第21話 最適化の檻
――数日後。
白楼が少しずつ動き始めた頃、海莉の顔色はむしろ悪化していた。
班分けは順調。
見回り班、医療班、復興班に加え、新設した生活班の補強。
祈里は、水や食料や備品の最適化異能を活かすべく生活班へ編成された。
しかし、祈里は毎日、海莉のすぐそばにいた。
距離は、常に腕一本ぶん。非常に近い。
「……何でわざわざ俺のところに来るんだよ」
海莉は缶詰のリストをめくりながら、目の下に濃い影を落とした。
「右腕だって言ったでしょ。浅葱くんを常に最適解にして、元気にしておかないと」
「管理すんな」
海莉が吐き捨てるように言っても、祈里は一切気にしない。
彼の手の中には、今日開封したばかりの缶詰、浄化済みの水、工具類……
生活班用の備品が綺麗に“祈里調整”されて積み上がっている。
「班分けした意味……」
「浅葱くんの疲労は、俺の範囲外で溜まると誤作動起こすから、ちゃんと見ないとね」
「誤作動って言うな!!」
海莉が机を叩いて叫ぶが、
祈里は、柔らかい笑みだけを貼りつけたまま手を動かしていた。
「大丈夫。俺の近くにいれば、呼吸も楽だし、痛みも軽くなるでしょ?」
「……だから怖いんだよ」
海莉の肩が小さく震える。
祈里に抱いている感情は、怒りというよりも恐怖だった。
因課時代から、変わらない。
忙しく仕事をしていても、祈里が待てと言えば、止まらずにはいられなかった。
心は逆らおうとするのに、身体だけが従う。
それは当時から異常だった。
衝裂は反射の異能。
意識より先に身体が動く、危機拒絶の異能だ。
しかし祈里の最適個体は、海莉の異能因子そのものをセンサーとして掴む。
祈里の目が届く範囲。海莉は逆らえない。
海莉の動き、呼吸、脈拍、意識の向き。
その全てが、祈里基準で調律されてしまう。
反射の異能より早く、最適解が書き換えられる。
それは意思でも根性でもねじ伏せられない、規格外の支配だった。
「……っ、くそ……!」
海莉の喉が震え、呼吸が浅く乱れる。
距離を取ろうと体が後退るも、身体がそれを拒否しているのか、不自然に動きが止まる。
祈里が優しい声で囁いた。
「浅葱くん、怯えないでよ。ほら、動きが乱れてる」
「……っ……触んな……」
海莉は必死に睨み返すが、腕が震え、視線すら安定しない。
祈里の指先が海莉の肩に触れた瞬間、衝裂がほんの一拍だけ作動しようとした。
しかし、それは最適個体によって即座に消される。
まるで、許可されていない行動だと判断されたようだった。
祈里の笑みは柔らかく、恐ろしいほどに優しかった。
「全て調整してあげる。浅葱くんの最適解は、ずっと俺が見るから」
海莉の心が拒絶で悲鳴を上げるが、身体は言うことを聞かない。
(……衝裂より速い。反則だろ、これ)
祈里が半歩近づいただけで、海莉の脈が跳ね、膝が震えた。
「……ねぇ、浅葱くん。何で俺のこと利用しないの?」
「は……?」
ぽかんと海莉は目を丸くした。
祈里は本気で不思議そうに首を傾げている。
その仕草が、また海莉の心臓をゆっくりと撫でていくようだった。
「だって浅葱くん、俺の近くにいなきゃ調子悪いよね?」
「っ……だからって、そんな……!」
「俺の目の届く範囲で、浅葱くんが命令していいんだよ」
祈里は笑う。
人懐っこい、柔らかい、しかし海莉だけを追い詰める笑み。
「身体も調律済み。反応速度も上がるし、判断力も補正される。浅葱くんの指示は、俺の身体が最適行動として優先するからさ」
「……っ……ふざけんじゃねぇ……!」
海莉は机の縁を掴み、震える指先でなんとか距離を取ろうとする。
「命令って……俺は、そんなつもりじゃ……!」
「使っていいんだよ?」
祈里の声は、優しくて穏やかだった。
「浅葱くん。君はもうリーダーなんだし、俺を使い潰したっていいんだよ? 君は命令できる立場なんだし」
「……違ぇよ……!」
海莉は震える声で呟いた。
「俺がリーダーになったのは、誰かに命令するためじゃねぇ……! みんなを生かすためだ」
吐き出すような海莉の声は震えていたが、揺るぎない意思を含んでいた。
祈里はその言葉に、ふっと目を細める。
「へぇ……」
笑っている。
それは海莉の決意を評価する笑みではなく、ただ興味深い玩具を見つけた時のような薄ら笑いだった。
「……駿くんのためにも?」
「……ッ」
海莉の拳が、机の縁に食い込むほど震えた。
その反応に、祈里はますます笑みを深める。
「やっぱりね」
「……そうだよ。切った責任を……俺が取らなきゃならねぇ」
「浅葱くん、昔から責任感強いもんね」
祈里の声は最初こそ軽かったが、次の瞬間、濁った重さで落ちた。
「でもさ……仕事の責任の比じゃないよ、それ」
海莉は息を呑む。
「街の責任を、全部自分の肩に乗せるなんて……無理だよ」
「んなもん、知ってる……! だから、みんなで戦うんだろ」
海莉は唇を噛み締めた。
「それを提案したのは俺だ。……だったら、俺が責任を取る!」
「責任を取るなんて言葉、君の中じゃ呪いみたいなもんじゃないの」
祈里の声は柔らかいのに、刃のように冷たい。
「命を救って、この街の未来を作るつもりなら、人を使うことも覚えなよ、浅葱くん」
「……だから、みんなに頼んでるって!」
「最低限ね」
その言葉に海莉は、ぐっと息を飲んだ。
「君はさ、全部自分ひとりで背負おうとする。でも、俺がいくら調整してあげても、いつか壊れるよ?」
祈里の言葉は、優しく穏やかではあるが、現実を見せるに値するくらい残酷だった。
「浅葱くんの身体は、俺が調整すればいくらでも動く。でも、心までは無理」
祈里は海莉の顔を覗き込むように身を屈めた。
「浅葱くん。リーダーでいるために必要なのは、組織の強化だ。因課で何人分も働いてた時とはわけが違う」
祈里の声がさらに低く、鋭くなる。
そこには先ほどまでへらへらと笑っていた男とは別人のようだった。
「君が命令しないなら、この街は回らない」
祈里はほんの少し、首を傾けた。
「それって……責任放棄と、何が違うの?」
「…………!」
海莉の心臓が跳ねる。
祈里の言葉は正論で、逃げ場を与えない。
「ね、分からないなら教えてあげる。君は一人じゃないんだから」
祈里の声は優しい。
しかし、その優しさは退路を塞ぐためのものだと知っている。
「……由良さん」
掠れた声で名を呼ぶ。
祈里は首を傾げ、まるで願い事を待つ保護者のように微笑む。
海莉は深いため息を吐き、眉間に手を当てた。
「離れろって命令したら、離れる?」
祈里の笑顔は変わらず、寧ろ深みを増した。
「だぁめ♡」
甘く柔らかい声音。
なのに、逃げ道を完全に塞ぐ鋼鉄の拒絶。
「……だろうな」
海莉の返答は諦め半分、覚悟半分。
言葉は冷静でも、手の甲は震えている。
祈里は更に近寄り、海莉の表情を覗き込む。
その動作すら調律のための最適距離で、海莉の身体は無意識に固まった。
「離れたくないんじゃなくてね、離れちゃダメなんだよ。浅葱くんは、俺が近くにいないと崩れちゃうからね」
「……崩れねぇよ。俺は自分で立てる」
「でも、身体は違うって言ってるよ?」
祈里の指先が海莉の胸元、丁度心臓の真上へふれる直前で止まる。
「ほら……」
その刹那、海莉の呼吸がわずかに乱れた。
心臓が、祈里の存在に同期しようと脈を速める。
海莉は歯を食いしばり、必死に振り払うように顔を背けた。
「……近づくなって言ってるだろ」
「うん。だから、命令したら離れるかって聞いたんでしょ?」
祈里は目を細め、まるで子どもに答えを促すみたいに優しく笑う。
「浅葱くんの命令はね、正しい。でも、俺にとっての最適解じゃない」
「……っ」
海莉の喉がひくりと震えた。
言葉にならない怒りと恐怖が入り混じり、拳だけがわずかに震える。
「だから離れない。君がどんなに嫌がっても、俺の側にいるのが……正解」
祈里は海莉の肩にそっと手を置く。
「ねぇ、浅葱くん。拒否してもいいよ? でも、身体はちゃんと知ってる。俺が必要だって」
その瞬間、海莉の背筋に冷たいものが這い上がった。
心が拒絶しているのに、身体が祈里へ傾いた。
(……やっぱり、これは……)
海莉は震える呼吸の合間で、かすかに呟いた。
「……最悪だ……」
祈里は、まるで褒められた子どものように柔らかく笑った。
「うん。浅葱くんの“最悪”は、俺の“最適”なんだよ」
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