どうやら僕は結婚する相手を間違えたようだ
ひーやん
僕は結婚する相手を間違えたようだ。
そう言うと、大抵は「あ、コイツ、相手が付き合ってた頃より態度が変わったのを見て、結婚したのを後悔しているんだな」と思う。
後悔しているのは事実だが、それは相手に対してではない。僕が悔やんでいるのは己の知識不足だ。そのせいで今不安と重圧で、めちゃくちゃ胃が痛い。
結婚する相手を間違えた、というのは、そのままの意味だ。
本当に結婚する相手を間違えたのだ。
――まず、そんなことがあり得るのか。
結婚するというからには、最低限相手の名前を知っているはずだ。あとは住所とか、相手の顔とか、その他諸々。
会ったことはなくても、相手の情報一つぐらいは知っていなければならない。そうでなくては、結婚というものはそもそも成立しない。
いや、少し誇張して言い過ぎた。言い換えよう。僕は相手が『神様』と呼ばれている存在で、山奥に住んでいる事ぐらいしか知らない。
「お待たせしました」
ゆったりとした声がかかり、部屋の襖が静かに開く。
見れば自分と大差ない年頃の少女が、しずしずと部屋の中に入って来た。
身に纏った純白な着物は穢れを知らない、まさに清廉された印象を周囲に与える。白い衣装からうっすらと浮かぶ椿の刺繍。
婚儀ということもあり、髪はしっかりと結い上げて、まとめている。本来腰まである美しい黒髪は毛先まで手入れがしっかり施されているようで、浮き毛が全くない。 本来であれば『綿帽子』と呼ばれる被り物を頭にかぶるのだが、今はまだつけていない。
白過ぎる肌は病人じみた印象が若干あるものの、頬や唇を彩る紅がそれを緩和し、寧ろ可憐なものに変えていた。
伏目がちだった目が僕を見つめる。髪と同じような黒い瞳と目が合う。彼女が微笑むと、心臓がドキッと高鳴った。
そう、彼女こそが『神様』――ではない。
どこか浮世離れした美しさ。そんな魅力を持つ彼女を一目見た瞬間、『神様』だと誤解してしまった。
「あら、まだ着替えていらっしゃらなかったのですね」
彼女に見とれていた僕はハッとする。
白無垢姿の彼女に対して、僕は旅人用の軽装のままだ。紋付袴は用意されているというのに、着替えないでずっと後悔と反省をしていた。
いや、これは好機かもしれない。
「す、すみません!!」
僕はその場で土下座し、深く頭を下げた。頭上から彼女の戸惑った声が聞こえる。
「ぼ、僕は、貴女の伴侶ではありません!! また僕も、本来なら貴女ではなく、別の方と結婚する予定でした!!」
素直に事情を話せば帰して貰えるなんて微塵も思っていない。このまま仮の夫を演じて、隙を見て逃げ出すことも出来た。
それをせず、僕は愚かにも真実を話す方を選んだ。彼女に対して不誠実でいたくなかったのだ。
僕は気まずさから顔を上げられずにいると、彼女はまるで日常会話のような感覚で言葉を返してきた。
「まあ、そうだったのね。本当はどなたと結婚するご予定だったの?」
頭上から聞こえる彼女の声からは怒りなどは感じられなかった。感情を押し殺している雰囲気も無い。
「──『神様』です」
続けて僕は何故自分が結婚することになったのかを話した。
僕がいた集落は最近、雨が降らない事と日照りによる水不足が深刻化していた。おかげで作物が満足に育たず、未熟のまま腐敗する物も少なくない。売り物がない以上、商売も成り立たない。
なにより炎天下の中、作業している村人が次々と熱中症で倒れているのが一番の問題だ。中には死者も出ている。
集落の長はこの状況を打破する為、雨乞いをする事にした。『神様』は水を司る、いわば水神であるという。しかし、肝心の供物自体が全く採れない以上、代用を立てるしかなかった。
最初は家畜や魚という案も出ていたものの、『神様』に直接届けるのだから、生ものは避けるべきだと考えた。必然的に残ったのは「人間」という選択肢だけ。
僕に白羽の矢が立ったのは口が巧い商売上手だから。だから『神様』にもうまく取り入れられるだろうと長達は思ったらしい。
山の奥深くにある屋敷に『神様』は住んでおられる。──そう言われて、やって来た。
最初は結婚するつもりもなかった。しかし、自分が供物の代わりであるなら〝お願いしてハイ終わり〟はさすがに不敬過ぎる。自分に出来る範囲であれば何かしらするつもりだった。
まさか結婚する事になるとは思わなかった。そもそも相手を間違えてしまうなんて。
気づいたのはつい先ほど、この部屋に通された時。通りかかった給仕達が話しているのを聞いてしまった。
「巫女であるお嬢様がご結婚されるなんて。きっと『神様』もお喜びになられるわ!」と。
何故彼女は、こんな山奥に屋敷を構え、数人の使用人を抱えて住んでいたのか。巫女であるなら『神様』の近くにいても何ら不思議ではない。
納得したと同時に、自分がやらかしてしまった過ちに気づいてしまった。
冷汗が出た。今も緊張と不安で、指先が震えている。
話し終えたら、僕はどうなんだろうか。頭の隅でぼんやりと考える。そんな中でも後悔の二文字は、不思議と浮かんでこなかった。
唯一予想出来たのは、今度こそ彼女の反応は前向きなものではない事ぐらい。
そう覚悟して待っていると、彼女はそっと僕に近づいてきた。咄嗟に驚いてビクッと肩を跳ね上げる。すると、あろうことか彼女はわざわざ膝をついて跪くと、僕の顔を優しく持ち上げた。
「それなら、どうか安心して下さいな、わたくしの旦那様」
怖くて見られなかった彼女の顔は、想像していたものとは真逆で。
「あなたが、『神様』にお願いしたいことを、巫女であるわたくしが叶えましょう」
そう言って微笑む姿は、恐ろしいほどに美麗なものだった。
ゴクリ、と唾を飲み込む。それでも口の中はカラカラで。一瞬、声の出し方を忘れる。
なんとか振り絞った声で、僕は乞う。
「な、なら……僕の集落に、雨を降らせることはできますか……!?」
「ええ」と彼女はしっかりと頷く。
嘘だとは思えなかった。彼女の笑顔と返って来た言葉が、あまりにも清々しいものだったから。
+ + +
それにしても、と僕は考える。何故彼女は僕との結婚を了承したのだろうか。『神様』から何か信託でも受けたのか?
その辺の事は考えるだけ不毛な気がする。凡人である僕に、そういった類の事情は分からない。
結婚してからも彼女との関係は良好だ。たまに価値観の相違はあれど、そこは今までの環境の違いだと思って、目を瞑っている。
〝結婚する相手を間違えた〟と思うことなど、まずなかった。
「ねえ、あの事、聞きまして?」
「やっぱり彼女は巫女ではありません。魔女ですわ」
ある日の事だった。
物陰で、数人の給仕係の女性たちが集まって何かを話している。仕事の話ではないのは状況を見ただけで分かった。彼女たちにとって山奥での数少ない娯楽といえば、根拠もない噂話なのだろう。
「この山のふもとの集落、水没したらしいですわね。恐ろしいですわ」
その言葉に、遠ざかろうとしていた足を止めた。
え、と給仕達を見る。数人いる内の一人と目が合ってしまった。
「旦那様っ……!」
その給仕が声を上げると、残る給仕たちが慌てて僕に頭を下げる。そそくさと立ち去ろうとしていた彼女たちを、慌てて呼び止めた。
「い、今の話、は……っ!? どういうこと、なんだ……!?」
顔を上げた給仕達の表情が強張っている。今の僕はきっとひどい顔をしているんだろう。
最初に僕を見た給仕が、憐れんだ表情を浮かべて言う。
「旦那様のご出身である、集落ですけれど……連日の大雨で、水没したらしいんですの」
「今朝、荷物を届けに来た業者が、山を登っている最中に見たらしいのです。集落があった場所に湖が出来ていて、家屋の木材らしきものが浮かんでいるのを」
「―――――……」
全身から、血の気が引いていくのが分かった。その場で卒倒しないように、壁に手をついて体を支える。
何故、と疑問は頭の中をめぐるばかりで答えが出てこない。
連日の雨で、集落が水没……?
給仕たちは、さっきなんて言っていた?
『やっぱり彼女は巫女ではありません。魔女ですわ』
まさか――。
僕は覚束ない足取りで、ある部屋に向かった。妻の──彼女がいる部屋に。
「あら、旦那様。どうなさったのですか?」
僕を見た彼女は笑顔を浮かべて出迎えた。
以前までは天にも昇る気分にさせてくれていたその笑顔。今は少しだけ末恐ろしさを感じてしまう。
「ぼ、僕の集落が、水没したと聞いて……! それで、何か知っているのではないかと思って……!」
知らない、と。
たった、その一言。その言葉を期待していた。
――しかし。
「水がないから、作物が育たないのでしょう? では水の中にいれば水不足に悩まされることなんて、ありませんものね?」
そうでしょう、とのたまった彼女の表情に悪気なんてものはない。
純粋にそう思ったから実行したのだと理解した。
僕は先ほどの給仕の言葉を思い出す。──魔女。
無邪気なまでの純粋な悪性を持ったまま、力がある彼女はまさしく巫女などではなく、〝魔女〟。
(ああ、なんていうことだ。僕は──)
結婚する相手を、間違えたようだ。
了
どうやら僕は結婚する相手を間違えたようだ ひーやん @nagoya_Italiavirezzi
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