第54話 三人の強さ
街を離れてしばらくは、石畳が続いた。
けれど門をくぐって半刻も進めば、つぎはぎのような石は土に飲み込まれ、車輪は固められた土の街道を進むことになる。朝方の冷たい空気も、太陽が少しずつ高度を上げるにつれ、じわじわと肌を温め始めていた。
先頭には学会側の護衛隊。そのすぐ後ろに、頑丈な〝
左右と後方には、アルド、エリシャ、エストファーネの三人が散開していた。
エストファーネは周囲をいち早く確認できるよう、馬上にある。緩やかな丘陵地帯へと移り変わっていく街道の起伏を、軽くいなすように鞍の上で身体を揺らした。
風を受けて翻る赤い外套と、腰の剣。彼女の視線は、街道だけでなく、その両脇に広がる疎らな森や茂みへと忙しく走っていた。
エリシャは徒歩で馬車のすぐ側だ。片手を軽く箱の方へ向け、ときどき目を閉じては、微かな魔力のうねりを探るように集中している。
「……今のところ、変な反応はありませんね」
エリシャがそう報告すると、御者はほっとしたように息を吐いた。
「そうか。助かる」
御者の肩越しに、アルドも木箱へ視線を投げる。
封印陣の線は、今のところ穏やかだ。
馬車の軋む音と車輪が土を踏みしめる音だけが、一定のリズムで続いている。
(街から離れるほど、こいつは目立つ。……まあ、仕方ないがな)
人の気配が薄れる分、逆に魔力の塊としての存在感は増す。魔物や魔獣にとっては、「そこに何かある」と知らせる灯りのようなものだ。
緩やかな丘陵をひとつ越えると、視界が少し開けた。
街道の両脇には、背の低い雑木林と、ところどころ岩が顔を出す斜面。遠くには、まだかすかだが峡谷地帯へと続く山並みが霞んで見える。
(……ここから先は、あまりのんびりとは歩かせてくれんだろうな)
そう考えた矢先だった。
風が、一瞬だけ違う匂いを運んできた。
乾いた土埃と、獣の体臭。それに混じる、鉄と血の酸味──いやな気配だ。
「魔物だ! 迎撃態勢を取れ!」
先頭を行くエストファーネが、すぐさま声を張り上げた。
その叫びに、護衛の兵たちが弾かれたように周囲へ視線を走らせる。
街道脇の茂みが、ばさりと揺れた。
最初に飛び出してきたのは、腰ほどの高さの緑色の影だ。粗末な革鎧に、錆びた短剣。ぎょろりとした黄色い目。ゴブリンだ。
続いて、灰色の毛並みの獣影が低く身を伏せて現れた。
狼系の魔獣──小型のフォレストウルフだろう。
数は、ざっと見て十数体。群れにしては小さいが、護衛隊の隊列を乱すには十分な数だ。
「前列、盾を構えろ! 馬車を中心に円を──おい、そっちに行かせるな!」
学会側の隊長が叫ぶが、魔物の出現位置は散発的で、命令が追いつかない。前方からだけでなく、側面からも飛び出してくるゴブリンに、盾持ちの兵たちが振り回されている。
馬がいななき、車輪が軋む。
御者が慌てて手綱を引き締めた。
「全く……」
アルドは小さく溜め息を吐いた。
魔物の気配はもっと早くから感じていた。
だが、護衛たちの反応を見ておくのも必要かと思い、あえて手を出すタイミングを遅らせていたのだ。
(まあ、ここまでだな)
馬車の側面から一歩前へ出て、指を軽く鳴らした。
詠唱はない。それでも、足元からじわりと寒気が這い上がった。
街道の土が一瞬で白く変色し、凍てつく膜が地表を覆い、霜が一気に広がった。
走り込んでいたゴブリンが、滑った。狼の爪も、固く凍った地面を掴み損ねる。揃って足を取られた魔物たちが、派手に転がった。
「行くぞ!」
エストファーネが、馬の腹を軽く蹴った。
赤い外套が翻り、騎馬が矢のように前に出る。
彼女の右手が柄に触れたと思った瞬間には、もう剣は鞘を離れていた。
ひと振り。
鈍い音とともに、前方のゴブリンの首が宙を舞う。続けざまに、剣先が弧を描いて隣の狼の前脚を断ち切った。
悲鳴が上がる前にもう一閃、落ちかけた獣の首を刃が正確に穿つ。
騎乗のままだが、彼女は速度を殺さなかった。馬の動きと剣の振りが、寸分違わず噛み合っている。踏み込むべき場所では蹄が土を削り、避けるべき瞬間には、馬体が小さく横へ跳ねた。
エストファーネの身体は、そのすべての揺れを当然のものとして受け止め、最小限の動きで刃を振るうだけだ。
(……さすがだな)
力任せでも、勢い任せでもない。
魔力を纏ったわけでもない、純然たる剣技。それでいて、魔物相手にまるで遜色がない。
こうしてじっくり見ていると、改めてエストファーネの強さを実感した。実に頼りになる前衛だ。
騎士が数体を薙ぎ払ったところで、まだ散っている影も見える。
「さて、俺も少し働くとするか」
アルドは軽く呟き、今度は手を空へ向けた。
空気が、沈む。周囲の空の色が、一瞬だけ濃くなったように感じられた。
目には見えない「重さ」が、半径数メルトほどの空間をぐぐっと押し潰す。
倒れかけていたゴブリンの身体が、地面へ叩きつけられた。
狼の背骨が、不自然な角度で曲がる。骨の軋む音。呻き声を出す暇もなく、地表と魔物の間に、〈
地面がわずかに沈み、砂埃が円を描いて舞い上がる。
ほんの数秒。魔力の圧が解けるときには、そこに動いている影はほとんど残っていない。
「ふん……調査隊を俺たち三人だけに絞らせたのは、正解だったな。こんな雑魚ども、いちいち守ってられん」
「そういうのは、他に人がいない時に言ってください」
ぼそりと零した独り言に、すかさず隣のエリシャが反応した。
言葉とは裏腹に、その足はすでに前へ出ている。指先がすっと上がり、呼吸がひとつだけ深くなった。
その口が、短く開いた。
「──〈
ほとんど、囁きに近い声だった。
だが、その一語に乗せられた魔力は、圧倒的だった。
彼女の掌の先、空中に小さな火の玉がひとつ、ふっと灯る。次の瞬間には、それが一気に肥大し、白に近い青を帯びた高温の光球へと変貌した。
〈
だがエリシャは、その詠唱を極限まで圧縮している。
そのために必要な座学と訓練を、この一週間──いや、それ以前からずっと積み重ねてきた。
火球が、残っていた魔物の群れへと飛ぶ。
途中で三つに分裂し、それぞれ別の目標へと吸い寄せられるように軌道を変えた。
爆ぜる音とともに、焼け焦げた匂いが風に乗る。
炎は必要以上に広がらず、標的だけを正確になぞり取った。
森に火が移ることもなく、ギリギリ制御していた。
煙が薄れたころ、そこに立っている魔物の影は、一体もなかった。
「素晴らしい……もう高位魔法までその短い詠唱でできるようになったか」
アルドは素直に感心して口に出した。
無詠唱が当然の自分と違い、エリシャは詠唱を前提とした体系の中で、それをどこまで削れるかを追い求めてきた。
その難しさは、よくわかっているつもりだ。
「伊達に、ずっと座学していたわけじゃありませんよ」
エリシャはにやりと笑って答えた。
けれど、頬はわずかに赤い。
師に褒められたのが嬉しいのか、肩にかかった緊張が少し抜けたのか、その両方か。
(まあ、どちらでもいい)
成長しているのは事実だ。
その事実が、いま目の前で魔物の残骸として転がっている。
バタバタと、護衛の兵たちが周囲へ散っていく。
逃げ残りがいないかの確認と、簡単な後始末だ。
「け、結界が広がったと思ったら、地面ごと潰れたぞ……」
「おい見たか、今の火球。あれ、高位魔法だろ? 詠唱、ほとんど聞こえなかったぞ」
「たった三人だけでこの強さかよ……!」
小声で交わされる囁きが風に混じる。
恐れと感嘆が入り混じった視線が、ちらちらとこちらへ向けられた。
(最初から、そう扱ってくれれば交渉も楽だったろうに)
そんな皮肉を喉の奥で転がしつつ、アルドは肩を回した。
魔力を使ったといっても、今の程度では消耗に数えるほどでもない。
「エストファーネ、怪我はないか?」
「無論だ。馬も問題ない」
彼女は軽く手綱を引き、馬を馬車の側まで戻してきた。
「こちらも異常はありません」
エリシャが木箱の魔力反応を再度確認し、頷く。
「なら、歩を進めるか。ここで長居しても、次の魔物が寄ってくるだけだ」
アルドの言葉に、護衛隊長がすぐさま反応した。
「は、はい! 隊列、再編! 先頭と側面の間隔を詰めろ!」
叫びとともに、再び列が整えられていく。
ほんの少し前よりも、アルドたちの位置を意識した配置になっているのは、気のせいではないだろう。
馬車が軋みを再開させる。車輪が、土を踏む音をまた刻み始めた。
太陽はさらに高く昇り、薄曇り越しの光が丘陵を淡く照らしている。
街道の先には、まだいくつもの丘が重なっていた。
その向こう側に、例の峡谷と、そしてノア=セリアの入口がある。
(〝
ノア=セリアまでは、まだまだある。
丘陵地帯を抜け、峡谷を越え、あの遺跡の奥へ。
そこまで辿り着いて初めて、本当の「本番」が始まる。
馬蹄と車輪の音が、淡い雲の下の街道に、一定のリズムを刻み続けていた。
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