第22話 侵食する夜
陽が暮れると、見回り班が動き出す。
海莉を先頭に、蓮と静音、住人三名。
ゆっくりと街を見回るが、海莉の足は重かった。
(……何でこんなに身体、だりぃんだよ)
何となく察してはいる。
ずっと祈里の最適個体を受けていた海莉は、何だかんだと言うことを聞いてしまえば身体が楽だった。
自分のプライドより白楼の方が大切なのは知っている。
そう思った瞬間、呼吸が出来た。
認めたわけではない。
しかし、夜の見回りに行けないなんて無様な姿を見せるわけにはいかない。
祈里から離れた今は、少し怠い。
恐らく反動だろうと言い聞かせた。
その様子を見ていた静音は、目を細めた。
(海莉の重心が不安定。少し肩が下がってるし……精神的に参ってるのかしら)
海莉の歩幅は、普段よりわずかに短い。
蓮もその異変に気づいたのか、ちらりと横目で見ながら声を潜めた。
「……海莉、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だ。何てことねえ」
強がってみたが、息がほんの少しだけ遅れて返ってくる。
衝裂の反射が鈍っているわけじゃない。
外から見ても海莉の足元が正常ではないことは分かっていた。、
(……あの状態で無理してんのバレバレよ、あんた)
夜は危険だが、それでも、海莉自身が歩こうとしている。
なら止める理由はない。
街の濃い闇の中に、足音だけが規則正しく響く。
その足音とは別に、さらりとアスファルトを這うような擦過音が混じった。
「止まれ」
海莉が低く声かけた瞬間、見回り班の全員が立ち止まる。
「な、何……?」
住民の一人が不安げに海莉の背中を見つめる。
薄暗い道の先、ぺたりと影だけが落ちていた。
人間の影。
しかし、肝心の人がいない。
静音が銃を構えた。
「……ここに、誰かは……いたってことね」
「消されたのか……」
蓮が呟くと、影が、わずかに揺れた。
「っ、動いた……!?」
「散れッ!」
海莉の号令で全員が左右に散開する。
影だったものが、滲むように立ち上がり、黒い塊となって跳ねた。
海莉は動じることなく、視認してすぐに衝裂を叩き込む。
空気が弾け、白い火花が散り夜闇を照らした。
影喰いは裂け、壁に貼り付くように分散する。
「……た、倒した?」
蓮が恐る恐る近づこうとした瞬間。
影の塊は、何事もなかったかのように形を戻した。
黒い肉塊のようにも、ぺたんとした影にも見える。
「死なない……」
静音が低く呟く。
「……影喰いは、倒せねぇんだよ」
海莉の声は落ち着いているのに、息だけが乱れている。
影喰いは海莉の方へ向かおうとするが、距離を測るようにうねる。
(……狙ってる? こいつ、海莉の動きを読んで……)
静音が銃口を向けた瞬間、影喰いが音もなく三つに裂けた。
黒い影が、別々の方向へ散っていく。
「分裂……した……?」
「深追いすんな!」
海莉は壁に手をつきながら声を張り上げた。
呼吸が荒い。膝がわずかに揺れる。
祈里から離れた反動。
だけど、それを誰にも見せられない。
「海莉!」
蓮が支えようと一歩近づくと、海莉は手を挙げて止めた。
「……平気だって」
「平気じゃない! こっち」
蓮は海莉の腕を掴んだ。
物陰へと引きずり込み、周囲を素早く確認する。
拾った石を指先でかすめ取り、わざと指を切る。
赤い血がじわりと溢れた。
「蓮、お前……そんなことしなくたって」
「うるさい」
蓮はその血のついた指を、そっと海莉の腕へ触れさせる。
蓮の血は海莉の皮膚の下へ吸い込まれるように沈み込み、淡く柔らかい光を放った。
循環の異能。
海莉の脈が少し落ち着き、呼吸が整っていく。
「……っ……ぅ」
海莉は胸を押さえ、息を吐き出した。
喉の奥のひりつきが、少し和らぐ。
蓮の声が、低く震えた。
「俺だって医療班だ。呼吸の乱れ、身体のふらつき……夜でも分かる顔色の悪さ……全部、普通じゃないんだよ」
怒っているのに、声が優しい。
「お前は強いけど……強いからこそ、自分の異常を無視すんじゃねぇよ」
海莉は目をそらした。
今にも崩れそうな身体で見回りを続けようとしていた自分が、急に情けなく思えた。
「こういう時のために、俺がいるんだろ」
蓮の声音は、怒りよりも心配が滲んでいた。
「頼れよ、海莉」
その一言が、夜の冷たい空気の中で、誰よりもあたたかかった。
海莉は、深く息を吸って立ち上がった。
「……悪い。もう大丈夫だ」
「大丈夫じゃなくなったら、すぐ言えよ」
「言わねぇよ」
「言えよ!」
二人の押し問答に、近くで見ていた静音がため息を吐く。
「はいはい、バカ共。仲良しはあとにして、戻るわよ。……足音、増えてる」
――ズルッ、スル……
舗装の剥がれた路地の奥、
真っ黒な影がひとつ、こちらを向いた。
街灯のない夜の闇の中、影喰いのぬるりとした体表だけが、かすかな光を反射して揺れている。
静音が物陰からライフルを構え、息を潜めた。
(あれ、通常と違う……)
影喰いは、足を止めて海莉と蓮へ首を向けて真っ直ぐ歩いてくる。
「み、見つかっ……」
「隠れろ!」
蓮が身震いすると海莉が前に出て構える。
影が一拍だけ脈打った。
「くっ……!」
海莉の背筋が、反射で跳ねる。
衝裂の発動合図として、身体の奥で熱を持つ。
祈里の調律に依存していた身体が、急に自力で動き出すことを強制され、胸が焼ける。
影喰いは、海莉だけを見ていた。
それは、獲物を捉えた捕食者の目だった。
(こいつ、普通じゃねぇ。駿の影と同じ……)
海莉は歯を食いしばり、前へ出た。
「来る……!」
影喰いが地面を蹴った。
黒い残像が、夜の通りを裂くように走る。
海莉の体が反射で横に跳ねた。
衝裂が、祈里の調整を振り切るように動作する。
その瞬間、影喰いの腕が空を切った。
静音が射線を見極め、乾いた銃声がひとつ。
――パンッ!
影の脚部に銃弾が打ち込まれ、影喰いが跳ねるように体勢を崩した。
静音は次弾を装填し、無言でスコープを覗く。
海莉は、呼吸を整えきれないまま走り出した。
「蓮、後ろ! 気配もう一体!」
「わかってる!」
静音が声を上げると、蓮の短い杭のような携行武器……
海莉は身を低くし、影喰いの懐に滑り込む。
右腕は、やっと軽いものを持てる程度で完治には遠い。
しかし左拳は迷いなく影へ叩き込まれる。
光と衝撃が弾け、影喰いが跳ね飛ばされた。
「こいつ……!」
間違いなく、駿と同じ侵食型の影喰いだと確信する。
海莉の衝裂は、祈里から離れた焦燥と恐怖を燃料にするかのように強く反応していた。
(……由良さんの最適個体……くそ……!)
海莉は歯を食いしばる。
(離れた方が……調子悪い)
首を横に振って、一瞬の考えを否定する。
(あの人に頼らないと動けねぇ身体なんか……受け入れられるか……!)
一体が海莉に覆い被さるかのように飛びかかる。
その刹那、海莉の視界が真っ白に弾けた。
「――ッ!!」
身体が勝手に動いたのか、反射なのか。
衝裂が走り、影喰いの攻撃を弾き返す。
それは、祈里の調律ではなく、
海莉自身の生存意思が作動させた衝裂だった。
影喰いが後退りし、壁にぶつかってよろめいた。
「くっ……そ。そりゃ、まだ……だよな」
影喰いが再び立ち上がる。
海莉は息を荒げたまま、一歩、前へ出た。
「……来いよ。一晩中、付き合ってやる」
左腕を構え、自分の足で立つその第一歩を踏み出した。
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