最終話 確認



あの夜から1週間後、

直人は慎一を呼び出した。


迎えにも行かなかった。

場所も、慎一に決めさせた。

昼間の喫茶店。

逃げ場にならない時間帯。


慎一は、どこか落ち着かない様子でコーヒーを見ている。


「……珍しいな、こういう時間」


「ちゃんと話したかった」

直人は、そう言ってから一度だけ息を整える。


言い訳をしないために。

「屋上のこと」

慎一の指が、カップの縁で止まる。


「あれは――」


「後悔してない」

被せるように、直人が言う。


慎一が顔を上げる。

「助けたとか、勢いとか、

そういうことにしない」

直人の声は、静かだった。


「抱きしめたのは、俺の意思だ」


慎一は、何か言おうとして、やめる。


「だから」

直人は続ける。

「もう、逃げ場所ではいられない」

慎一の眉が、わずかに寄る。


「……それって」

「慎一が弱った時に、

何も考えずに来れる場所じゃないってこと」

直人は、視線を逸らさない。


「それを奪った自覚はある。

でも、戻る気はない」

沈黙。


店内の音が、やけに大きい。


「……俺は」

慎一の声が低くなる。


「直人がそういう役でいてくれるから、保ててたところもある」


その言葉に、直人は小さく笑う。

「知ってる」

「だから……」

慎一は言葉を探す。


「前みたいには、戻れない」

慎一は、ゆっくり頷く。


「戻らない」

直人も即答だった。


「友達の顔で、抱きしめたままいるほうが、よっぽど残酷だ」

慎一は、何も言えない。


「嫌われてもいい」

直人は、カップに口をつける。


「でも、あの夜を

“なかったこと”にはしない」

慎一の喉が、鳴る。


「……受け止めきれない」

それが、正直な答えだった。


直人は、それを受け取る。

「いい」

「受け止めなくていい」

直人は立ち上がる。


「ただ、知っててほしかった」


──ごめん。と

謝らない慎一が好きだ。


──あれは、救いじゃない。


──選択だ。


「俺はもう、逃げ場所として残るつもりはない」


それでも、離れるとは言わない。


「慎一が立つ場所が決まったら、その横には立てる」

直人は、そう言って背を向ける。


慎一は、呼び止めない。



受け入れられなかっただけだ。

拒絶したわけじゃない。


その違いを、二人とも理解していた。



ただ、

もう戻れないだけだ。



あの夜、逃げ場所でいられなくなったことより、

あの夜、抱きしめなかった自分になるほうが、

直人には耐えられなかった。



それを後悔していないし、慎一にもちゃんと伝えた。

受け入れられなかったことも、直人は飲み込んだ。



だから、

だから、


店では泣かない。


ただ───

ドアが閉まって、

雑踏の音に紛れた瞬間。


胸の奥で、

「まだ触れたかった」

「抱きしめたまま、何も言わずに朝までいられたらよかった」


そんな、

言葉にならないものたちが、目の前で、

カラフルな思い出と共に、

静かに、

ぼやけながら、

重力として、

直人の足下の、

もっと、

もっと、

下に……

下に沈む。




直人は空を見上げれない。


前を向いたまま

この恋にさよならを告げた。


初恋だったよ。と

ありがとう。と

呟いて歩きだす……


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沈黙の夜 志に異議アリ @wktk0044

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