ヴィオラ

三隈

ヴィオラ

「店長私今日レジ立っていいですか」

「いいけどなんでまた」

「レジをするのに理由が要りますか」

「要らないけども」

理由など私にだけあればよかった。今日は大切な日だった。

リサーチは万全だった。彼は律儀に毎月25日の19時20分、おそらく仕事終わりにこのパティスリーヴィオラに寄りケーキを一つ買うのが月課であり、今日で36回目の来店を数える予定だった。

そろばんを弾くと3年間の統計として彼の購入履歴の66.6%がミルクレープだった。賭けるには十分な勝率ではあったが残りの33.3と小数点第二以下%が不安だったので、大事を取って今日は18時にはミルクレープ以外のケーキをすべて自腹で購入した。明日の生活すらままならぬ出費だったが、今日を生きるため苦ではなかった。

無いケーキに気づいた店長は従業員が買い占めたと知らずオープン史上初の出来事だと健気に跳ねて喜んだが、同時に残るミルクレープの不人気さを嘆いた。

「ミルクレープ人気ないのかね」

名指しで責められるショーケースのミルクレープは少し可哀想に見えた。

「店長人気ってそんなに沢山必要ですか。好意はその数ではなく深さこそを喜ぶものではないですか。想う人ただ一人さえいてくれたら人は本来生きていけるはずではないですか」

「うちケーキ屋だものそうもいかないよ」

でもそうだよね、と店長はくしゃと笑ってくれた。


19時10分、最後の準備として作戦におき邪魔な店長の手足をロープで縛りあげた。抵抗して大声を出そうとしたので身近なマドレーヌ型で思い切り殴ると静かになった。申し訳ないとは思うが仕方がなかった。

伸びた店長を裏に引きずっていると矢庭にドアの鐘が鳴った。

掴んだ店長の両足を投げ出し私はレジに駆けた。彼だった。

「いらっしゃいませごめんなさい!今日はもうミルクレープしか残ってなくて」

「じゃあ、ミルクレープください」

「ミルクレープ一丁!」

言うやいなや私はショーケースではなく裏に戻り、取って置きのミルクレープを冷蔵庫から取り出し台車でレジ横まで運んだ。途中通路で伸びる店長にキャスターが引っ掛かり、自身の段取りの悪さと店長を恨んだ。

「サプライズフォーユー」

彼は輸送され来るミルクレープを初めて見たようだった。

「なんですかこれは」

「本物のミルクレープです。私が夜なべして作りました」

「すごい」

彼はそう言って約2メートル高のミルクレープを見上げた。

「ふん」

青写真では当然喜んでくれるはずだった。しかし彼は困惑っぽい顔色を隠しきれていなかったので私は焦った。

今、説明と釈明と表明のどれもが求められていると思った。

「あの、ミルクレープの『ミル』はフランス語の『mille』から来ていて千のって意味なんですだから千枚クレープを焼いて重ねました。あちなみにあなたはミルクレープってどう食べますか私は一枚ずつ剥がす派です、今日の悪いことも良いことも出来たことも、一枚一枚クレープに包んで食べますあなたはどうですか教えてくださいいえやっぱいいです言わないで。もしも剥がす派じゃなくても今日はそうして欲しいんです。一枚一枚食べるんです。一人で食べるケーキってなんだかんだ寂しくてでも特別ですよね、寂しくてもしんどくても良いことはやっぱり良くて、千の悪いことの中に良いことひとつあればまた明日を生きることが出来る気がして。あなたはケーキを食べるとき何を思いますか誰を思い浮かべますか。あぁやっぱごめんなさい余計なこと考えないで、今日は私を思って食べて欲しくてだって」

あなたのために作ったんです。

ひといきに言って息が苦しかった。顔が湯のように熱かった。

上手く話せたかは分からないけれど、少なくとも36回分の積み重ねは全て吐き出せた気がした。

「なるほど、して消費期限は」

「今日です」

はは、と彼は小さく笑った。

砂ほど乾いた笑いだったが、初めて笑顔を見れて良かったと思った。


その後彼は何も言わず帰ったし店は当たり前に首になった。

「心意気は悪くなかった」

目覚め一部始終を薄目で見ていたらしかった店長は餞別として余ったミルクレープ持たせてくれ、それをひとり家で食べた。

甘くて美味しかった。

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ヴィオラ 三隈 @iiyudane

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