ソフィア
頬に滴る雫の感触が僕の意識を呼び覚ました。
「Grrrrr」
続いて耳に届いたのは内蔵まで響くような低い唸り声。そして獣と血の匂いが僕を襲う。
明らかな異常事態に体を跳ね起こすと、そこには洞窟に横たわるモンスターの死体。そしてそれに食らいつく狼型の
僕の頬に滴った液体は絶賛食事中の、あの狼の唾液だった。
幸い僕の方に意識は向いておらず、必死に気配を殺してその場を後にしようとしたその時、何かにぶつかった。硬い毛に覆われており、僕を押し返す程の弾力に軽くたたらを踏む。
恐る恐る前を見ると。
「AOOOOOOON!!!!」
「ッ!!」
もう一体の狼が僕のゆく手を阻んでいた。
全身の毛が粟立つ。恐怖に心臓が跳ねあがる。
考えろ、この状況を打破する手段を。ここから逃げ延びて命を拾う方法を。小さく深呼吸。肺に空気を送る。脳に酸素を送る。
相手は二体。どちらも知能が高い狼。対して僕は防御力だけが、
狼が牙をむく。僕の命を刈り取らんと大口を開く。
必死に考えて、考えて、考えて考えてその結果僕がとった行動は……
「【身体硬化】ッ!!」
防御だった。
初めから、それ以外の手札なんて僕には配られていなかった。
僕の腕ほどもある大きな牙が、ガチリと僕を捉える。その瞬間に万力のような力で体が締め上げられる。
「グッ……!!」
痛みにうめき声が漏れる。
せっかく拾うことができたと思った命だったのに、結局僕の
悔しい。不甲斐ない。力及ばぬ自分が。力が、僕にもっと力があれば……そう。あの時僕を助けてくれたおじさんみたいに!!
『
僕の頭に声が響いた。落ちる最中に聞こえた、あの声と同じ。
その後にごくわずかな虚脱感、その後に僕の周囲に闇の矢が生成される。そして、僕を食らおうとするモンスターに向けて一直線に飛んで行き、その腹を貫いた。
狼が苦痛に身もだえし、僕はその口から解放される。
そのまま地面に転がった僕は、すぐさま身体硬化を解除して二体のモンスターから距離を取った。
『闇属性魔法を発動。【ブラックホール】』
突如眼前に黒球が現れる。
一切の光を吸い込む、漆黒の玉。この世に突如現れた異物は、狼との距離を一直線に詰めてゆく。
そうして飲み込まれるように、何の抵抗もなくモンスターの身体へと沈みこんでゆく。
狼はびくりと体を跳ねさせて、それ以降動かなくなった。球に触れたところだけが、えぐり取られたように穴が開いていた。
視線をもう一体の狼に移す。仲間が死んだことにさすがに危機感を覚えたのか、臨戦態勢に移った。
「GRRRRRRRRR」
先ほどまで死体に食らいついていたその口からは血が滴り落ち、地面に赤い染みを作っている。血に染まった牙をこちらに剝き、先ほどとは違う
『スキル【重量操作】を発動します。
「えっ……? ええと……えいっ! えっ、ちょ、僕飛んでるんだけど!」
重力のくびきから解き放たれた僕の身体はまるで羽根のように浮かび上がった。そのまま天井付近まで浮かび上がった僕の下を、狼の咬撃が通り過ぎる。
『スキル【重量操作】を発動。スキル【身体硬化】を発動。重量、硬度共に最高に設定』
そして落ちた。何者よりも速く、何者よりも重くなった僕の身体は、狼の背中を捉え、穿ちぬいた。
勢いそのままに地面にのめり込み、大きなひび割れを作る。
『スキル【重量操作】スキル【身体硬化】を解除』
状況を理解できないままあたりを見渡す。薄暗いダンジョンの通路に僕の荒い息遣いが微かに響くのみで、まるでさっきの戦闘が嘘かのように静まり返っている。
「あれ……僕、あのモンスターたちを倒した……?」
それを証明するかのようにな横たわる二つの骸。だらしなく開いた口からは舌が力無く垂れている。
『経験値を5000獲得。レベル101に到達』
「レベル101……? 誰が?」
『解。当スキル保有者、フォールのレベルが101へ到達』
「え? 僕……? それに、君話せるの?」
『肯定。
「名前は?」
『当スキル名は【人工知能】』
「いや……そうじゃなくて。君の名前」
『個体名を有しません。必要であれば命名してください』
「じゃあ……ソフィア。ソフィアで」
『解。個体名をソフィアに更新。よろしくお願いします。
ダンジョンはどこまでも暗く、先は碌に見えない。だけど、この心には少し暖かいものが宿った気がした。
「ソフィア。ここがどこだかわかる?」
『解。ダンジョン【深淵の魔境】第五十階層。上階への階段は前方1000ガドル』
「五十階層……」
その数字が意味するのは、当然ながら地上まであと四十九の階層があるということに他ならない。道のりの長さにに気が遠くなりそうだ。
それに問題が山積みだ。生きるのに欠かせない水が。いつも携行している水筒は度重なる戦闘の最中にどこかへ行ってしまった。
それに食べ物だってない。休める場所だって。
「食べ物……食べ物……いやいや、それは……でも」
僕の目の前には倒れ伏す三体のモンスター。
モンスターだとはいえ肉は肉だ。火を通せばきっと食べられる。でも、ダンジョンを要するラビリタスであっても、モンスター料理というものはなかった。何か原因があるようにも思えた。
洞窟のような作りをしたダンジョン深層に僕の腹の音が響いた。背に腹は代えられない。このまま空腹で倒れるくらいなら、ここで賭けに出る方がいい。
「ソフィア。僕って、炎を出すことはできる?」
何ともおかしな質問だ。自分の能力を他人に聞くなんて。
『火属性魔法を使用可能』
「ありがとう」
狼……はちょっと心理的に食べ辛い。
最初に倒れていたモンスターに目を向ける。黒い鱗を携えた爬虫類、後ろ脚が欠損しているが四足あり、それとは別に背中からは羽が生えている。
ドラゴン。伝説上で語られるそれが、物言わぬ躯となって固い床に倒れ伏していた。
腹は狼に食い破られており、内臓は地面にぶちまけられているが、前足は無事で、どうにか食べられそうに見えた。
ナイフを取り出し、突き立てる。ガキンと音を立てて火花が散った。今度は関節の内側、鱗が無いところにナイフを突き立てる。
刃を押し返す抵抗はあったものの、押し込むと刃が通った。手ごろなサイズを切り取って、石の上に置く。
そして石に手をかざして、唱える。
「【ファイア】」
手から生み出された炎は石を通してドラゴンの肉を加熱してゆく。
しばらくすると、赤みが抜けてきて次第に食べごろの肉の芳香が鼻腔をくすぐる。
「いただきます……熱っ!」
かぶりつくと、中から熱い肉汁が染み出してくる。弾力がありながら歯切れのよい肉は、噛めば噛むほど旨味が染み出してきて、調味料が無くても十分に美味しい。
いくらでも食べていられるような気がするが、ドラゴンの巨体を全て胃に収められるような四次元空間は存在しないので、泣く泣く
『スキル【アイテムボックス】が使用可能』
「……ほんと?」
『……肯定』
「お願いします」
『解』
よし、これで当面の食糧問題は解決だ。うん。
問題が一つ解決した僕の足取りはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ軽くなった気がした。
暗い通路をしばらく歩くと、上階へと続く階段が見えてきた。
次は四十九階層。
僕はダンジョンを逆向きに攻略する。
四十九階層に足を踏み入れた僕を迎えたのは一面の花畑だった。花の香りがそよぐ風に乗って僕を包み込む。
その先に居たのは、小さな白猫と戯れるピンク色の髪をした少女だった。
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