第3話
「ねーね、にぃにをいじめないで」
さくちゃんの一言で、さくちゃん姉こと猪原りんこが「う、」と歯噛みした。
高校受験の試験を終えた僕は偶然(ほんとに偶然なのかな……)さくちゃんとさくちゃん母と会って、そのまま家へ招かれた。当然、家には(先に帰っていた)猪原りんこがいた。
彼女は僕を家に入れることに強く抵抗したのだけど(今更?)、僕はさくちゃんのお客さんなので、もちろんさくちゃん母が問答無用で娘よりも僕を優先してくれた。
僕、というか、さくちゃんの気持ち最優先である。
「い、いじめてないぞ、さく……その、新井とはね、そういう遊びをしていたの」
「遊び? にぃにと遊んでるの、ねぇね」
振り向いたさくちゃんが、「そうなの?」と聞いてくる。
ちら、と猪原を見れば、頷けバカ、とでも言わんばかりに、僕を睨んでいた。ここで従っておかないと後が怖いなあ、と思いながら、僕は頷き、
「うぅん、遊んでないよ? ねぇねが僕のことをいじめてくるんだよ。ひどいよね」
「ねぇね、きらーいっ」
「ッ、新井ぃ……ッ!!」
さくちゃんがいないところでの仕返しが怖いが、まあ、さくちゃんへの土産話ができたと思えば安いものだ。
不登校だった僕を登校再開させてくれたのは、さくちゃんだ……ほんと、足を向けては寝れないよ。
さくちゃんにせがまれて添い寝をしたことがあるから、尚更、足なんて向けたくない。
「にぃにをいじめるねぇねは、あっちいって」と突き放された猪原はたじたじになりながら、不機嫌なさくちゃんには逆らえず、すごすごと自室へ戻っていった。
僕は、さくちゃんに命じられ、さくちゃんを抱っこする……ソファに座り、ふたりでアニメを見ることにした。
アニメを見ている途中で、さくちゃんは僕の腕の中で寝てしまった。いつものことだった。
なぜか、僕が抱っこすると寝てしまうんだよな……。
安心してくれているなら嬉しいけど、ただ……、中途半端な時間に寝てしまって、夜、眠れないって言っていたら――申し訳ない気持ちになる。
「大丈夫よ、夜もぐっすりだから」
「そうなんですか?」
「うん、よく寝る子なの。将来が楽しみね、たいと君」
そうですね、と答えておく。
まあ、この母あって、さらにはあの姉がいる。さくちゃんも将来は美人さんだろうなあ。
「ごめんね、たいと君」
「……毎回言いますね、もういいですよ……。被害者だから言いますけど、いじめられていた僕にだって原因はあるはずですから」
「加害者の母だから言うけれど、それはないわ。全部うちの子が悪いから」
「それはそうなんですけど……」
――過激になったいじめは、行くところまで行った結果、学校を巻き込んだ大問題になったのだ。
僕たち子供同士では、まあ謝罪で手打ちにしてもいい、と思っていたけど、大人たちが問題を重く捉えて、猪原りんこに重いペナルティを与えた。
染めていた金髪は今や真っ黒で……、これまでしてこなかった勉強にも全力で励んでいる。つまり、陽キャであっても彼女はもうギャルではないのだ。
……ペナルティと言ったけど、既に改心している猪原りんこにとっては良い薬になっただろう。結果的にレベルの高い高校へ受験しているし……、さて、彼女の手応えはどうだったのだろうか。気になるな……だって、良くも悪くも僕のライバルになるわけだし。
「受かるといいわね、同じ高校」
「…………、」
「不安? またいじめられるかも、って」
「さすがにそれは思わないですけど」
さくちゃんの名前を出せば、びっくりするほど猪原はおとなしくなる。妹に嫌われたくない姉の心理を利用しているみたいで……、みたいというかそれそのものだし、分かった上で利用している僕が、今更、躊躇うのも良い人になりたいみたいで嫌悪感がある。
あの日、さくちゃんを使って復讐すると決めた日から、僕だって共犯のようなものだ。
僕こそ、さくちゃんの名前でおとなしくなるだろう。
「……まずは受からないと、ですね」
「たいと君は受かるでしょ。心配なのはうちの子よ……勉強し始めて成績が上がったと言っても元が悪いからねえ……、ほんとに受かるのかしら……」
受からなければ、滑り止めで受けていた合格圏内の高校に行くだろう。
まさか浪人、ということはないはずだ。今は色々と学ぶ機会はあるわけだし、落ちたからと言ってそれで人生終了にはならない。それに、猪原ならどこでもやっていけそうだし……。
逆に、僕が行くような進学校の方が、猪原には合わなさそうだけど……。
僕と同じ高校へ行くのは、罪滅ぼしなのかな。
別の誰かにいじめられないように、僕を守るために……?
「――あの子が同年代の男の子を家に入れたのはね、たいと君が初めてなの」
と、さくちゃん母。
家へ入れたのはあなたですけど……、もっと言えばさくちゃんだ。猪原りんこの許可が取れたわけではない。彼女からすれば、勝手に家にいたのが僕ということになる。
一度も受け入れられていないまま、僕と猪原家の交流は続いていて……。
なんだかんだと長い付き合いになったなあ、と思う。まさかクリスマスに、一緒にチキンとケーキを食べるとは思わなかった。
当然、その場に猪原りんこもいたけど……、そう言えば、その時にはもう、気まずさはかなり薄まっていた気がする。
猪原からの敵意も嫌悪もすっかりなくなっていた……。
「……何度も顔を合わせていれば慣れるってことですね」
「三年間、一緒だったのにね」
「不登校の時期もありますし……それに、グループが違えば初対面みたいなものですよ」
「そうなの?」
さくちゃん母も陽キャなので、顔が広いらしく、僕の気持ちは分からないようだ。
僕がマイノリティだから、仕方ないか。
すると、階段を下りてくる足音。
リビングの扉を開けたのは、もちろん、猪原りんこだった。
集中するためのアイテムとして、メガネをかけていた。黒髪を頭の後ろで結んで、冬なのに薄着だ……、彼女は暖房でやや汗ばんだ肌を見せながら、気まずそうに……。
もじもじと手遊びが激しい人だ。
「新井……、あのさ、」
「うん」
「不安だから、その……答え合わせしてほしい……試験の、内容……」
「分かった、いいよ」
腕の中で眠っているさくちゃんを、さくちゃん母に渡して……猪原の誘いに乗る。
「たいと君、ふたりきりで大丈夫?」
「大丈夫ですよ、改心した猪原に襲われることはないですから」
「違う意味で襲われない?」
「違う意味?」
「……お母さん、黙って。答え合わせするだけだから」
「ひとりでできるのに?」
「……お母さん」
「はいはい、じゃ、お楽しみにーっ」
「お母さんッ!!」
ニヤニヤできる親子喧嘩を見終えて、僕と猪原は階段を上がる。
猪原の自室へ。
……さくちゃん母がいない時に、何度か入ったことがある。
机の上には試験の内容があった。
ちゃんと勉強してたんだね……、偉いじゃん。
「手応えはどうだったの?」
「……良かった、と思う」
「……ふうん。ま、受かると思うよ、猪原なら」
「本当……か?」
「僕は試験監督じゃないから分からないけど……でも、頑張ったんだから、きっと受かってるよ」
「そう……アンタが言うなら、たぶんそうなんだろうな……」
んー、と背伸びをした猪原がベッドに背中から落ちた。
ベッドのスプリングで跳ねた彼女の胸が、同じように揺れた。……警戒心がないなあ。
一応、部屋でふたりきりなんだけどなあ。
「ごめん、あと、ありがとう」
「どういたしまして。あと、許さないから」
「うん、分かってる。アンタはアタシを許したらダメなんだ」
いじめっ子といじめられっ子。
僕たちの関係性は、これしかないのだから。
きっとこれがなくなったら、僕たちは会わなくなるだろう……たったひとつの繋がりを、切れさせたらいけないと思っている。
これまでのことは風化させない、絶対に。
『あ、さくちゃん、上に行ったらダメ――』
部屋の扉の向こう側から、遠い声が聞こえた。
ゆっくりと、扉が開いて…………ひょこ、と顔を出したのはさくちゃんだった。
「にぃに、ねぇね、けんか、ダメ」
「してないよ」
「仲良しだよ、さく」
「……ほんと?」
『ほんとだよ、さく(ちゃん)』
ぱっと笑顔になって僕に飛びついてくるさくちゃんを抱きかかえて、ちらっと見た猪原と苦笑し合う。
加害者と被害者。
唯一の繋がりだったはずだけど、気づけばさくちゃんという妹によって、僕たちは新しい関係性を築いていたらしい。
自覚はなかったけど、気づかされた。
さくちゃんのおかげで、全てが丸くなっていく――まだ収まってはいないけど、でも、いずれはこれまでの過去を笑い話にできるだろう……そう思った。
・・・おわり
いじめっ子の妹(三歳)に懐かれているらしい 渡貫とゐち @josho
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます