第17話 百器夜行

 **大正末期、「懲罰の日」**が制定されてから数年が経った帝都東京。

​ 当初、久遠寺が制定した「懲罰の日」は、法律で裁けない悪を断罪する「社会浄化」の名目で始まった。しかし、安田京一郎の遺した「八人の殺人」という哲学的な基準は、人々の間に**「殺人の権利」**を巡る新たな競争を生み出していた。

​ 人々は、もはや殺人の理由を探すのではなく、**「殺人の権利」**そのものを手に入れることに熱狂した。

​ そして、裏社会と結託した久遠寺政権は、この狂気をさらに加速させる、新たな「懲罰の日」のルールを発表した。

​「殺人執行権は、最も多くの『断罪の証』を集めた者に与えられる。」

​ その「断罪の証」とは、日本刀、短銃、旧式ライフル、手斧など、**「殺人に用いられる武器」であった。人々は、殺人を許されるただ一人の「執行者」**となるため、帝都の闇で武器収集に狂奔し始めた。

​ 安田京一郎の死後、彼の殺し屋としての哲学と、肺結核という病の「ごう」を引き継いだ、若き無頼漢がいた。彼の名は**「黒岩くろいわ」**。

​ 彼は、京一郎の遺した手記を崇拝し、自らも結核に身を蝕まれながら、**「京一郎先生の最後の授業」**を完遂しようとしていた。

​ 黒岩の目的はただ一つ。京一郎が愛した狂気の女、飯山海子が愛した「殺人」という芸術を、この世で最も権威ある形で実行すること、すなわち「懲罰の日」の執行者となることだ。

​ 黒岩は、帝都の廃墟や骨董屋、裏社会の密輸ルートを巡り、狂ったように武器を収集した。彼の標的は、**「美しい殺人」**にふさわしい、美術的価値を持つ古式な武器だった。

​ 彼の収集リストには、薩摩藩伝来の脇差、幕末志士が使用したと思しき短銃、そして、海子が自殺を偽装した際に使用したとされる「一丁の拳銃」のレプリカなどが含まれていた。

​「懲罰の日」の三日前。

​ 黒岩は、浅草の場末の隠れ家に、百を優に超える武器を集めていた。彼の肺結核は悪化し、常に喀血していたが、武器の山に囲まれていると、病の苦痛が和らぐ気がした。

​ 彼の武器収集の最大のライバルは、久遠寺政権に近い、元軍人で富豪の**「権藤ごんどう」**だった。権藤は、最新式の軍用銃や機関銃を大量に集め、その数で黒岩を圧倒していた。

​ 最終的な武器の計量は、久遠寺が主催する**「断罪の円形劇場」**で行われることになっていた。

​ 黒岩は、自身の**「芸術的な武器」の軽さが、権藤の「実用的な武器」**の重さに勝てないことを悟っていた。

​ その時、京一郎の遺した手記の中から、一枚の古い写真が落ちた。それは、京一郎が海子を指導していた頃の、海子の笑顔の写真だった。

​ 写真の裏には、京一郎の筆跡で、こう書かれていた。

​「海子の狂気は、武器の数ではない。 一丁の拳銃 が、八人の命の重さに勝ることを知っていた」

​「断罪の円形劇場」での計量の日。

​ 軍用トラックに満載された権藤の武器は、膨大な重量を示し、誰もが彼が執行者になると確信した。

​そして、黒岩の番。彼は、百を優に超える武器の他に、最後に一つ、特別な武器を台座に置いた。

​ それは、京一郎の遺品から見つけ出した、海子が事件で実際に使用した、唯一の拳銃だった。

​ 黒岩は、咳き込みながら、久遠寺と群衆に向かって叫んだ。

​「京一郎先生の教えは、数ではない!この拳銃こそ、八人の命を奪った海子の魂そのもの!この一丁の拳銃には、権藤が集めた全ての武器の重量を超える、狂気の価値がある!」

​ 久遠寺は、黒岩の狂気に満ちた眼差しと、伝説の殺人鬼の武器に宿る**「物語の力」**に、鳥肌が立つほどの戦慄を覚えた。

​ 久遠寺は、静かに宣言した。

​「勝者は……黒岩だ!」

​ その瞬間、黒岩は**「懲罰の日」の執行者**となった。彼は、海子の狂気と京一郎の哲学を継承し、たった一丁の拳銃の持つ「物語の重み」で、大正帝都の闇を支配した。

​ 彼は、群衆の歓声の中で、肺結核で喀血しながら、海子の魂に到達した。

​「海子先生。あなたの狂気は、永遠です」

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殺人の日 鷹山トシキ @1982

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