あなたの価値を決めるのは

深川我無

人の価値とはなんなのか

自分が無価値で仕方なく思える瞬間がやってきて起き上がれない日がやってくることがある。


それは唐突にやってきて、私の心と身体を蝕んでいく。


しかし決して無意味に、無秩序にやってくるものではなく、必ず意味や理由がある。


価値とはこの世界では相対的な存在だ。


他者との比較によって生まれる幻想だ。


一万部売れる。


増刷される。


あの人の作品の方が凄い。


自分もああなれたら。


もっというなら、


あの人はいつも笑顔で対応が上手いのに、私ときたら引き攣った笑顔で「ええ」とか「うん」とか気の利いた言葉の一つも言えない。


とか


誰も気にしないような些細なことにクヨクヨ悩んで、鬱に入って、悪循環になる自分が呪わしいのに、そのくせその穴に入り込んでいる自分がどこかヒロイックで好ましく、そのニヒルさに依存していて気持ち悪い。


とか。


突然やってくる鬱には必ず意味や理由がある。


そこには無価値感や無力感が伴う。


それは心と身体を蝕んで、立ち上がる気力をへし折って、前を向く力を奪い去っていく。



でも、これは大きな間違いだ。


無価値な自分の本質は、他人とは何も関係ない。


知らない誰かが、知らない場所で何をしていても、私たちは何のダメージも受けたりしない。


目の前の、手の届く、他者がいるから、自分を呪うし、自分に絶望する。


これが大間違いだ。


本当に絶望すべきは――自分のすべき事が、ある種の使命が、人生の命題が――達成出来ていない今の自分の至らなさだ。


それが出来ていないのならば、ある意味「自分は無価値」と感じるその直感は正しい。


私の価値は、私のすべき事が出来ているかどうかにかかっている。


それなのに世界は自分の都合で評価を下してくる。


もっと〇〇しないと、誰それはこうだよ、常識的に考えて云々。


断言する。くそ食らえである。


私が私の価値を信じられるかは、他者の測りではなく、自分の測りと事実によって自分を評価し、自分を肯定出来るかどうかにかかっている。


肯定出来ないなら、肯定出来る自分とはどんな自分か考えなければならない。


それは自分の使命や役割を見出す作業に等しい。


それは信念とも言えるし、神が与え給うた役目とも言える。


大それている必要もない。


もし、何か大それた役目を願う場合、それはすでに他者との比較で点数をつける社会構造に、思考が毒されているからかもしれない。


私の場合は妻が幸せを感じていられることがそれにあたる。


それが出来ていないなら、私は無価値だ。


どんなに他者から褒めそやされても、人が「そんなことはない」と励ましても、意味がない。


逆にそれを否定して別の大義を押し付けてくる輩の声もただの雑音である。


自分の無力さや至らなさ、あるいは傲慢や万能感で、妻を置き去りにするなら、私の全ての能力に意味はない。


それなのに、何度もそのことを忘れて、どうでもいいはずの事で鬱になる。


そのたびに、妻に心配をかけて立ち直る。


自分の価値を決める測りは、世界でも他人でもない。


自分が天と交わした約束事を守れているかどうかだ。


人の価値も同様だ。


良い成績を残していても、天との約束が守れていないなら意味がない。


その約束は他人には分からない。


それが、本当に天と交わした約束ならば、他人には決められないし裁けない。


天と個人との間でひっそりと交わされる約束は清潔で美しく、何よりも貴い意味がある。


私はそこに自分の存在価値を見出すように努めている。


人の価値を決めるのは、その人が与えられた役目を果たせているかどうか。それに対する自分の納得。それしかない。


とにかく生きることを天が求めているならば、その人は生きているだけで尊い。


勤勉さを求められているならば、営業成績が振るわなくても、勤勉であればそれで尊い。


自分が気に入る存在価値を追い求める限り、人はそれが手に入らずに苦しむし、それを手に入れても新たな苦悩に苛まれたりする。


人の価値は、人と天が酌み交わす、密やかな約束の中にある。

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