、図書室以外には立ち入ってはいけませんよ」
「わかりました」
先生はさらに言葉のトーンを落としてこう続けた。
「旧校舎は、本当に危ないの。だから……いえ、やっぱり、私も一緒について行きましょうか? 白坂さんひとりだと、危ないでしょうし」
水木先生は、心配そうにこちらを見つめてくる。
「い、いえ! 私一人で大丈夫です。資料を探したり、選んだりするのに時間がかかるかもしれませんし、先生のお手を煩わせるわけにはいかないです」
「そう……。必要なら、また明日続きを調べればいいですから、必ず明るいうちに帰ってくるんですよ」
水木先生の言葉は、あまりに真剣過ぎて、どこか違和感があった。
「必ずですよ」
私はどう反応していいかわからず、ただ「は、はい。じゃあ行ってきます!」と言い、鍵を奪うように受け取った。そのまま水木先生のことを直視しないようにして、職員室を出た。
手の中の鍵はひんやりとしていて、どこかずっしりと重く感じた。
――なんだか、水木先生の表情がいつもと違っていたような気がした。
何かに怯えているような、そんな表情に見えた。
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