第6話
ピリッとした緊張感に包まれ、対面のオリハ先輩を見据える。きっと、今度は彼が私を攻撃する番だ。彼がどんな魔法を使うのか分からない。どんな戦い方をするのかも分からない。初めての相手と戦う時には当たり前のことだ。そして、向こうも条件は同じである。だから最初から自分の一番得意な魔法を使うなんてバカなことはしなかった。切り札は最後まで取っておくものだ。
魔法を使う時、周囲のエネルギーがうねる。自然を操る力は、周りの様々な要素を人工的に改変する。火、風、水、土。大きくはこの四つのエネルギーに分類される。周囲のうねりを観察すれば、どんな種類の魔法が打ち出されるのかは大雑把に予測ができる。
だが、オリハ先輩は何もしていないように見える。エネルギーの状態は静まり返っていて、変化させてくる気配がない。様子を見ているのだろうか。
いや、と奇妙なことに気が付く。自分の体内を観察すれば、様々なエネルギーの奔流が確認できる。オリハ先輩から見てどう映るかは分からないが、これは魔法を使うにあたって必要な根源的要素だ。だが、オリハ先輩からはその奔流がほとんど感じられない。魔力がない訳ではないだろう。だが、流れがあまりにもゆっくりで、ほとんど止まっている。魔法使いなのに、なぜ?
疑問を抱いていると、オリハ先輩と目が合った。どきりと心臓が鳴る。深い青灰色の瞳は、美しい光を湛えていた。戦闘中だというのに、見惚れてしまう。だめだ、と視線を逸らそうとするがうまくいかない。ずっと見ていたい。そんなことを思ってしまった。それが命取りになると分かっていたのに、彼の瞳に囚われてしまった。
「……だめだよ」
オリハ先輩がふわりと微笑み、一陣の風が吹いた。同時に私は宙に浮いていた。魔力が動く気配なんてしなかった。でも、実際に私の足は地面から離れ、風の力で綿密に織られた檻に閉じ込められていた。腕も足も風の流れで拘束され、身動きが取れない。魔力の気配すら感じ取れず、抵抗すらできなかった私の、負けだった。
「……っ」
唇をかみ、ぐったりとうつむく。
「勝負あり、だね」
レンリ先生がぽんと手を叩く。それを合図に、私は地面にゆっくりと降ろされた。私には傷どころか、埃一つついていない。何の痛みもなく、この人に負けたのだ。圧倒的な力の差に、私は自身を見下ろす。ここまでくると、悔しさすら湧かなかった。
「オリハ」
マウ先生がオリハ先輩を呼ぶ。文句言いたげな顔だった。
「風の使い方は以前より上手くなった。でも、自分の体質に頼りすぎだわ」
「すみません」
オリハ先輩がにっこりと微笑む。すみません、なんて一ミリも思っていないような表情だ。
「体質?」
「ええ、見れば分かるでしょう?」
私が思わず口にすると、マウ先生が頷いてため息をついた。
「オリハには見た人を魅了する特異体質がある。これは男も女も関係ない。体質だからある程度仕方ない部分ではあるが……どうも、オリハはそれを利用する術を心得ている節がある」
マウ先生は忌々しげにオリハ先輩を見た。
「魔法の才があるのだから、体質に頼らずとも戦えるでしょう」
「さあ、癖みたいなものみたいで」
オリハ先輩は静かに応えると、私に歩み寄ってきた。体質のことを聞いてしまうと、余計に身構えてしまう。たしかに戦闘中、オリハ先輩の容姿を見て動揺してしまった瞬間は何度もあったのだ。
「ナツさん、いい模擬戦闘でした。ありがとうございます」
手を差し出されて、一瞬、迷う。でも、それを払い除けてはそれこそ余裕のない証拠だろう。私はあえてしっかりとその手を握った。
「こちらこそ、ありがとうございます。オリハ先輩」
しっかりと目を見て言うと、オリハ先輩は柔らかく微笑んだ。彼の美貌は顕在だが、今はどこか気が抜けているような感じがする。そのことに安堵して、私もぎこちなく笑みを返した。
「さて!」
レンリ先生が空気を打ち破るように声を上げた。
「顔合わせの模擬戦闘も済んだことだし、二人に課題を発表しようか。ねえ、マウちゃん」
「マウちゃんはやめなさい、レンリ先生」
マウ先生は鋭く言って、眉間にしわを寄せる。マウ先生は、オリハ先輩に対する以上に、レンリ先生に厳しい。私から見てもレンリ先生の軽薄さは苛立ちを覚えるので、付き合いの長いマウ先生からしたら相当だろう、と思う。
レンリ先生の代わりに、マウ先生が一歩前に出て課題を発表した。
「あなたたちには、協力して魔法生物を捕まえてもらいます。期限は一週間。来週の同じ時間に、合同実習があります。それまでに捕まえてくること。以上です」
「魔法生物……?」
魔物と魔法生物は似て非なるものだ。魔物は万物から力を得て人間に仇なすが、魔法生物は魔法使いが創造し使い魔にする。魔力からできた生物という意味では同じ。だが構造はまるで違う。きっと、マウ先生かレンリ先生の使い魔を捕まえろ、という課題なのだろう。そして、マウ先生が以上と言ったからには、きっと質問してもヒントはもらえない。そういう人だ。
マウ先生は私の無言の態度に満足したように微笑んで、踵を返した。
「今日の実習はここまで。残りの時間は好きにしてもらっていいわ。……行くわよ、レンリ先生」
「え? 俺はもうちょっと生徒たちと親睦を……」
「レンリ先生」
マウ先生に睨まれ、レンリ先生は肩をすくめて着いていった。
「マウちゃん、これで終わりなら一緒にコーヒーブレイクしない?」
「ずっと言っているけれど、ちゃんはやめて」
「えー? 可愛いからいいでしょ!」
「……貴方に付ける薬はないわね」
「薬? 俺、超元気だよ!」
「……はぁ」
なんだかんだ仲が良さそうな二人を見送って、私とオリハ先輩はその場に立ち尽くした。
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