リリィ・エインドブラッド

「気持ちを……捻じ曲げる?」


「フォール、あなたさっき私の【魅了】にかかったでしょう? どうして普通に会話できているのか分からないけど……。一度【魅了】で植え付けた好意は消えない。そうじゃないと、説明がつかないわ、あなたのその態度。殺そうとした相手を、即答で許すなんてありえない」


「多分、そういうのとは違うんじゃないかな。僕は、話せるならみんなと仲良くなりたいし、暴力に訴えることはしたくない。それだけなんだ」


 リリィの目がわずかに見開かれる。彼女の赤い瞳には、僕は一体どのように映っているのだろうか。

 実際に彼女に対する怒りなんて、僕の中には微塵も存在しなかった。怒る理由はあるのかもしれないけど、だからと言って怒る意味がない。この場で彼女に怒るというのは、対話を捨て命のやり取りに持ち込むことになるというのを、肌で感じていた。それは、五十階層を潜り抜けた直後だからなのかもしれないし、あるいは鋭敏になった神経が察しとった第六感のような物なのかもしれない。


「なら……フォール、あなたは私をいったいどうしたいの?」


「どうも何も……話がしたい。それだけだよ」


 風が吹いた。四十九階層には似合わない柔らかく、温かな風。さっき煙のように消えてしまったあの花畑に吹いていそうな、そんな風。

 春の風に吹かれながらリリィは花が咲くような笑顔を浮かべ、笑った。声をあげて笑った。さぞかし愉快そうに笑った。

 笑って、笑って、笑いつかれた彼女は、目じりに涙を浮かべながらその宝石のように赤く輝くその目で僕の瞳を貫いた。


「じゃあ、なに? あなたが底抜けにお人好しなだけだって言うの? バカみたい。これじゃ魅了に振り回されてるのは私の方じゃないの。あのね、フォール。もう一度だけ、あなたに向かって【魅了】を使ってもいい? 私に確認させてほしいの。 これが最後。どうなってもこれ以上あなたに【魅了】は使わないわ」


「いいよ。リリィが、それで安心できるんだったら」


「やっぱりおかしいよ、フォールは。でもありがと」


 リリィの赤い目が一層強く輝き、僕を射抜く。思考に一瞬モヤがかかるけど。 『【魅了耐性EX】が発動』という無機質な声と共に、霧は晴れていく。それだけだった。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけ。


「どう? これで安心できた?」


 リリィは僕の目を見て、理性が残されているかどうかを計っているようだった。おそらく彼女は、数多の人をその【魅了】の歯牙にかけて、理性を失った人の目を見てきたのだろう。その人たちと同じ目をしているかを、彼女は見ようとしている。


 不安に揺れる深紅の瞳は、じっくりと僕を見て、軽く見開かれ、そして諦めたように瞑目された。


「……本当に、効いていないのね。フォールは、心からあの花畑を綺麗だって……そう言ってくれたんだ」


 笑みを浮かべるリリィの赤い瞳からは、涙が流れていた。


「綺麗……」


 彼女の心からの笑み、何にも怯えず、ただ一人の少女として僕に向けてくれた泣き笑いの顔が、僕には何より綺麗に見えた。


「……なっ」


 僕の言葉にリリィは【魅了】の影を見たのか、一瞬だけ怯えた表情を見せた。しかし、僕の目を見てその言葉が僕の本心なのだと気づくと、一転して顔を赤くする。

 

「なにを言ってるのよ! 私は……きれいなんかじゃ……」


「いや……リリィは可愛いと思うよ?」


「かわっ……!」


 リリィは壁の方を向いて蹲ってしまった。これではさっきに逆戻りだ。


「ごめん……?」


「謝らないで! 慣れてないだけだから!」


 リリィ弱った声だけが、僕の耳に届いた。


「そのまま近づかないで、そのままでいて。ちょっと落ち着く時間をちょうだい」


 すぅはぁ。息を吸って呼吸を整える。胸に手を当て、さらに深呼吸。

 リリィは立ち上がり、たっぷり深呼吸をしてからこちらに向きなおった。


「大丈夫?」


「……【魅了】がかかっていない人と話すの、初めてだから、あの、その……」


 リリィに一歩、近寄ろうとしてぐらりと、踏み出した足が揺らぐ。

 ……僕、何時間寝てないんだっけ。


「フォール!? フォール!」


 薄れゆく意識の中、でリリィの声だけが冷たい石の部屋に響ていた。


 ***


「……よかった! 目が覚めた?」


「……リリィ?」


 後頭部には柔らかい感触。どう考えても岩の地面ではない。目を開けば、リリィの顔と、視界半分くらいを遮る彼女の双丘。

 つまりこの状況は……。


「膝枕っ!?」


 僕は勢いよく飛び跳ねて彼女から距離を取った。

 頬が熱を帯びているのがわかる。


「心配したんだから。もう、起きないんじゃないかって」


 嬉しそうな顔をしている彼女だが、その目には涙が浮かんでいた。


「ごめん、話したいとか言ったくせに突然寝ちゃって」


「ううん。いいの、フォールの寝顔とってもかわいかったから」


 涙を拭ったリリィは、初めて会ったときに見た妖艶さの片鱗をその笑顔に忍ばせていた。やはり彼女はサキュバスなんだな。そう思う一方で、それを魅力的に思う僕もいた。 


「かわっ……」


「えへへ、さっきの仕返し」


 へにゃりと、 笑う彼女の笑顔は変な力が抜けて、自然体そのものになっていた。


『告、最後の食事から七時間が経過。栄養の補給を推奨』


「そんなに経ってたんだ……」


 僕たちの会話を中断するように頭に響くソフィアの言葉を聞いて、思い出したように腹が空腹を訴えかけてくる。もちろん『ぐぅ』と音を出して。


「……? 誰と話してるの?」


 リリィは小首をかしげる。

 そのはずだ。この声は、僕にしか聞こえていない。それはこの洞窟にあって一切の反響がないことからわかっていた。でも、どう説明したものか……。


「僕のスキルだよ。僕は上から落ちてきたって言ったよね。その時に【階層踏破ボーナス】ってのを手に入れたらしいんだけど、それで手に入れたスキルに付随する人格って、言ってた」


「あなたの身体のことの割には、人から聞いたような言い方をするのね」


「落ちてくるとき、意識なかったからね。ソフィアが言っていたことしか知らないよ」


「……あなた、いつか騙されるわよ。まぁ、ここにはもうあなたを騙す悪いサキュバスはいないのだけどね」


「ちょっと触れづらい冗談はやめてほしいな」


 リリィの冗談に苦笑いを変えしながら、僕は立ち上がって石を組み上げる。


「……何してるの?」


「ちょっとお腹空いたから、ご飯にしようかと思って。リリィも食べる?」


「さっき、フォールから嫌ってほど食べさせられたからいいですぅ」


「……そうですか」


 組み上げた石の上に【アイテムボックス】から取り出したドラゴンの肉を置く。そして、石の下に手をかざし、唱える。


「【ファイア】」


 僕のてから放たれた炎は、その先端、石で触れ合った部分を潰して、硬い表面に這うように広がって熱を伝えてゆく。


 熱は石全体へと広がり、次第に油が弾ける音が聞こえてきた。


「それがさっき言っていたドラゴンの肉かしら」


「うん、そうだよ。五十階層のドラゴンの肉」


「五十階層のドラゴンって……このダンジョンのボスじゃない!?」


 僕は知らぬ間に、このダンジョンを攻略し切っていたらしい。

 


 

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ダンジョン最下層に転落した冒険者は、階層踏破ボーナスで世界最強になる 小白水 @koichan

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