第5話

 私はオリハ先輩の首元を確認した。マヤ・ナイラでは、教師も生徒もチョーカーの着用が義務付けられている。教師は白、生徒は黒。年齢がものを言う世界ではないし、服装も皆同じ制服とマントを支給されている。それぞれの立場や実力を表しているのは、チョーカーのみだ。チョーカーにはチャームが付けられており、その形は人によって違う。ほとんどは小さな丸い小銭形をしている。私のチャームも丸い形で、色はシルバーだ。生徒の四割ほどを占めるブロンズより、ひとつ階級が高い。これも魔力ゆえなのかは分からないが、レンリ先生が勝手に取り計らってくれたのである。

 そして、オリハ先輩のチャームはゴールドだ。私よりまたひとつ階級が高いといえる。シルバーの生徒はそれなりに見かけるが、ゴールドの生徒はなかなか見かけない。なんなら、教師にゴールドの階級の人がいるくらいだ。この学校において階級は教師も生徒も関係ない。卒業を認められたか、そうでないかの違いでしかない。そもそも卒業の条件も曖昧で、人によって違うらしい。それが卒業を難しくしている要因でもある。

 卒業した後も学校に残った教師たちは、ゴールド以上の人が多い。オリハ先輩は、その卒業したゴールドの教師たちに匹敵する実力を持っている、ということになる。


「オリハくんのチャームが気になるのかい?」


 レンリ先生が私の肩に手を置く。にやにやとするレンリ先生に苛立ち、私はそれを払いのけた。


「マウ先生が担当していて、ゴールドの人なら余程強いんだろうなと思いました」


 階級の設定は、だいたい担当している教師の申請で行われる。といっても申請だけではだめで、校長先生に認められなければいけないらしいが……判断方法はよく分からない。校長先生の存在は不明瞭で、私を含めほとんどの人間は会ったことはおろか声を聞いたことすらない。校長先生と面会できるのはこの大規模な学校でわずか十二人しかいない。クラウンという階級の持ち主だ。彼らは学校の運営に携わる上、校長先生と直接会える権利があり、学校全体との間を取り持っている。

 私はマウ先生の首元をちらりと見た。白いチョーカーは教師を表し、水晶でできた王冠のチャームはその形の通りクラウンを表している。私がマウ先生を敬愛する所以に、努力でその立場を勝ち取ったというところもある。


「まぁ、気になるなら模擬戦闘から始めちゃおうか」


 レンリ先生が軽く提案する。私は口の形を曲げて振り返った。レンリ先生の首元にも、白いチョーカーに王冠のチャームがある。どうしてこの人がクラウンなのか、私には本当に理解ができない。


「……最初に模擬戦闘をするのは、悪くない提案だと思うわ」


 マウ先生はそう言って、実習室の隅に下がった。レンリ先生もそれに続く。実習はもう始まっているのだろう。私がオリハ先輩に向き直ると、彼は物憂げな表情で私を見返した。


「……よろしくお願いします」


 礼儀として言うと、オリハ先輩は真剣な顔になって頷いた。儚げな表情も美少年らしさを演出していたが、こう真面目に見られると動揺してしまいそうになる。落ち着け、と自分に言い聞かせて対峙する。模擬戦闘とはいえ、実戦を意識した実習だ。そして、自分の魔力を扱う訓練の最たるものでもある。相手の容姿で動揺しては、魔力も揺らぐ。その時点で負けを認めているようなものだ。魔法を扱うのに必要なのは、意志の強さ。心の強さ。レンリ先生やマウ先生から教えられていることだ。私はしっかりと足裏を地につけた。

 実習室は室内ではあるが十分な広さがあり、天窓からは光が差し込んでいた。窓や扉の隙間からは微かに風が流れ込んでいるし、地面は土でならされており、地中に水脈が流れているのも感じる。つまり、自然を扱うという魔法技術を訓練するにはおあつらえ向きの場所ということだ。

 足裏から地面と自身の魔力をつなぐ。魔力の構造を把握することにおいては、私はレンリ先生からお墨付きをもらっている。性格に難はあるが、さすがクラウンの教師と言うべきか、彼の人を見る目は確かだ。鍛錬すればするほどに、構造把握能力は如実に伸びている感覚がある。

 オリハ先輩に動きはない。私の動向を窺っているようだった。ただ、ひやりと冷たい瞳だけが私の姿を捉えている。それを見るだけで、冷や汗が出そうになる。オリハ先輩は何もしていない。魔力の動きもない。なのに、この見透かされているかのような畏怖と絶大な存在感は、なんだ。


「……ナツさん」


 オリハ先輩が呟くように私の名前を呼んだ。小さな一言だけで、心臓が跳ねる。だが、ここで屈したらいけない。私は正面から彼の目を見た。自身の魔力が震える。煮えたぎるように彼の存在を拒否している。同時に、大地との接続も弱くなりつつある。それを感じてもなお、この目を逸らしてはいけない、と思った。そんなことをすれば、負けを認めたと同義だ。私は負けたくない。魔法を学ぶことで何がしたいとか、何を成したいとか、先のことは分からない。でも、今この瞬間、私は誰にも負けたくない。そういう子供じみた意地だけが私を奮い立たせていた。


「……負けませんから」


 声が掠れる。しっかり言ったはずの言葉はか細く、震えを伴っていた。それでもオリハ先輩は聞き取れたようで、面食らったように少しだけ目を見開いた。それで、十分だった。

 右足に力を入れ、大地が強く呼応する。地面が鼓動し、強く揺れる。私の魔力は地中を迸り、オリハ先輩の足元へ難なく辿り着く。そして、動揺した彼の足を封じた……はずだった。

 拘束しようと盛り上げた土を、オリハ先輩は軽やかに躱していた。魔力が迸り、先輩の足元にたどり着くまで一秒もかかっていない。それを、大きく跳躍する訳でもなく、たった一歩の距離で、躱していた。私の目論見や規模を全て掌握されていたようなものだ。

 目を見張ると、オリハ先輩は私を見て微笑んだ。余裕のある笑みに、私は苦汁を舐めた。私の攻撃なんて、なんともない……そう言われているようで、腹が立った。


「ナツさん」


 オリハ先輩は、今度はしっかりと名前を呼んだ。その声色はどこか楽しげで、私は唇を引き結ぶ。


「僕もね、負けたくないんだ」


 オリハ先輩が私を見つめる。先ほどまでとはまた違う目だ。真剣さと楽しさを内包した鋭い目は、一段と緊張感をもたらした。実習室の空気が、ひやりと冷たくなるのを感じた。

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