第7話 呼ばれない夜
その場所に、慎一がいるかもしれない。
直人がそう思ったのは、理由というほどのものじゃなかった。
曜日。
時間。
そして、胸の奥に沈んだまま消えない、嫌な予感。
駅から少し離れた川沿いの道。
以前、何度も迎えに行った場所。
ヘッドライトに照らされて、
やはり慎一は立っていた。
スマホは見ていない。
電話もしていない。
ただ、夜に取り残されたみたいに、そこにいる。
直人は車を降りる。
エンジン音が止まって、静けさが戻る。
「……呼んでないだろ」
慎一が先に言う。
責める声じゃない。
驚きも、ほとんどない。
「呼ばれなくても来る時がある」
直人は、それ以上説明しない。
言い訳をすれば、踏み込みすぎる。
二人の間に、川の音だけが流れる。
「帰れよ」
慎一はそう言いながら、足を動かさない。
その矛盾を、直人は見逃さない。
「今日は、奥さんと?」
慎一は答えない。
代わりに、息だけが少し乱れる。
——やっぱりだ。
直人は確信する。
だから来てしまった。
「なあ慎一」
呼び止めるでもなく、
縋るでもなく、
ただ名前を置く。
「俺さ……おまえがどこ行くか、だいたいわかるんだよ」
慎一の肩が、わずかに揺れる。
「それ、気持ち悪いだろ」
「たぶん」
直人は苦笑する。
「でもさ。呼ばれない夜って、一番危ない」
ここで一歩近づけば、触れられる距離。
それでも直人は、踏み出さない。
すがらないのは、我慢じゃない。
越えたら戻れない線を、知っているからだ。
「俺は友達だろ」
慎一が言う。
いつもの言葉。
そのくせ、どこか震えている。
直人は、その違和感を受け取る。
「……友達って、便利だよな」
責めていない。
笑っている。
「好きな時だけ呼べて、
いらない時は線を引ける」
慎一が、初めて顔を上げる。
直人は視線を合わせない。
「安心しろよ。今日は掴まない」
一瞬の沈黙。
「ただ――」
声が、少しだけ低くなる。
「おまえが一人で壊れる夜に、
誰も来ないほうが嫌なだけだ」
慎一の喉が鳴る。
「……ずるいな」
「知ってる」
直人は、ようやく慎一を見る。
「それでも俺は、ここまでだ」
一歩も近づかない。
でも、背中は向けない。
「帰れなくなったら、乗れ」
それだけ言って、車のドアを開ける。
慎一は動かない。
「直人」
初めて、名前が呼ばれる。
「俺……」
言葉は続かない。
直人は振り返らないまま、答える。
「いい」
優しすぎるほど、静かに。
「今夜は、聞かない」
車のドアが閉まる。
エンジンがかかる。
慎一は、結局乗らない。
直人はミラー越しに、
そこに立ち尽くす影を一度だけ確認してから、車を出す。
呼ばれていない夜だった。
それでも来てしまった。
来て、何も奪わず、
何も変えず、
それでも想いだけは置いてきた。
この夜が、
何もなかった夜になるのか。
それとも、
誰かが壊す夜の始まりなのか。
——まだ、わからない。
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