第55話 護衛隊との別れ

 それからの数日は、淡々とした移動が続いた。

 丘陵地帯を幾つも越え、街道がやがて痩せていく。

 最初は雑木林が途切れずに続いていたが、その日の午後には背の低い潅木が増え、二日目には土の色そのものが変わり始めた。

 赤茶けた岩肌が地表に露出し、草よりも石の方が多くなる。

 途中、幾度か小さな魔物に遭遇はしたものの、本格的な戦闘と呼べるものにはならなかった。

 魔物が姿を現すより早く、アルドの無詠唱魔法と、エストファーネの鋭い斬撃がそれを片付けてしまうからだ。

 エリシャも必要最小限の魔法で牽制するだけで済み、魔力の消耗を抑えられていた。

 以前エリシャと行った時は飛んでしまったから一瞬で着いた印象だったが、大きな荷物を持っての馬車移動だと、さすがに時間がかかる。

 そうして三日目の昼前。


「……見えてきたな」


 アルドが、馬車の横を歩きながら小さく呟いた。

 街道の先、地平線の手前で地形が不自然に裂けている。

 大地に、細く長い傷をつけたような影だ。近づくほどに、その輪郭ははっきりしていく。やがて、馬車の進む先に、ぽっかりと口を開けた狭い峡谷の入口が現れた。

 左右には、刃物のように切り立った岩壁。

 赤茶けた層が縞模様を作り、ところどころに黒い鉱脈の筋が走っている。岩肌は風に削られ、えぐられた窪みには砂と小石が溜まっていた。

 風が、峡谷の奥から吹き抜けてくる。

 低い唸り声のような音が、狭い口の中で幾度も反響し、耳の奥をくすぐった。


(上から見た時より、ずっと狭く見えるな)


 以前ここを訪れたとき、アルドたちは空からこの峡谷を越え、その奥に眠る遺跡を目にした。

 そのときは鳥瞰図の一部のようにしか見えなかった裂け目が、今は目の前にそびえ立っている。

 足元の土は、いつのまにかほとんど砂利混じりになっていた。車輪が砕けた石を踏みつぶし、じりじりと乾いた音を立てる。

 その時だ。

 馬車の荷台から、かすかな脈動が伝わってきたような気がした。

 鼓動と呼ぶには小さいが、箱の内側からうっすらと魔力の波が揺れたような錯覚。

 アルドは馬車に歩み寄り、木箱へ軽く指先を添えた。


(……気のせい、というほど軽くもないな)


 封印陣そのものは安定している。

 だが、ノア=セリアに近づいたせいか、箱の中の核と、遠くに眠る本体の間に、微かな共鳴が生まれ始めていた。


「アルド殿」


 馬上のエストファーネが、視線を峡谷と周囲の岩山に配りながら声をかけてきた。


「ここが、例の合流解除ポイントか?」

「ああ。フィルからの指示書通りなら、そうだ」


 アルドは懐から折り畳まれた羊皮紙を取り出し、ざっと目を通す。

 地形の簡易なスケッチと、赤い印。

 今まさに立っているこの場所の特徴と一致していた。


「護衛隊はここで野営の準備。これより先、峡谷内の行動は俺たち三人だけが行う」


 アルドがそう言うと、護衛隊長がすぐさま馬を下り、敬礼した。


「こちらは予定通り、峡谷入口付近にて待機します。野営地を設営し、退路の確保と荷馬車の防衛にあたります」

「頼む。あまり遠くには散るなよ。この辺りの地形だと、調子に乗って斜面を登った連中から順番に落ちる」


 軽口まじりに釘を刺すと、隊長は苦笑しながらも真顔で頷いた。


「肝に銘じます」


 その間にも、護衛たちはてきぱきと動き始めている。

 馬車を少し街道脇へ寄せ、岩陰を背にするように止める。

 簡易な柵と、魔物避けの香を焚く準備。荷物の中からは折り畳み式の天幕も引っ張り出されていた。

 アルドは彼らの様子を一瞥し、それから峡谷と荷馬車の間──ちょうど野営地の中央付近に歩み出た。


「少し静かにしていろ」


 そう言うと、彼は両手を軽く広げた。

 空気が、ほんの少しだけ張り詰める。

 アルドの足元から、淡い光の線がじわりと広がった。

 砂利と土の間を縫うように、薄い魔力の輪が描かれていく。

 簡易結界だ。侵入してくる魔力と生命反応を弱め、気配をぼかす。それと同時に、内部で大きな魔力の揺らぎが起こったときには、外部へその痕跡が漏れにくくなるのだ。

 大規模な結界に比べれば、これはささやかな膜のようなものだが、何もない野営地に比べれば雲泥の差がある。


「これで、この輪の内側はひとまず安全圏だ。外からの魔物は寄り付きにくくなるし、中で何かあっても、跡を掴まれにくい」


 アルドがそう告げると、護衛の何人かが安堵の吐息を漏らした。


「助かります」

「さすが、というべきか……」


 囁きは聞かなかったふりをする。

 隊長格の護衛が、改めてアルドの前に立った。


「ここから先は、あなた方三名に一任されます。何かあればすぐに撤収信号を。煙弾は、約束通りこちらからも見える位置に上げますので」

「必要があれば、だがな」


 アルドは短く答えた。


「無駄に上げるつもりはない」


 隊長は「承知しました」と頷き、一歩下がる。

 これで、ようやく設営の方は一区切りだ。


(さて、こっからは俺たちの仕事だな)


 アルドがそう思ったとき、木箱の前に立っていたエリシャが振り返った。


「これ、私が運びますね」


 彼女はいつもの癖で、まずは両手を箱へ軽くかざし、封印の状態を確認する。

 刻まれた陣の交点に意識を滑らせ、魔力の流れと圧力を測った。


「封印も問題ありませんし。ゆっくり運べば、移動中に乱れることもなさそうです」


 確認を終えると、エリシャは一歩下がって、小さく息を吸い込んだ。


「……〈浮遊魔法フローティオ〉」


 低く、しかしはっきりとした声でエリシャが呟く。馬車の荷台から外れていた金属枠が、ぎしりと音を立てて緩んだ。

 次の瞬間、箱の底を支えていた見えない何かが、すっと持ち上がった。

 数十センチほど、木箱が地面から離れる。砂埃がわずかに舞い、箱の角が空中で揺れた。

 その揺れを、アルドはすかさず魔力で包み込む。内側から軽く抑え込むように、箱の周囲へ薄い膜を張った。

 重力を直接いじるのではなく、姿勢制御だけを補助するような形だ。


「大丈夫か?」

「は、はい。思ったより重かったので、ちょっと焦りましたけど……」


 エリシャは苦笑を浮かべた。


「代わろうか?」

「いえ、大丈夫です。この程度なら問題ありません。リハビリも兼ねてますから」


 言葉に乗るのは、不安よりもむしろ前向きな色だ。

 魔力枯渇からの復帰具合を、自分自身の手で確かめたいのだろう。


「無理はするなよ」

「わかってますってば」


 そのやり取りを聞きながら、エストファーネは腰の剣を軽く抜いた。

 刃を半ばまで鞘から出し、光の具合を確認する。

 鋼が太陽を受けて白く反射し、その表面には細かな刃こぼれひとつ見えなかった。

 指で刃先をなぞり、鞘に戻す。


「じゃあ、行こうか。前は私が見る。アルド殿は横と後ろを」

「心得た」


 アルドは頷き、峡谷の口へと視線を向けた。

 風の流れ、岩壁の割れ目、小さな窪み。

 潜んでいそうな影を、一つひとつ目に馴染ませていく。


「エリシャ。お前は箱と自分のことを最優先にしろ。雑魚どもは俺たちで片付ける」

「了解しました。任せますね」


 エリシャがにこりと笑い、空気の端が少しだけ和らいだ。

 そうして三人は、峡谷の入口へと歩み出す。

 岩と岩の間に挟まれた細い道は、思った以上に狭かった。人二人が並んで歩くには少し窮屈で、荷車など到底通れない。両側の岩壁は、手を伸ばせば触れられるほど近かった。

 頭上には、細く切り取られた空。そこから落ちてくる日差しは乱反射し、岩肌の陰影をきつく浮かび上がらせていた。

 足元の砂利がざくざくと音を立てる。

 浮かせた木箱は、エリシャの前方に位置取りし、三人はその周囲を守るように歩いた。

 しばらく進んだところで、アルドはふと、空の気配に違和感を覚えた。

 峡谷の上空を、影が横切る。


「上だ」


 短く告げると同時に、彼は左手を軽く上げた。

 岩壁の隙間から、鳥とも獣ともつかぬ鳴き声が降ってくる。

 翼はコウモリ、頭は猛禽。

 鱗の生えた脚に、鋭い鉤爪。

 鳥獣系の魔物──スカヴァーホークの群れだ。

 彼らの視線が、真っ先にとらえたのは箱から漏れる微かな魔力にあった。峡谷の上縁をなぞるように飛びながら、何体かが急降下の構えを取る。


(地上に降りてこられると面倒だな)


 アルドは無詠唱で、空に向けて指を弾いた。

 小さな閃光が、空中に数点灯る。

 それは次の瞬間、ほとんど線にしか見えない速度で上昇し、降下を始めたスカヴァーホークの翼を正確に撃ち抜いた。

 スカヴァーホークたちの悲鳴が、空に響き渡った。バサバサと乱れた羽音とともに、数体の魔物がバランスを崩す。そこへ、今度は空間そのものの圧が、上から押しつけられた。

 見えない手が、彼らの身体を岩壁へ叩きつける。

 くぐもった音とともに、いくつかの影が岩肌を滑り落ち、砂利の上へと落下した。

 残りの群れは、危険を察したのか、くるりと向きを変えて飛び去っていく。


「大丈夫か?」

「大丈夫です。こっちには一羽も来てません」


 エリシャが箱と周囲を見回し、ほっとしたように息を吐く。

 アルドは落ちてきた死骸に一瞥をくれ、足でつついて魔力の残り香だけを確かめた。


(完全に〝匂い〟に釣られてきているな)


 核から漏れるごく僅かな魔力と、峡谷という逃げ場のない地形。この状況は、鳥獣系の狩猟本能にはよく響くのだろう。


「トロトロしてると、このあたりの魔物を全部相手にしなくてはなる。急ぐぞ」


 アルドがそう言うと、エリシャは慌てて背筋を伸ばした。


「はい!」


 その返事には、疲労よりも緊張の色の方が強い。

 彼女の魔力の揺らぎを確認し、まだ余裕があることを確かめてから、アルドは歩調を少しだけ早めた。

 峡谷の奥へ進むほど、風の音は低くなり、代わりに自分たちの足音と、浮遊する箱のわずかな揺れが耳につくようになる。

 やがて、岩壁の色が徐々に変化し始めた。

 赤茶から、灰褐色へ。

 ところどころに、見覚えのある刻印と、削り出された人工的な平面が混じり始める。人の手か、あるいはそれに近しい何かの手が入った空間。かつて、ノア=セリアの守護獣が立っていた石の門も、この先にあるはずだ。

 フィルから託された封筒の存在が、コートの内ポケットで静かに重さを主張する。

 黒い命令文。世界の言葉に、誰かが差し込んだ異物。


(答えは、あの遺跡の奥だ)


 アルドは前を行く赤い外套と、その背中に続く銀髪、そして空中に浮かぶ封印核の箱を順に見やった。

 ノア=セリアの封印を弱めるために。

 そして、世界の命令文に手を触れ得る「誰か」の正体を確かめるために。

 三人は、封印の遺跡・ノア=セリアへと向かった──。

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