凡人冒険者の旅路 ─ 病眠る大陸の果てへ
@tatuusagi
第一話
腹の奥底をカッ裂かれるような低く、重い唸り声が森の中に響き渡った。
木々の隙間から見える空は酷く濁った灰色に覆われ、冷たい雨が満身創痍の身体を打ちつける。
まるで「お前にはもう一片の希望も残されていない」と突きつけるように。
「あぁ……くそ……」
立ち上がる気力すら、もう残っていなかった。
投げ捨てられたボロ雑巾のように、泥の上へと崩れ落ちる。
腕がやたらと発達した熊の様なモンスターは威嚇しているのか、あるいは興奮しているのか。
さきほどよりもさらに深い、腹の底まで響く唸り声を上げた。
絶望を押し付けるようなその音が、胸の奥を叩き割る。
──いや、最初から希望なんてなかったのかもしれない。
「はは……、ははは……」
乾いた笑いが、雨に溶けていく。
「……っ、俺が……俺が何をしたってんだよ……!」
怒りも、嘆きも、全部が無慈悲な雨に流されていった。
あぁ、なんでこんなことになっちまったんだろう。
◇◇◇
前触れなんてなかった。伏線なんて立派なものもない。
それは、突然やってきた。
「兄さんには──パーティーを抜けてもらう」
その言葉に、脳が理解を拒んだ。
「……えっと? はは、な、なんて?」
とりあえず笑ってみせた。冗談にしてはセンスがいい。さすが俺の自慢の弟だ。剣も魔法も、冗談も達者だなって。
……いや、聞き間違いかもしれない。あるいは言い間違いか──。
「パーティーを抜けてくれ。そう言った」
その一言で、冗談は終わった。
「ど、どうしたんだよ? なんでいきなり?」
理由なんて、あるはずがない。
「はぁ? あーんた、まだ分かんないの? 自分がどれだけ役立たずのグズか!」
高圧的な声が空気を裂いた。
「フェリス、落ち着いてください。穏便に、ね?」
おっとりとした優しい声がそれを宥める。
「ふん! サーナは優しすぎよ!」
ツインテールを揺らしてフェリスがそっぽを向く。
「どうしたもこうしたもないだろ。少しは自分の胸に手を当てて考えてみろ」
ドゥールムの低い声が、淡々と現実を突きつけた。
「ドゥールム……?」
言われて、少しだけ考える。
……もしかして、こないだのクエスト報酬のプリン、勝手に食べたのまだ怒ってるのか?
「そんなに食べたかったのか……プリン……」
悪かったな、今度奢ろう──そう思っていた矢先。
「……プリン?」
弟がきょとんとしている。違うらしい。
「はぁー……このバカ、ちゃんと言ってやらなきゃ理解できないのね」
フェリスがわざとらしくため息を吐いた。
「あんたは役立たずの足手まといなのよ!」
「はぁ!? なんだよその言い方!」
思わず声が荒ぶる。
「まぁまぁ、二人とも……」
サーナの穏やかな声も、すぐにかき消された。
「ホントのことじゃない! 戦闘じゃ真っ先にへばって魔法も使えない! 弟におんぶにだっこの役立たず!」
「はぁ!? なんだと!」
怒鳴り声がぶつかり合う。
「じゃあ言ってみなさいよ! あんたに何ができんのよ!」
……好き勝手言いやがって。俺だってなぁ……!
「んなもん──! ……んなもん……」
言葉は喉に詰まった。
「……てっ…偵察とか……?」
「それ、あたしでもドゥールムでもできるでしょ? あんたじゃなくていいわね?」
「……アイテムの扱いなら」
「それもあたしでもできるし、薬関係ならサーナの方が上手よ」
「てかそれ、すごいのはアイテムでしょ。あんたじゃないわ」
……っ。
「……その理屈なら、サーナにも同じことが──」
「はぁ? サーナは薬の調合ができるの。あんたは?」
……。
「に、荷物持ちとか……やっただろ! そういうのだって立派な──」
「いっつもテント運んでくれてありがとうね、ドゥールム!」
ことごとく言葉を上から被せて最後にフェリスはくるりと振り返って礼を言う。
「お、おう……」
こんな場面で礼を言われても、誰も救われやしない。ドゥールムも素直に喜べないのだろうな、すこしバツが悪そうだ。
……そうだ。俺は確かに、少しだけ弱い。……かもしれない。
フェリスみたいな魔法の才もない。
サーナみたいな学もない。
ドゥールムみたいな腕っぷしもない。
でも、それでも──俺なりに頑張ってきた。
弟なら分かってくれると思ってた。
幼い頃モンスターに村を襲われて、二人で孤児院に入って、一緒に育って、過ごして、冒険者になって旅をした。
強くて、優しくて、かっこよくて。
俺たちのパーティー【ベオウルフ】のリーダーで、自慢の弟。
一緒にバカやって、飯食って、たまにケンカして、寝て。
いつだって俺の味方でいてくれた。
「ア、アモル!」
藁にもすがる思いで、弟の名を呼んだ。
だが──その弟こそが、俺に別れを告げた本人だった。
「……ごめんね、兄さん」
アモルは、目を合わせてくれなかった。
……なんで謝るんだよ。
あぁ、そうか。そういうことか。
「……今まで世話になったな」
腕輪を外し、テーブルに置いた。
それは特別な宝でも、高価な品でもない。けれど俺たちが初めてのクエスト報酬で買った、お揃いの腕輪だった。
【ベオウルフ】を結成した日の記念であり、俺たちの“絆の証”だったもの。
「俺は……お前らを仲間だと思ってた。ずっと、一緒だと思ってた」
「……けど、俺だけだったみたいだな。はは……」
わざとらしく笑って、その場を後にした。
◇◇◇
「らっく〜よぉ? 俺が何したってんだよ〜ぉ?」
太陽と月が交代し、夜が世界を飲み込んでいく。
暗く沈むその色は、まるで俺の人生みたいだ。お先真っ暗、わっはっはっ。
そして──そんな夜に冒険者が集う場所といえば、決まって酒場だ。
冒険者なんてのは、酒を飲んでりゃ幸せなんだ。
真っ暗な人生だって、酒があればぼんやり光って見える。
「そんでよ〜! 俺はそのモンスターに剣をぶっ刺してやったのさ! ガハハ!」
自分の武勇を酒の肴に語る豪快な冒険者。
「このモンスターは高音に反応する習性がある。だから──」
仲間と次の作戦を練る、聡明な冒険者。
「最近さー、北の森のモンスターさ、活発じゃね?」
「いやほんとそれ。おかげで採取もろくにできねーっての、マジだりぃ」
何気ない会話を交わす若い冒険者。
あちらこちらから、笑い声と怒鳴り声が入り乱れる。
──うんうん、いい場所じゃないか。冒険者の世界はここにある。
そんな喧噪の中、俺はジョッキを片手にカパカパと飲み続けていた。
「ヒック! あぁ〜……だいたいよぉ? 俺のどこが役立たずだってんだぁ?」
ぐびぐびと酒を流し込み、
「ぷはぁ〜! ヒック! 荷物持ちらって買い出しだってやってたしよぉ? 戦闘だって足引っ張ったつもりはねぇ!」
ジョッキを空にして、テーブルへ叩きつける。
「よぉ、ずいぶん荒れてんじゃねぇか」
「んぁ? うるせぇ、ほっとけ!」
「はっはっはっ、まぁそう言うな。隣、いいか?」
大柄な冒険者がドカリと隣に腰を下ろした。
なんだこのおっさん。せっかく気分よく酔ってんのに。
「んで? 何があったんだ?」
「あぁ? おめぇにゃ関係ねぇだろ〜が」
「はっはっはっ! ずいぶんな言い草だな」
なんだこいつぁ?お説教の押し売りか? それとも同情ボランティア活動中か?
そりゃぁ!そりゃあ!ご苦労なっこった!でもなぁ!俺はンなもん望んじゃいねぇ!そもそも俺は──
「……ベラトール、さん……?」
勢い余って殴りかかりそうになった拳が、止まった。
ぼやけた視界に映ったその顔を見て、酔いが一気に引いた。
「よぉ、久しぶりだな。元気は……ありそうだな?」
「うす。お久しぶりです」
さすがに命の恩人に悪態つくほど、俺は落ちぶれちゃいないからな。
◇◇◇
ガキの頃、村がモンスターに襲われた。
……別に珍しい話じゃねぇ。ド田舎のちっせぇ村だったし、ガキの頃だったから正直そんなに覚えてねぇけど。
覚えてるのは“逃げた事”くらいだ。
ただ、アモルの手を握って必死に走ったことだけは、今でも覚えてる。
必死に、逃げた、それしか出来なかった。
母さんも、父さんも、村のみんなも──どうなったかなんて、わざわざ言うまでもない。
まぁ、運良くガキが二人逃げ延びたとして、その結末なんて分かりきってるだろう。
空腹か疲労か、はたまたその両方か意識は遠のき、視界が真っ白になった。
そして……、鼻をくすぐるスープの匂いで目を覚ました。
その時、俺たちを助けてくれたのが、ベラトールさんだった。
行き倒れてたガキ二人を拾って、孤児院へ預けてくれた。
つまり──命の恩人だ。
「……ベラトールさんは今、何してんすか?」
「ん? まぁ相変わらずだ。しがない冒険者よ、はっはっはっ!」
しがないねぇ、どの口が言ってんだか。
「一人っすか?ウィオラさん達は……?」
あの日、俺達兄弟を助けてくれた時のベラトールさんはパーティーを組んでたはず。
しかし、辺りを見渡してもそのパーティーメンバーの姿は見当たらない。
彼も今は一人で活動してるのだろうか?
「んー、いやウィオラは宿で休んでるよ、他の奴らは今は別行動中だけどな」
あー、なるほど。……まぁそうだよな、俺みたいに一人なわけないか。
「まぁ、なんか飲みてぇ気分だったんだよ、
んで酒場に来てみたら、懐かしい顔が荒れてるからよ、はっはっはっ」
「いや、別に荒れてないっすけどね」
俺は大人しく酒を嗜んでただけだ、別に全然荒れてねぇし。やけ酒とかじゃねぇし。酔ってもねぇ。……多分。
「んで、何があったんだ?」
「え、あー……いや、まぁ、色々と……」
「今日はアモルたちは一緒じゃねぇのか? 仲良かったろ?」
……確かに、仲は良かった。……と思う。
……少なくとも悪くは無かった……はずだ……。
……あぁ、いや違うか、そう思ってたのは俺だけだったのか。はは。
「あー……今は、一緒じゃないっす。はは」
何となくはぐらかした、はぐらかすしかなかった。
だって「弟にパーティー追い出されましたー、わっはっは」、なんて言えるわけねぇ。
「……」
「…………」
沈黙が落ちる。
「……本当は?」
「……あー……えっと」
鋭い眼差しが俺を射抜く。
──バレバレ、か。
「……実は……」
事の顛末を洗いざらい吐いた。
全てを話した、最初から最後まで。
「……なるほどな」
ベラトールさんは黙って聞いてくれた。
何も遮らず、ただ酒を傾けながら。
「……まぁ、そんな感じっす、はは」
話し終えると、少しだけ胸のつかえが取れた。
誰かに聞いてもらえるって、こんなに楽なんだな。
「……お前、これからどうすんだ?」
「あー、まぁ……なんとか?」
別に何か考えがある訳でも、アテがある訳でもない。
でも、なんとかするしかない。──いや正しくは、なる様にしかならないか……。
「……俺と来るか?」
「へ?」
思いもよらぬ申し出だった。
この人について行けば、少なくとも飢えることはない。
今までと同じ生活、
むしろ、今まで以上の生活ができるかもしれない。
……“今までと同じ”、か。
「いやぁ、ありがたいっすけど──」
大丈夫です。
……気づけば、断っていた。
理由なんて分からない。
素直について行けばいいのに、体がそれを拒んだ。
このまま流されるままじゃ、きっと何も変わらない気がした。
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