30話【神室れいじの過去】
霜を含んだ風が、霊園墓地の並木を鳴らしていた。
神室れいじが到着したとき、そこにはすでに一人の男の背があった。
黒のコートの裾は風がはためかせ、その男は墓碑に向かって立っていた。
「九条長官…」
九条兇然。
警察庁長官であり、異能戦争における十傑の1人。
神室が歩み寄る足音に、九条は声を返した。
「どうだ?異能対策室の方は」
「そうっすね…まぁまぁっすね」
神室は静かに答え、手にしたユリの花束を墓前に置いた。
白い花弁が微かに揺れ、墓石に刻まれた文字が夕光に沈む。
ーー
異能戦争における十傑と呼ばれた1人でであり、自分にとってはたった1人の姉。
「あれから15年前…早いものだな」
「そうっすね…」
九条は帽子を取って黙礼したまま、しばらく口を開かなかった。
その背中から漂う沈黙には、年月では拭えぬ悔恨が滲んでいた。
「……今でも、ワシはあの戦争を忘れられん」
九条は墓石に手を置いた。
「あの年、突如日本中で異能者の存在が明るみになった。それまでは超能力者やサヴァン症候群、ギフテッド
怪奇現象、色んな名称で片付けられていた人や物質の現象が異能という形で括られ、それを自由に扱う者達を異能者と呼称した。」
「知ってるっすよ。ガキの俺でも姉貴に言われてたっすから」
「全国各地で暴徒として暴れる異能者達に異能を持たない一般市民達は多くの命を失っていった…数週間で数万人っていう人の命が失われた…人口が集中してない県はすぐに壊滅、人の住める地域じゃなくなっていた」
九条は淡々と語りながらも、その声には当時の焦燥が滲んでいた。
「1か月も過ぎればすぐに政府は統制を失っていた。異能者たちの蜂起はまるで組織的だった。だから当時警視監だったワシは異能者に抵抗する勢力を集わせ、束ねるしかなかった。お前の姉もその時に集まった1人だったな…両親を異能者に巻き込まれて怒りに満ちた顔を浮かべながらお前を連れて」
神室の瞳がわずかに揺れた。
「寄せ集めたワシ達は関東を中心に”対異能防衛前線”として戦っていた。異能と呼ばれる力には普通の人間にはそりゃ力の差なんてのは歴然だった。だから法も敷かれない特別体制でその戦争に挑むことになった。
九条は短く息を吐き、遠くを見つめるように視線を上げた。
「神室麗央は対異能防衛前線の中で17という齢の最年少だったにも関わらず、異能者達を鎮圧し続けてた。対異能防衛前線内じゃ”鬼神”と呼ぶやつも居たな…」
「姉貴がそんなふうに…」
神室は呟いた。記憶の奥にある姉の姿は、いつも笑っていて、髪を撫でてくれる優しい顔だけだった。
「他の後の十傑達の力もあって暴徒側の異能者達は勢いは徐々に失っていっていた。ある時異能者の主導者の1人を追い詰めていた。確か“赫王”と呼ばれていたなそいつは。奴を追い詰めていたものの、ワシら達の負傷者も数え切れないぐらい居た…戦争を早く終わらせようと考えていた神室麗央は……ワシの制止を振り切って、単独でその本陣に突っ込んでいた」
九条の目が細くなる。
その瞳に映るのは、過去の焼けるような光景だ。
「ワシが追いついた時には、赫王とあの子は相打ちになっていた。たった1人で異能者を討ち、動かなくなっていた…あの時、ワシが何としてでも止めていれば…」
九条はそこまで言うと、口を閉ざした。
沈黙が霊園を包み、風が二人の間を通り抜ける。
「……悔いる必要はねぇっすよ長官。姉貴は最後まで、自分の意思で戦ったんだと思います。俺がそう信じたいだけかもしれねぇっすけど」
れいじは静かに目を伏せた
「まぁ姉貴が死んだって聞いて俺は怒りでいっぱいでしたっすけどね…何で1人で行ったんだ、何で俺を置いてったんだって…ガキの俺にはそれしか考えられなかった…母も父も死んで、その上姉貴まで死ぬなんて…異能者は絶対に許さないって」
れいじの声は少し震えていた。
「けど、守るためだったんだと俺は思ってるんです。あの人は誰かを守るために最後まで戦ったんだって未来のために戦ったんだって。だから俺は姉貴みたいに強い人間になろうとしたんです」
「…そうか、だからワシらの前から居なくなったのか…」
「そうっすね…1人で戦う力を身につけようとしたんす」
「…あの戦争の後、ワシはお前を養子として育てていくつもりだったのに忽然と姿を消していた…ワシは探し回った、この地位を得てもワシは探し続けた。そしたら漸く見つけた。東京の地下にある地区”第0区”の闘技場にお前が戦っている所を」
「……懐かしいっすね。…対異能防衛前線から出ていった数年は放浪する毎日だったっすけど、ある時俺を拾って強くした親父みたいな格闘家がいたんす。あの人が俺に“生きる強さ”を教えてくれた」
九条は静かに目を閉じた。
風が二人の間を通り抜け、ユリの花が小さく揺れた。
「そうか…」
「あの人も異能を持ってるっていう異能者でしたけど、
異能戦争が起こって異能者に対して怒りを燃やした熱い人だった。」
――あの戦争のあと、俺はまだ子供だった。姉を失い、行く宛もなく日本各地を彷徨った。
空腹や寒さに震えながらも、ひとつだけ確かなものがあった――異能者への復讐心。
そんな心を持ってくたばりそうになった俺が迷い込んだのは東京の地下にあると噂されてた23区外の地区”第0区”
本当にこんな場所があったんだな…
そんなことを最後に思って俺は意識を失いかけていた。
『ここまで来て死ぬのかガキ』
『…ガキじゃ…ねぇ…れいじ…だ、俺は』
『そうか、じゃあれいじ。もう一度聞くぞ。ここで死ぬのか?』
そんな言葉を垂れながら俺を拾ったのが、地下闘技場で生計を立てる格闘家だった。
彼は口が悪く、荒々しく、時に叱咤し、黙って背中を叩く――
だが時には俺の身を案じる心配や優しさを見せることもあった。
その仕草一つ一つが、俺にとっては安心であり、学びでもあり、親の様に信頼できた。
いつしか俺はその人から戦う技術を学んでいった。
『れいじ、お前何のために戦うと思った』
『俺は…復讐だ。異能者への復讐だ』
『復讐か。そりゃなんでだ?』
『姉貴が異能者と戦って死んだ。相打ちだったが死んだ。周りに居た大人は姉貴を助けてくれなかった。その上、異能者達の主導者の何人かは取り逃してんだ。だから俺はそいつらを殺すために戦う…!』
『なるほどな。俺はどうだ?異能者だぜ?異能者なら殺す対象だろ』
確かにと俺は思ったが、すぐに言い返した。
『あんたは違う。俺を助けてくれた、俺に戦い方を教えてくれた。だから俺はあんたを殺すなんて事は絶対にしない』
『なるほど。よし、じゃあいいか、れいじ。生きるためには、復讐だけじゃ足りねぇ。強さだけじゃ足りねぇ。
ブレてるぐらいなら捨てちまえ』
『ブレてる?なんでだよ…!復讐が俺の生きる意味だ!』
『それらを全て、覚悟にしろ。覚悟を持て。対峙する奴にはリスペクトを持て。異能者だろうが非異能者だろうがそれに欠ける奴は何も強くはなれねぇ。』
その言葉に、俺は拳だけでなく心も鍛えられていった。
敗北の悔しさも、勝利の昂揚も、すべてがこの人との関係を深める糧となった。
叱り、支え、時に叱咤の裏にある慈愛をちらつかせながら、戦うことの意味を教えてくれた。
格闘家としてだけでなく、人として生きる術を、俺は学んだんだ。
れいじは口元に薄く笑みを浮かべた。
「俺はあの人に感謝してる。
あの人という異能者がいたから、俺は姉の敵討ちの“復讐”じゃなく姉を尊重する”生き方”を選べた。
異能に殺された命も、異能で生きた命も、どっちにも向き合いたかった。
九条はゆっくりと頷いた。
「……それを聞けてよかった。
あの子が命を懸けて守った“未来”ってのは、きっとお前のような生き方を意味していたのかもしれん」
れいじは黙って、墓碑を見つめた。
光が傾き、姉の名が刻まれた文字の一部が影に沈む。
その影が、まるで「もう十分だ」と告げているように見えた。
「九条長官」
「ん?」
「俺は貴方のおかげで、今は異能対策室で戦ってますけど、戦争の頃みたいな“敵討ち”はもうしないっす。
ただ、あの時みたいな悲しみを二度と繰り返さないために戦いたい。それだけっす」
九条はしばらく黙っていた。
やがて、帽子を取り、風に白髪をなびかせながら、低く、ゆっくりと答えた。
「……あの時の少年が強くなったな。本当に」
れいじは苦笑を浮かべた。
「姉貴や
俺は恨みで強くなったんじゃない。生きた証を繋ぐために強くなったんす」
九条の視線が柔らかくなる。
「そうか。なら、ワシはもう心残りがない。
……いや、あるな。
あの時、あの子を止められなかったこと。
そして――お前をひとりにしたこと。それだけは、今でも悔いている」
れいじは首を横に振った。
「……いや、もう、いいっすよ。
俺がこうしてここに立ってるのは、全部その結果っす。
九条長官があの地下闘技場に訪れてくれたおかげで、今の俺の力を使う居場所がある。
だから、感謝してるっす」
その言葉に、九条の瞳がわずかに揺れた。
言葉を返すこともできず、ただ深く、静かに頷いた。
れいじは墓碑に軽く手を当て、短く祈りを捧げる。
「……姉貴が居なくなった後も異能者による犯罪は減ってない、むしろ増えてるけど、俺はちゃんと生きてそれに対峙してる。話で聞いてた姉貴の様に、あの時遠くから見てた姉貴の様に、俺は戦ってる。だからそっちで見ててくれ俺を」
風が止み、空が一瞬だけ金色に染まった。
れいじは背を向ける。
「じゃあ、俺そろそろ行くっす」
九条はその背を見送りながら、帽子を胸に抱き、墓前に膝をついた。
「……麗央。
お前の弟は、立派に生きている。
ワシが失ったものを、あいつは全部拾い上げてくれている。
許されるなら、今度こそ――“未来”を守りたい」
その呟きは霜を帯びた風にさらわれ、空の向こうへと消えた。
ユリの花弁がひとひら、墓碑から舞い上がり、沈む陽光の中に消えていった。
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