第二話

「んぁ……?」


目が覚めると、見知った青空がぼやけた視界に飛び込んできた。 頬を撫でるそよ風は冷たく、いかにも朝らしい爽やかさを運んでくる。


「……っ……」


こんな清々しい朝だというのに──


「……あー……飲みすぎたなぁ……」


ド頭に響くは不愉快な調べ……、まるで頭の奥で鐘が鳴っているようで、酒の残滓どもが我がもの顔で身体の中に漂ってやがる。

……いや……まぁ、自業自得だと言われたらそれまでなんだが。


昨日のことを、ぼんやりと思い出す。 あいつらと別れ、やけ酒に逃げ、そして、ベラトールさんと出会った。

話を聞いてもらって、あの後奢って貰ったんだ、そんで気づけば──

路地裏でひっくり返ってまる潰れってわけか。

はは、大人ってのは、自由でいいな?

我ながら呆れを通り越して、もはや尊敬すら覚えるな?


「……」


「……はぁ……」


……本当は、心のどこかで思ってたんだ、そう夢を見ていたのだ。

全部全部、悪い夢で、目を覚ませば

──サーナの作ったスープの匂いがして。

フェリスの小生意気な声とドゥールムの落ち着いた声が響いて。


そして、アモルが笑っている。

そんな何でもない日常が、まだ続いているんじゃないかって。


……だが、夢ではなかった。

物言わぬ路地と不愉快な二日酔いの痛み。人の気持ちも分からねぇご立派な太陽様の爽やかな日差しがそれを突きつける。


「……はぁ」


ため息をひとつ。


「……とりあえず、行くか」


そう呟いた。


まぁ行く当てなんて、ねぇけどな。


◇◇◇


少しばかり古ぼけた木製のドアを押し開ける。

小さく軋む様な音と、上部に付けられた鈴の音が重なり合った。


けれど「いらっしゃいませー」なんて小粋で愛想のいい声は、どこからも返ってこない。


「……なんだ……あなた……ですか……」


沈んだ声に迎えられて、思わず眉をひそめる。

なんだとはなんだ。いや……まぁいいけど。


「はぁ……おはようございます」


「……はい……おはよう……ございます……」


抑揚も覇気も生気も愛想も、見事に欠けた、何一つ暖かみを感じない声に、ため息が勝手にこぼれ落ちた。

まったく、この店、よく潰れないよな?


まぁ……潰れない理由は分かりきっている。


街外れにぽつんと建つ、この小さな店。別に何屋って訳でも無い、強いて言うなら道具屋とかよろず屋になるんだろうか?


黒い長髪に隠された瞳はほとんど見えない、陰気な魔女の店主がひとり静かに営んでいる。

そんな彼女の調合するアイテムは、一級品なのだ。


「えーと、とりあえず、二日酔いの薬貰えるかな?」


◇◇◇


一粒の薬を水で流し込んでしばらくすると、霞がかかったような鈍い頭痛が晴れていった。

重りを外されたかのように体が軽くなる。

澱んだの空が、ゆっくりと青を取り戻していくような感覚。


……薬って偉大なんだなぁうんうん。


「……それで……追い出されたんですか……?」


「……ゴッファ、」


彼女に見透かした様な瞳で問いかけられ、思わずむせてしまう。

いやまぁ、瞳は長ぇ前髪に隠れて見えねぇんだけど。


「えっと? な、なんで……」


「……なんとなく……顔に出てたので……。……一人なのも、珍しいですし……」


……俺、そんなに情けない顔してるのか?


◇◇◇


「と、まぁそんな感じっす」


かくかくしかじかと、事の顛末を説明した訳だが。

「はぁ……それは……大変? ですね……」

ホントに分かってんのか?……まぁ、いいや、さっさと買うもん買ってこう。


「んじゃとりあえず、閃光玉を」


「……お金……あるんですか……?」


「いや、失礼だな……」


まぁ、そんなにはないんだけど……。

でも一人で戦わなきゃならねぇんだ、これからは……。

モンスターの攻撃は俺一人に集中する事になる、

ならその視野を奪うための閃光玉は用意しとくべきだ。


金は……。これから稼ぐから。うん。先行投資ってやつよ。


「…………少し。待っていてください……。」


「……はい?」


そう言って店の奥に消えたかと思えば、


「…………これを……」


小瓶をひとつ差し出してきた。相も変わらず、声も手つきも無感情。

そこに情は一つも感じられないが、だが──


「……お金は不要なので……」


「……!」


彼女なりの優しさだろうか、その言葉は抑揚はなくとも暖かかった。


「……ありがとう」


有難く頂戴することにしよう。そう受け取った小瓶を見れば……。

……目が合った……。


小瓶の中に浮かぶちいさな目玉と。


「!?」


思わず取り落としかけ、間一髪でキャッチする。


「……ふふふ……」


「あの、こ、これは?」


感情のこもっていない笑い声を聞き流しながら、平静を装って尋ねる。


「……チョウコンジョウガエル……って、知っていますか……?」


え、なんて? カエル……?


「とても、生命力の高いカエルのモンスターなのですが……」


…………。


「……その体液は……薬になるんです……」


あー……、


「……と言っても……傷や疲労を回復してくれるような物ではなくて……、」


あぁ……、なるほど……、


これカエル汁かぁ……、。


「……飲めば少しの間、アドレナリン等を大量に促進させ……あらゆる痛みを、忘れられます……」


思ってたよりヤバいやつだった。


でも、最終手段としてはあり……か……?

いやいやこんなやばい薬に頼るの最終すぎか、ははは。


まぁ、せっかくの好意──優しさでくれた訳だしな……


「……たまたま手に入ったので……試しに作ってみたんです……。効果を、試してみたくて……」


いや、好意じゃないんかい。


「……ふふふ……。」


ふふふ、じゃなくてね。はぁ……。


◇◇◇


「うーん……なるべく楽で……」


冒険者案内所ギルドカウンターの掲示板に並ぶクエストを、ぼんやりと眺める。

モンスター討伐はもちろん、護衛、傭兵、採取、調査、治験、

果ては「一日話し相手になってほしい」なんていうものまである。

……もはや何でも屋だな、冒険者ってのは。


そうしたクエストで日銭を稼ぐのが、冒険者の世界での“日常”ってやつよ。


楽そうで、できれば報酬のいい依頼……そんな都合のいい案件はねぇもんかと探していた、その時だった。


「だからね? お嬢ちゃん、一回大人の人と一緒に──」

「これお金です! おねがい!」

「う〜ん……」


受付のお姉さんと、小さな子豚の貯金箱を抱えた少女のやり取りが耳に入る。

少し気になって、声をかけた。


「どうしたんですか?」


「いらっしゃいませ、冒険者様。実は──」


受付のお姉さんが丁寧に一礼し、事情を説明しようとしたその瞬間。


「おねがい! ミミをたすけて!」


少女が声を張り上げ、俺の腰に飛びついてきた。

抱えた貯金箱が鳴る。……中身は、あまり入っていなさそうな、頼りない音。


「……ミミ? 何があったんですか?」


俺が尋ねると、受付のお姉さんが申し訳なさそうに言葉を継いだ。


「実はですね──」


◇◇◇


「あー、なるほど……」


受付のお姉さんの話はこうだ。

この少女は飼い猫と街の外で遊んでいて、北の森の近くで猫とはぐれてしまった。

だから、猫を探してほしいとの事。


ただし、親からは「子どもだけで街の外へ出るな」ときつく言われているらしく、怒られるのが怖くて親には言えないという。


「お嬢ちゃん、街の外には怖いモンスターがいる。子どもだけで出るのは危ないんだ。分かるな?」


「……ごめんなさい」


少し脅すように諭すと、少女はしゅんと俯いた。


「……まぁ、次からは気をつけろな?──お姉さん、このクエスト、俺が受けるよ」


「よろしいのですか?」


「うん。別に良さげなクエストもなかったし」


「……、仕方ないですね。今回は特別ですよ?」


「! いいのぉ!?」


「おう、任せとけ」


「やったぁ!」


さっきまでとは打って変わって、少女の顔にぱっと花が咲いた。


◇◇◇


真っ白な小柄な猫で、両耳だけが黒い──だから名前は「ミミ」。

そのミミを探し出して捕まえるのが、今回のクエストだ。


「ここか」


少女が猫と遊んでいたという場所に辿り着く。

北の森の麓、森に近い開けた原っぱだ。花畑と呼べるほど密ではないが、野花がぽつぽつと咲き乱れている。


地図を広げ、周囲を見渡す。

猫は基本的に警戒心が強い。慣れない森で迷っているなら、遠くへは行っていない可能性が高い。小型の猫なら尚更だ。近くの茂みや草むらに身を隠してじっとしている。

──そんなオチも十分に考えられる。


まぁ俺に出来るのは、地道にミミがいそうな茂みや小さな穴とか物陰を潰して回るだけだ。


◇◇◇


探し始めて小一時間ほど経っただろうか。

いま俺は木陰に身を潜めている。

理由は単純──目の前に、モンスターが居るからである。

大人ほどの体躯、枝分かれした角を持つ鹿のようなモンスター。


「……行ったか」


去っていくのを見届け、息を吐く。

やたらモンスターに遭遇する気がする。胸のざわつきが収まらない。


「……さっきの個体、角が欠けてたな……」


通り過ぎた方角へ視線をやる。明確な理由や根拠はない、嫌な予感がまとわりつく。そんな時──


背後の茂みが、かさりと揺れた。


「…………」


茂みの揺れ方からして先程の様な大きなモンスターではないだろう。剣にそっと手をかけ、間合いを測る。と──


「ニャー」


茂みから顔を出したのは、両耳だけ黒い真っ白な小猫。


「!」


間違いない。ミミだ。

警戒心を煽らぬよう、ゆっくり近づこうとした矢先、ミミはひょいと走り出した。


「あしはぇー……」


慌てて追う。


猫は足場の悪い斜面も、するすると身軽に駆け抜けていく。


茂みを抜け、少し開けた場所に出た時、

ミミは優雅に腰を下ろし、のんきに毛づくろいを始めていた。


「……はぁ。いいご身分だな」


おかげでこちとら汗ダラダラなのによぉ。


少しずつ間を詰める。焦らず、ゆっくり、ゆっくり──


すると、


盛大に転んだ。よりにもよって顔面から。そりゃもう盛大に。


「っち……なんなんだよ、もー」


堪らず声を上げた途端、ミミはさっと距離を取る。

また警戒させちまったか。ため息をつき、足元を見る。何かを踏んで転んだ。

それを確認する為に、拾い上げると──


「…………?」


脱皮したトカゲの皮みたいな……いや、飛膜か?

つるりと滑る手触り。くすんだ白。サイズは大きい。相当な巨体なモンスターの一部か?


考えがまとまる前に、甲高い鳴き声が耳を打ち、背後から鹿のようなモンスターが突進してきた。


「あぁもう、次から次へと……」


慌てて横へ身を投げ、突進をやり過ごす。モンスターはそのまま駆け抜けていった。


「なんなんだよ、まったく……」


走り去った方角を睨んだその時、


「グォォォアァァ!」


今度は空気を裂くような荒々しい咆哮が森を震わせた。


嫌な汗が背を伝う。


ゆっくり振り向けば──


そこには、やたらと腕が発達した熊の様なモンスターの姿があった。


「……はは。なるほど」


乾いた笑いが漏れてしまう。

やたらと活発なモンスター達、角が欠けたモンスターも先程の走り抜けたモンスターも全部、コイツから逃げ回ってたって事か……。


……ところで、俺は逃げれますか?


「グォォォアァァ!」


「はは……むりそー……」


熊のモンスターが突進。咄嗟に閃光玉を取り出し、地面に叩きつける。

刹那、世界が白に染まる、巨体が怯んだ。


「よし、今だ!」


目くらましをくらって、明後日の方向に殴りかかる熊のモンスター、俺は一目散に逃げ出した。

こんなモンスターと馬鹿正直に戦ってられるかってんだ、俺は逃げるぜ!


「っ、ミミ!」


はっとして振り返る。熊のモンスターの傍で白い影がみえた。

すっかり怯え、震えている。俺から軽快に逃げ回ってた姿は見る影も無い。

ミミは完全に硬直していた。


熊のモンスターが視界を取り戻し、ミミを捉え──腕が振り上がる。


「っ!」


もう一発、閃光玉を投げる。白光が炸裂し、視界を奪う。

ミミも巻き混んじまうかもしれねぇけど仕方ねぇ、死ぬよりはマシだろ。


全力で間を詰め、滑り込みざまにミミを抱き上げた。


「大丈夫か?」


「ニャー」


目立った傷はない。胸を撫で下ろす暇もなく、

視力を戻しつつある熊が、憎悪を燃やしてこちらを睨み、怒り狂った様な叫びを上げる。


「うるせぇな」


これでも食らっとけと、もう一度閃光玉を叩きつける。

しかし、熊のモンスターはそのやたらと発達した腕で咄嗟に顔を隠す。


「マジか……」


獰猛であまり知性を感じない荒々しい見た目だが、割と賢いのか。

もうこいつに目くらましは通用しないと思った方が良いだろう。


「くっそ……!」


ミミを抱えたまま走り出す。

しかし当然のように追いつかれ、横合いから弾き飛ばされる。

地面を転がり、背中から木へ叩きつけられた。


「……いてぇ……。大丈夫か?」


「ニャーニャー」


ミミは元気そうだ。良かった。木陰にそっと下ろし、俺は剣を抜く。

逃げても差し切れない。目くらましも潰された。


なら──やるしかねぇ。


「うぉぉおおおお!」


恐怖を噛み潰し、喉を裂くように叫ぶ。

自分を奮い立たせるために。

決死の覚悟で、熊へ斬りかかった。

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2025年12月31日 19:30

凡人冒険者の旅路 ─ 病眠る大陸の果てへ @tatuusagi

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