29話【竜崎正剛の過去】


「出ろ。仮釈放だ」


竜崎は拘置所に来ていた。

榊昴が消息不明になり捜査が打ち切られた後、釈迦堂の罪は一旦は取り消しとなった。

それに伴い、釈迦堂を仮釈放となった。


ーなんで俺が。


竜崎がそんな事を思い耽ながら入り口の側に留めていたて車に寄りかかっていると、建物入り口から釈迦堂が歩み出てきた。


険しい顔。

釈迦堂を見てとれる表情はそれだった。


竜崎は釈迦堂を目の前に一言「乗れ」とだけ言った。


2人を乗せた車はお台場の方へと走っていた。


「良いのかよ?釈放なんて。仮にも俺は釈迦堂組の構成員だぞ?テメェらの前で異能者も殺してんだ」


「…知るかよ。釈放じゃねえ、仮釈放だ。そこは間違えんな」


「そうかよ」


窓の隙間から流れる風が、車内の重たい空気をより一層重くさせる。

沈黙の後、竜崎が口を開いた。


「…あの後、榊は消息不明になった。結果、捜査はそこで終了。用心棒として雇われてたお前は榊の異能のせいって事で落とし所がついた。だから仮釈放だ」


「…へぇ、そうかよ。あの野郎の異能が何か知らねぇんだがよく通ったなそんな結果」


「奴の異能は異常な信者の数から洗脳系の異能と断定したらしい。だからお前も榊の信者として洗脳されてたっていう判断だろうな」


「洗脳か…本当ならクソな異能だ。…あいつはそんなのに罹ってなきゃいいが…」


―ーそうか、こいつには妹がいたな。

こいつからその話が出た時、俺は自然に自分の娘の顔を思い出しちまっていた。


ーーこんな奴でも守る奴が居るのか。

そんな男を俺は嫌いにはなれなかった。



「…全くだな」


海岸付近の道路に徐ろに車を停めた竜崎。

釈迦堂は陰気臭いその空気に耐えきれず溜め息を吐き、外に出て行った。


「…つーか、この擬似能力って言うのを使って気づいた。使い勝手が悪い」


「お前のだけだろ」


「ま、こんな気味悪いのはこいつだけだろうな。あの科学者達や武器証人達が俺用に作った代物ってことだな」


釈迦堂は手に持った日本刀を眺めながらそう言った。


「なら捨てりゃいい」


「…いや、それはしねぇ。こいつは俺の異能者と戦うための武器だ。捨てることはしねぇ…だがやっぱ擬似でも異能とは思ったな」


釈迦堂は思い耽る様に言った。


「俺はこいつを使った時、意識が呑まれていく様に感じた。俺の頭ん中の本能や衝動、それらを物理的に刺激してる感じがした。時間が経ったら呑み込まれちまう…こいつの制御が効かなくなる…ってな。異能者ってのは常にこんなんなのかって思った」


釈迦堂の言葉に竜崎はタバコを吸いながら静かに聞いていた。

そして肺まで入れた煙をゆっくりと吐いた。


「俺は異能者じゃねぇからお前の感じた事に頷く事は出来ないが、俺の昔の仲間が同じ様な事を教えてくれたな」


「…へぇ、そうか、そいつは今どうしてんだ?」


「…死んだよ」


竜崎の言葉に釈迦堂は言葉を噤んだ。


ーーいや、死んだんじゃない…

俺が、殺したんだ。この手で。


「訳ありか…聞かせろよ。そいつの最後を」


釈迦堂の声が竜崎の耳に行き届く。


「そうだな…」と呟き、吐いた煙が宙へと消えていく。


そういえばあの時もこのぐらいの季節だったか。

あの日以来俺には冬の季節なんてものが感じられなくなっていた。

それは季節に疎くなったのか、それともあいつを思い出しちまうからか…





ーー俺は当時警備局のSPに所属していた。

総理護衛や要人の警護が主な任務で、慌ただしい毎日の連発だった。

俺のチームには異能者が居た。

名は古鬼門ふるきど克久かつひさ

最初は異能者に俺は否定的だった。

対峙するのが異能者が大半なのに、仲間にも異能者。

当時はこいつから背後を取られないか警戒したもんだ。


だが人格者だったこいつとの任務は心地が良かった。

危険が付き物の任務で俺は自然と背中を預けれてた。

それに俺とこいつは特にチーム連携が上手かった。

気づけば俺と古鬼門ふるきどは相棒なんて言い合える仲になっていた。


その日の任務は、防衛大臣・佐伯孝志さえきたかしの護衛だった。

官邸の指示で、短時間の移動を伴う現地対策会議に出席するため、幕張の臨時宿舎から郊外の旧倉庫へ向かうという、単純だが神経の擦り減る型の割り当て。閣僚の身辺を扱うとき、言葉遣いはいつもより整う。敬語は作法ではない、実務の一部だった。

礼節は相手の重みを保管し、混乱の中でも秩序を維持するための道具である。

故に、俺たちSPは仮に私情が渦巻いていようとも、口先だけは公務に揃えた敬語を繕う。


『佐伯大臣、間もなく出発の準備が整います』

『了解した。では、予定どおりに』


俺の開けた扉に佐伯大臣が乗り込む。

その姿を隣で頭を下げてた古鬼門が『似合わねえな、お前の敬語』とニヤけながら言ってきた。


『うるせぇよ』


車列は普段通りに組まれ、護衛線は予定された道を辿った。幕張の住宅街を出ると、コンクリートの繋ぎ目が点々と続く田舎道に入り、やがて廃工場へと続く脇道へと誘われる。

旧倉庫は臨時の会議場として急ごしらえに使われる予定で、内部は数時間前まで改修作業が続いていたという。外装を整える作業員の群れが、無数の作業服の裾を靡かせている。


突入前の前触れは、ごく些細なものだった。電線のはりが微かにたわみ、誰かの工具箱の蓋が軽く鳴った。

古鬼門は言葉少なに周囲を見回していた。異能者として、あいつは常に空気の狂いを嗅ぎ取る男だ。

だがその日、俺はあいつの目がいつもと違うことに気づいた。焦点がわずかに揺れている。眉の動きが普段より遅い。


『異変を感じるか』――無線で小さく訊ねると、彼は『あぁ』と短く頷いた。だがそれは反応というより、察知の報告だったのかもしれない。


古鬼門と数名が佐伯大臣を連れ旧倉庫の奥の部屋に行った瞬間、内部で小さな発砲音が走った。

短い喧騒が飛び交うため現場では、それが何であるか判然としなかった。


ーー銃の音だと?!


俺はすぐに奥の部屋へと向かった。

そして古鬼門の方を見た。

何かあったとしても古鬼門がいるなら平気だろと。

そんな期待を持って。

だが俺の目には予想打にしていない光景が入ってきていた。

古鬼門の目の前に立つ浮浪者の様な男が古鬼門に銃を突きつけていた。

ーー撃たれたのか…!?

そう思い、俺は古鬼門に駆けつけていた。

浮浪者はすぐにその場から逃げ、俺は捕まえる事も出来なかった。

だが今は古鬼門だった。


『古鬼門!!無事か!?』


だが俺の声を掻き消すように古鬼門の呼吸がひとつ歪んだ。


『竜崎!大臣達を連れて逃げてくれッ…!!!!』

古鬼門が叫ぶや否や古鬼門の全身から目に見えるほどの冷気が吹き荒れる。


『なんだこれは?!あ、ぁ、ぁ、た、助けてくれッ!竜崎くん!…ァ…ァ…体…が…ッ』


大臣のか細い悲鳴と共に青白く凍結して倒れてしまう

大臣を抱えて部屋を出ようとする他数名の隊員達も力虚しくその場で力尽きてしまう。


『うッ!?何してんだ!古鬼門!』

その光景に咄嗟に叫んだが、俺の声は冷気の吹雪く音に掻き消されていった。


彼は自分の身体を支配されているかのように、動線を外れ、周囲に冷気をばらまいていく。

これはあいつの異能だ…

冷感防寒ブレイニクル・デザート

全身の体温を自在に変化させる異能。

体温を0度から120度まで変化させることが出来、あいつの体温が高ければ高いほど辺りのの水分を蒸発させるほどに干渉し乾燥地帯へと変化させ、低ければ低いほど辺りの水分を凍らせていき極寒の空間を作り上げることもできる…

今のあいつはまさに極寒を作れるほどの低体温状態…

気づけば凍結は瞬間的に広がり、床に付いた液体は秒速で薄い氷膜を張った。

だがその“冷”は、いつものあいつの作る冷とはまるで違う。

いつもよりも速く、いつもよりも凍てつく…

こんな勢いで辺り一体が凍結することは異能の効果的に”不可能”


『なにが起きてんだ…これ…!?』


『竜崎…逃げろ…これは”異能暴走”だ…ッ!』


あの後に判ったことだが、現場に紛れ込んでいた浮浪者は大臣を陥れるための小規模なテロ組織の工作員で、そいつの使った銃は”タイラント”と呼ばれる薬剤を撃ち出すものだった。

それを古鬼門に注入した。

皮膚に微細な刺針を触れさせるようにして、瞬時に血流へ流し込む。

“タイラント”は本来、異能の出力を安定化及び強化させる目的で作られたというドーピング剤の仕様を持っていたが、改竄されて違法薬物にされ、その作用はS粒子と細胞を急速に過剰増殖を起こす。


前に古鬼門は言っていた。

異能は発現したその時に体内、脳内にあるS粒子と細胞はそいつの身体能力によって決まっていると。

言うならば発現に必要なコストみたいなもんで、

その必要コストが急に倍増したら異能ってのはおかしくなっちまうらしい…

そして”タイラント”ってのはそれを強制的に誘発させ異能の暴走を起こす事が出来るらしい。


現場でそんな理屈を理解する暇はなかった。目の前で仲間が狂っちまっている。


『バカか?!仲間見捨てるなん出来ねぇだろ!』


『馬鹿はお前だ…竜崎…ッ!巻き込まれるぞ…俺の異能にッ…』


『巻き込まれてもいい!お前を置いてきはしねぇ!』


古鬼門は俺の言葉にすぐに怒りを見せた。

胸ぐらを掴みながら言っていた。


『お前の身体はお前だけのじゃねぇんだ…娘さん…1人にする気かよ…』


掴まれた胸ぐらから中心に一気に冷気が凍結していき俺の首元まで氷結していく。


『…行け、もう意識も呑まれそうだ…俺じゃもう制御できねぇ……!』


『古鬼門…ッ!』


その瞬間、俺の任務は即座に「制圧」に変わる。仲間としての名残りなど、任務の前では無力だ。俺は刀を構え、呼吸を殺して標的を定めた。


目の前の古鬼門は普通に喋る力も無くなっていっていった。


異能の暴走の末路。

それは意識の消失ってあいつは言ってた。

とんだ皮肉だな…


もうあいつは暴走した異能者だ。

それを放置することは俺には出来なかった。


その時の俺は刀を握る感触だけが残っていた。


刀の切先が古鬼門の胸を穿った瞬間、白い蒸気が周囲に立ち上がった。

古鬼門の冷気に塗れた腕が俺の肩を掴んだ。

凍るような感覚。

古鬼門の力強い掴みはすぐに抜けていっていった。

あいつの最後の表情は、悔しさと無念の様なそんな気持ちが混ざり合った顔をしていた。


事件のあと、調査は多層的な欺瞞を暴いた。

テロ組織は政治的に組み込まれた組織だった。

だが真相がどれほど残酷であっても、目の前に現れたのは異能とは違う冷たさになったあいつの身体と、あいつの肉体を貫いた感触をもった自分の掌だけだった。

そして、あの日以降、俺の身体は冬を忘れた。

肌が冷たさに反応しなくなったことで、世界の些細な温度までもが遠のいた。






「…そうか、テメェはあの事件の中心に居たんだな」


釈迦堂の言葉が、今の車内に戻る。

竜崎は煙をゆっくり吐き、窓の隙間から入る海風を無表情で見送った。


だが、内側に残された疑問は消えない――あのとき、俺は正しかったのか。あの手に血を残したことは、本当に守るためだったのか。


その問いは、答えを許さないまま、今日まで沈殿している。


「…テメェ、後悔してんのか?」


「どうだろうな…だが、俺に力があれば大臣も仲間も…あいつも守れただろうな…」


竜崎の声は静かに響いた。


「…テメェらは今後も真能連盟を追うんだろ?」


釈迦堂は少し間を置いてから言った。


「そうだな…」


「なら言っておく。真能連盟は必ず俺が潰す。そこは今後も変わらねえ。俺はあいつを真能連盟から離す。


「そうか、覚えとく」


竜崎は釈迦堂に言葉を送った。


「竜崎。異能者は非異能者を虐げる。何人も何人も異能のせいで命を失ってく奴らがいる。

過程はどうあれ、状況がどうあれ、異能ってのを持ってどう使うかによってそいつは非異能者に取って危険な存在になるんだ」


釈迦堂は竜崎の乗る車の反対側へと歩いていく


「テメェのした事はそいつに取って良かったのかも知れねぇ。非異能者を虐げる側にさせなかっただけでな。」


「釈迦堂…」


「じゃあな」


釈迦堂の後ろ姿がサイドミラー越しに見え、次第に小さくなっていく。



ーー気づいたら、奴に話しすぎてたな。


非異能者を虐げる側にさせなかった、か。


小さく呟く。

だが、その言葉を飲むには、あの光景はあまりに重かった。

自分の手に残る感触を、いまだ消せずにいる。


もう、あんな思いを味わいたくはない。


竜崎は決意を固め、ハンドルを握った。

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