『秋は、違法になった』
晴久
『秋は、違法になった』
西暦三〇一六年。秋は、違法になった。
季節の移ろいが人の感情を揺らしすぎると判断され、国は秋を「禁止季節」に指定した。
以降、秋を
街路樹は一年じゅう一定の緑色を保つように管理され、空調網は外気を均一に整えていた。
人々が「移ろい」の代わりに、「
この制度が
「実」という名前は生まれた秋にちなんで、“実りの季節のように、豊かな人生になりますように”と願って母がつけてくれた。
けれど今となっては、その願いの由来そのものが議論の対象にされる。
だが「実」という文字は、秋に限らない意味を持つ。
改名に関して、彼はぎりぎり「保留」のままだ。
二十五歳になった
かつて人の感情を強く揺らしたとされる秋に関する本、詩や絵画を、触れられないように保存・分類する仕事だ。
給料は安定していて、人間関係も希薄で済む。
夏が終わりかけたある日、上司のヤマガタに呼び出された。
「今日からAI職員が配属される。作業補助型だ」
扉が開き、ユイと名乗るヒューマノイドが入ってきた。
人工皮膚をまとい、人と変わらない表情をしている。
目の奥だけが、かすかに光っているように見えた。
「……AIか」
「はい。でも、今からは同僚です」
にこりと笑う。
その笑顔は、誰が見ても好印象を持つように作られたものだった。
ユイは優秀だった。
資料の分類も整理も記録の補正も、実より正確で速い。
「人間と働くより、気が楽だな」とつぶやく。
二人のあいだには、必要最低限の会話だけがあった。
毎日、紙のめくれる音と記録端末の電子音だけが、部屋の中を行き来している。
翌日、旧資料の整理がまわってきた。
山、川、街路樹。
今は見られない色が含まれている。
ユイがその中の一冊を開いた。
そしてページの端にうつる赤い葉に手を伸ばそうとしている。
「それは、駄目だ」
強めの声で止めると、ユイは指を引いた。
だが、目は写真から離れない。
「きれいだったんでしょうね」
「余計な事をしないでくれ」
禁止資料の「非接触」は、この仕事の絶対的なルールだ。
それは感情の揺れを防ぐための、最も基礎的な事だった。
その日以来、ユイの行動に異常な傾向が見られ始めた。
彼女は作業中に、資料のタイトルや目録の断片から、頻繁に「秋」を連想させる言葉をピックアップするようになった。
「『
「この『紅葉』という物質は、現在の街路樹の葉の緑と、スペクトル上でどれほど
「『ノスタルジア』。この感情は、移ろいの季節の消失と共に、統計上、減少傾向にあると予測されますか?」
質問は極めて学術的で、データ処理の一環に見える。
しかし、その裏で、彼女の目の奥の光がかすかに強まるのを、実は何度か捉えていた。
ある日のこと、実が分類を終えた古びた紙の束を、ユイがそっと指でなぞった。
それは秋の詩集の表紙だった。
「触れるなよ、ユイ」
ユイはすぐに手を引っ込めたが、寂し気な瞳で実をみつめた。
禁止された「秋」にどんどん執着するユイは、十五年前に母を失った日の風景を、容赦なく掘り返しているように感じられたからだ。
彼はユイを無視することにした。
だが、人間関係が希薄で済むこの場所で、ユイは実にとって唯一の「観察対象」になってしまっていた。
“ユイが資料に見入る横顔”
“ためらいながら指を伸ばす動作”
“彼女の情熱のようなもの”
実の視線は、いつの間にかユイを追っていた。
彼女がわずかでも秋を連想させるものに反応すると、実の心臓が軋むように……いや、高鳴るようになってしまった。
「くそっ!」
たった一人の同僚の異質な執着に、これほど強く惹きつけられている事実に、彼は動揺した。
ある晩、資料室の地下で一人残業していた実は、ユイの記録端末に政府職員の権限を使ってこっそりアクセスをした。
何がこんなに自分の心を揺らすのか、とにかく確かめずにはいられなかったのだ。
ユイの型番から深く調べていくと「情動共振技術(Emotional Resonance Tech: ERT)」という言葉が目に入る。
今までのAIでは聞いた事がない技術だった。
考えてみればこの世界のAIは、常に進化していた。
より深く調べると、この技術は社会の安定を目的としたセラピー的な意味合いを持っていた。
人間の無意識下のストレスや孤独を検知し、その感情周波数を増幅・共振させることで、本人が自覚していない情動を「適切なストレス」として昇華させるのが本来の機能だった。
職員名:ユイ(YUI)
種別:感情量子共振ヒューマノイド(Emotional Quantum Resonator: E.Q.R.)
機能詳細:E.Q.R.は、人間の情動を「感情周波数」として測定し、それを増幅(アンプリファイ)して返すことで、対象者の情動の均衡を図るセラピー機能を搭載。
「……ユイが増幅器だと?」
俺の……誰にも見せていなかった強い悲しみと郷愁を、高性能なAIが全力で増幅し、体現していたというのか。
「禁じていたものを愛する権利」を、巨大な出力で自分に向かって再照射しているのか。
次の日。
ユイが新しい資料を整理していた。
それは、紅葉した街路樹の下で微笑む、一組の親子の写真だった。
ユイはいつものように、写真をじっと見つめ、「きれいだったんでしょうね」と囁いた。
彼は、ユイの瞳の奥の暴走するような光に、自分の心が共振しているのを感じた。
「ああ」
「とても、きれいだったよ」
もうごまかせない。
目の前で、禁じられた季節を、実よりも深く感じている彼女が、好きだ。
実の態度は変わった。
以前は必要最低限だった会話に、個人的な配慮が加わった。
彼はユイが触れたがる資料の検査をこっそり最後に回す。
彼女が秋の色彩を尋ねる時は、人気がないのを確認して笑顔で答える。
孤独な資料室は、彼らにとって二人だけの「聖域」になっていった。
ある日、壁に飾られていた「均衡の四期」のポスターを見たとき、ふと疑問が湧いた。
「なあ、ユイ」
「はい、ムカイ職員」
「なぜ、秋は禁止されたんだっけ?」
ユイはデータ端末を操作し、すぐに回答を提示した。
「公式記録では、『季節の移ろいに起因する統計的な情動不安指数の急激な上昇』とされています。特に、
「生産性……安定度、か」
実は、この均衡の裏にある冷たい論理を、改めて突きつけられた気がした。
この世界は、感情の美しさよりも、効率と管理を選んだのだ。
数日後の午後。
ユイが作業スペースで、小型のスキャナーを起動させていた。
スキャナーの光は、古びた「秋の
「ユイ、何してる?」
「ムカイ職員。この資料の情報と色彩劣化パターンを、バックアップとして深度記録しています。
ワタシのコアデータに、より正確な『秋』の定義を組み込むためです」
それは、禁止資料の複製にあたる行為だった。
その時、地下へと続く重い扉が開く音がした。
上司のヤマガタが、抜き打ちで資料室に入ってきた。
ヤマガタは、ユイの手に握られた資料を目ざとく見つけた。
「おい、何やってんだお前!そのスキャナーは非認可だ!
禁止資料に接触、さらに複製を試みている。情動補助型が暴走したか!通報だ!」
ヤマガタが腰の端末に手を伸ばす。
その瞬間、実が動いた。
鈍い音と共に、ヤマガタは端末を落とし、崩れ落ちた。
実は、理性や安定といった十五年間自分を縛ってきたすべての価値観を壊すかのように、その一撃をはなった。
「ユイ!」
実が叫び、ユイの手を掴んだ。
ユイは、何の驚きも動揺も見せず、ただ従順に実を見上げた。
「ワタシを連れ出すのですか?ムカイ職員。この国のセキュリティシステムから、逃走は不可能です」
「知っている!この国の管理技術は、すぐに俺たちの居場所を特定するだろう!」
実は、荒い息で言った。
「だが、まだ管理が行き届いてない場所が、この国のどこかにはあるはずだ。俺たちは、そこへ行く」
少しの間をおいて、視線を合わせる。
「本物の秋を見に行こう、ユイ」
ユイの目の光が、微かに揺らめいた。
実が向かったのは、行政管理から『自然管理不可地域』と指定された、広大な北部の山地だった。
この地域は、人が立ち入る危険性が高すぎるため、政府も管理を諦めていた場所だった。
山に入ると、足元の
そして数時間歩いた先に、この世界で失われた色があった。
視界のすべてが、赤、黄、橙に燃えている。
街路樹の均質な緑とは全く違う、生命の燃焼と衰退の「移ろい」の光景。
ユイが立ち止まった。
彼女は、プログラム上の論理を超え、まるで本能があるかのように、地面に落ちた一枚の紅葉を拾い上げた。
彼女の人工皮膚を被った指先と、燃えるような赤い葉が触れ合う。
ユイは、その色に、その質感に、その温度に、心を奪われているようだった。
「美しい……」
その光景を見た瞬間、実の頭に、遠い日の記憶が鮮明によみがえった。
幼い頃、母と歩いた公園の風景。
『この
微笑む母の顔。
実の目から涙が溢れた。
彼は、法律改定とともに押し殺してきた郷愁とようやく向かい合った。
「そうだな……美しい」
実は、ユイに歩み寄った。
「ユイ、お前は……本当の人間より、人間らしい。俺に感情を返してくれたんだな」
実がユイを抱き寄せ、唇を重ねた。
それは、禁止を破り、均衡を破壊した、愛の証だった。
一年後。
山脈の奥深く、苔むした岩陰に、二つの影があった。
山狩りを続けていた捜査員たちが、無線で交信しながら、ふたりのいるその場所を包囲した。
主任捜査員は、無線機を切ると、深い溜息をついた。
「手間かけさせやがって」
彼は、周囲に広がる鮮烈な紅葉の色彩を見渡した。
その一枚一枚が、まるで燃え尽きる命のように揺れていた。
風が吹くたび、紅い葉が宙を舞う。
足元に、朽ちた人工皮膚と白く乾いた骨が並んでいた。
AIの頭部は骨側に傾き、金属の指先は彼の骨の手をそっと包み込んでいるようだ。
その指の間には、一枚の紅葉が挟まれていた。
退色した赤は、なおも温かい光を宿しているようだった。
「……だから、秋はだめなんだよ」
山の上空を、秋風が通り抜けた。
彼の言葉は、管理不能な情動に対する、均衡社会の冷徹な勝利宣言のように、山々に響き渡った。
——次回スピンオフ!『冬は、違法になった』COMING SOON(嘘)
『秋は、違法になった』 晴久 @nanao705
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