松原ゆきこの卒業文集 三月の雪にまぎれて

さとうきいろ

第1話

 窓の外から、吹奏楽部の調子の外れたトランペットの音が聞こえる。

 開け放たれた窓から、生ぬるい初夏の風が文芸部の部室に入り込んでくる。年々暑くなるのが早くなっている気がする。ブゥウウン……という古い扇風機の音も、すっかり気にならなくなった。

 期末試験が終わり、夏休みが始まるまでの、何でも無い期間。放課後の校舎内には、どこもかしこもだらけた空気が充満していた。


「沙耶はもう文化祭の部誌になに書くか決めた?」


 片手にスマートフォン、片手に紙パックのアイスティーを持ち、気だるげな様子で小松桃が聞いてきた。


「いやー、全然だよ」


 机の上に置きっぱなしになっているプリントを手に取る。そこには「文化祭準備のスケジュール。題材提出締切:7月21日(火)」と書かれ、ご丁寧に赤ペンで印がつけられている。


「よかった~。わたしも。何となく恋愛小説がいいかなあとは思ってるんだけどね」


 なんだ、全然考えてるじゃん。なんていう言葉は飲み込む。桃はそういうやつなのだ。

「いいじゃん」と相槌を打つと、桃はそのまま「そうかなあ。でね、ピュアなのより重いのにしたくて……」と構想を話し続ける。

 意識を半分――いや、意識の四分の一だけ桃の話に向け、残りの四分の三で手元に置かれた数年分の文芸部の部誌に向ける。

 文芸部所属の部員は、文化祭で発行される部誌でぜったいに何かしらを寄稿しなければいけない。一年生だった去年、桃は当時片思いをしていた先輩をモデルにした恋愛小説を、私は中学で噂になっていた学校の怪談をモチーフにしたホラー短編小説を提出した。

 今読み返せば稚拙な作品だが、出来はともかく作品を書いている間は楽しかった。


「あ、それ去年の部誌?」


 話を聞かれていないことなんてみじんも気にせず、桃は私のとなりの席にやってくると去年の部誌を開いた。


「うん。先輩たち、去年なに書いてたかなって、参考にしようかと思って」


「先輩が何を書いてたかなんて、気にしなくていいんだよー。沙耶が書きたいものを書く、それだけ」


「それは、そう、なんだけど……」


 あっけらかんとした桃の言葉。

 正しい、正しすぎて、ちょっとしんどい。


「わあ、なつかしー! 狭山先輩のこの詩、たしか体育館で朗読やってたよね? あれよかったよね~。あーこれ、辺見先輩のこれ、パクリじゃねって噂だったやつ。

 沙耶は……そっか学園物のホラーだ。これ、すごくよかったじゃん」


 私の作品にページに辿り着くと、桃が大きく声をあげる。


「え、桃ホラー嫌いって言ってたじゃん」


「好き嫌いと、評価するしないは別よ。去年のこれ、『十三階段の異世界鏡』は面白かったよ。ホラーは好きじゃないけど」


「あ、ありがと……」


 アイスティーをずずず、と飲み干すと、桃は机に突っ伏した。


「沙耶の書くものは面白いんだよ」


 扇風機の風が、私と桃の夏服を揺らす。窓の外からは、相変わらず吹奏楽部の練習が響いている。七月、もうすぐ夏休みだ。


「実はさ、モキュメンタリーホラーを書いてみたいと思ってるんだよね」


 モキュメンタリーホラー。

 映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のような、実際はフィクションだが、本当にあったこと――つまりドキュメンタリーであるように見せるホラーフィクションのことだ。

「偽物」という意味の「モック」と、「ドキュメンタリー」を合成した言葉で、「フェイクドキュメンタリー」と呼ばれることも多い。

 最近のホラー界隈では、SNSのログや掲示板、あるいは古い新聞記事風のテキストといった「断片的な記録」を積み重ね、「これは本当にあった記録なのかもしれない」と読者に想像させることで、リアルさを演出する作品が増えている。

 フィクションなのに、現実にあったことかもしれないと思わされるような作品は、従来のホラー作品とは一味違うゾクゾクを味わうことが出来る。


「そういう、リアリティを積み重ねたホラー、みたいなのを、作ってみたいなって」


 ぽつりぽつりと話すと、飲み終わったアイスティーのプラスチックストローを噛みながら、桃がこちらを見てくる。


「なるほどね。去年の『十三階段の異世界鏡』も本当にある噂をもとにしてたし、沙耶はそういうのが好きなんだね」


「あー。言われてみれば、そうかも」


『十三階段の異世界鏡』を執筆した時も、ただ噂を思い出しながら書くのではなく、後輩に「最近もあの噂は中学で流行っているのか」聞いたり、取材的なことはした。リアリティがある作品にしたい、という気持ちは、確かにあった。


「そうだよ。いいじゃん、モキュメンタリーホラー。書こうよ」


「うーん、でも……」


 書きたい、という気持ちはあるものの。

 自分でも書けるものだろうか。

 リアリティ。本当にあったかもしれない、と読者に思わせるような。

 ついつい考え込んでしまっていると、桃がちょいちょいと私の肩を叩く。


「顔。すごい顔してるよ」


「え……」


 そんな会話をしていると、部室の扉がガラッと音を立てて勢いよく開かれた。

 顧問の高端はじめ先生だ。


「お。今日は白坂と小松だけか」


「三年は補修とさぼり、一年はさぼりとさぼりとさぼりです」


 桃が机に体を預けたまま雑な敬礼をして見せる。


「いつも通りだなー。お前たちは。

 どうだ、ふたりは文化祭の題材は決まったのか」


 高端先生は大きな体を縮めながら部室のドアを潜る。

 先生は30代前半くらいで、身長は180㎝以上あり、がっしりした姿をしている。見た目だけなら体育教師だが、実際は文学青年の国語科教師だ。


「うちらはばっちりでーす。私は恋愛小説、沙耶はモキュメンタリーホラー」


「ちょっと、桃!」


 書きたい、とは言ったけれど、書くとは言っていない。


「おー、いいじゃないか二人とも。簡単な構想だけで大丈夫だから、21日までにちゃんと提出するんだぞ」


 高端先生はなんだか嬉しそうだった。

 文芸部は、積極的に活動している生徒ばかりではなく、幽霊部員も多い。きちんと提出物の締め切りを守る生徒がいるだけで、先生としては助かるのだろう。


「いえ、あの。先生、私はまだ……」


「白坂、どうした?」


 言いにくい、けれど、言わなければいけない。


「その、書けるかどうか自信がなくて。まだ題材を決めた、っていうわけではないんです」


「えーーー! いいじゃん。書きなよ、沙耶!」


 私が小さく先生に告げると、それをかき消すような声で桃が割り込んでくる。


「大丈夫だって、沙耶ならなんとかなるって。やろうよー!」


「こら、小松。ちょっと黙ってなさい。白坂、そうなのか? もちろん、白坂が書きたいものが他にあるならいいんだが、単に自信がないっていうのが理由なら、諦める前にもう少し考えてみてもいいんじゃないか?」


「でも……」


 いつの間にか、窓の外でうるさく響いていたトランペットの音が止んでいる。部室はにわかに静寂に包まれた。


「書いてみたい、とは思ってるんですけど、そこからぜんぜん進まなくて。どんな話にして、どんな資料を積み上げていけば物語になっていくのか、まだ全然見えてこないんです」


 私の話を、高端先生は静かに聞いてくれた。桃もストローを口で弄びながら、桃なりに真剣に聞いてくれている。


「具体的に何を書くか、って話だよな」


 高端先生は困った様子で首のあたりを軽く掻く。


「題材選びについて、これまではどうしてたんだ?」


「これまで……」


 そう聞かれても、困ってしまう。小説の題材をどうしているかなんて、考えてこなかった。書きたいものが、常に身近にあった。たとえば去年の部誌では――


「本当にある話をもとにして、怖い話にするんじゃん!」


 と、しばらく大人しくしていた桃が声をあげた。


「去年の部誌もそうだったし、考えてみれば沙耶の書く話って、みんな実際にある噂とか、都市伝説とかをもとにしてるよね」


 言われてみれば、確かにそうだった。これまでに文芸部で発表してきた作品は、何かしらベースになるリアルな核があり、そこから私なりの物語へ膨らませてきた。


「そうだな、白坂の作品は噂や都市伝説を下敷きにした作品が多いな。それなら、モキュメンタリーホラーを書くとしたら、まずは実際にある資料を何か見つけて、それを下敷きに作品を作っていく、なんてのもいいかもしれないな」


「いいじゃん、それ」


 桃はまるで自分のことかのようにはしゃいでいる。


「実際にある資料、ですか」


 すこし考えてみる。

 古い事件の新聞記事や、インターネットのブログ、SNSの書き込み。そうしたものから気になるものを見つけ、それを少し改変して物語にしていく。

 悪くはなさそうだ。

 でも、何となくピンと来ない。


「いいとは思うんですけど。せっかく部誌に載せるなら、もう少し、なんというか、部誌に載せるにふさわしい話にしたい、みたいな……」


「何それ、むずかしっ」


 桃のツッコミも当然だ。どうすればいいのか、自分でもわかっていないのだ。


「それなら、この学校を舞台にしたらどうだ?」


「へ?」


 考えてもみなかった発想に、一瞬ぽかんとしてしまう。


「本物の学校を舞台にして、過去の学校の実際の資料をもとにする、なんてどうだ?」


「お、おお……」


 それは、かなり……。


「それ、面白そう!」


 がたん、と桃が椅子から立ち上がって声をあげる。

 私の作品のはなしなのに、こんなに自分事にしてくれて、だから憎めないんだよな。


「資料をそのまま使っていいかは一概には言えないが、参考にする程度なら問題はないだろう」


「学校の資料って、図書室とかにあるのかな?」


「うーん、図書室はよく使うけど、そんな資料とかあったかな」


 さっそく頭の中で、「過去の学校の資料」について考えだしてみるがあまり思いつかない。ここからは色々うごいて調べてみるしかない。


「旧校舎のほうの図書室に、古い書類や、古い卒業文集なんかが少し残ってるはずだぞ」


「「旧校舎!」」


 桃と声がハモってしまった。恥ずかしい、と思っているのは私だけのようで、桃は純粋に瞳を輝かせている。


「俺は許可を出せないんだが、白坂の担任の水木先生に頼めば、旧校舎に入らせてもらえると思うぞ。俺から事情を説明しておいてやろう」


「やった~! なら、早速頼みに行こうよ!」


「今日はもう下校時間だから、明日にしなさい」


「ケチ~」


 先生と桃のやり取りを眺めながら、私は握りしめた手に意識を集中させた。

 いつの間にか太陽は傾いていて、部室にオレンジ色の光が注ぎ込む。

 旧校舎、古い学校の資料、実際に通う学校の過去をもとにしたモキュメンタリーホラー。


 うん、面白い。私はこの考えにすっかり夢中になった。


 面白いモキュメンタリーホラーが書けるかもしれない。

 この時は、ただそんなことを考えていた。



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