6.真相のその先

扉の外から、じわり……と圧が迫る。

図書室の空気が一度だけすうっと吸い込まれ、月光がわずかに揺れた。


悟は静かに立ち上がる。

光の揺れが、不思議なほど優しい。


「水城先生。あかりを……守ってください。

 僕は、あの人と言わなきゃいけないことがあります」


水城は眉を寄せる。


「悟君……あなたじゃもう、黒崎を止める光は……」


悟は微笑む。


「ええ。僕は“本に刻まれた記憶”。

 あかりの母――結さんが遺した“物語の守護者(ガーディアン)”です。

 本当の人間じゃない。結さんが娘を守るために残した“願い”そのもの」


あかりの胸が跳ねた。


(……悟くんが、ママの……?

 私を守るために作られた、物語の中の存在……今の話は本当だったの……?)


悟はあかりに顔を向け、優しく微笑む。


「あなたが生まれる前。結さんは黒崎と“物語を書いていた”。

 図書室を舞台にした、二人の秘密の創作。

 でも……結さんが病気で学校を離れたとき、黒崎は取り残されたんです。

 物語だけを心の支えに、生きるようになった」


寛が息を呑んだ。


「じゃあ黒崎って……ただの悪いやつじゃねぇの……?」


悟は静かに首を振る。


「彼は壊れただけ。

 大切な人を失い、その代わりに“物語を永遠にしようとした”。

 だから記録庫を開いて、止まったページを進めて、

 結さんの“続きを”取り戻そうとしている」


道都が苦しい顔で呟く。


「……それ、願い自体は……悲しいほど真っ当だな」


悟は頷く。


「でも――そのためにあかりの未来を奪っていい理由にはならない」


水城が鋭く扉をにらむ。


「来るわよ。覚悟を」


その瞬間。


――バンッ!!


扉が開いた。


月影のような黒い気配が、すうっと図書室へ入り込む。


長身の男。

黒髪を乱し、瞳は深い闇の色。


黒崎。


そして、その目に映ったのは――


あかり。


黒崎の声は、静かなのにどこか壊れた響きを持っていた。


「……結の娘。

 すまない……これから怖い思いをさせる。でも……もう時間がないんだ」


悟が一歩前に出て、黒崎を見据える。


「黒崎さん。あかりさんに触れるな。

 結の願いは“娘の未来を守ること”。あなたの願いとは違う」


黒崎の目がわずかに揺らぐ。


「悟……か。

 君は結の“記憶であり、願い”。

 だが……本質は娘を守れと命じられただけの……人形だ」


悟は口元だけで笑った。


「そうかもしれません。

 でも――僕は“あかりを守りたい”。

 その気持ちは、本物ですよ」


黒崎は苦しげに顔を歪めた。


「……やめてくれ……そんな目をするな……

 君まで俺を否定するのか……?」


あかりの心が、ぎゅっと締め付けられる。


(……この人……こんな顔するんだ……)


黒崎はそっと手を伸ばした。黒崎の瞳の奥で、あかりの影が一瞬だけ“結”と重なった。

その揺らぎが、黒崎の心を決定的に崩した。あかりは何となくではあるものの、そう感じた。


「結……俺は、あの日の続きを……」


「黒崎さん」


あかりの声が震えながら響いた。


黒崎の指先が止まる。


あかりはゆっくり歩き出す。


道都「おい、あかり!」


寛「危ねぇって!!」


水城が手を上げて二人を止めた。


「……待って。あの子は分かっている」


悟も小さく頷く。


あかりは黒崎の前に立つ。


「……黒崎さん。

 あなたがやろうとしていること、悟くんから聞きました。

 ママの物語を取り戻したいって」


黒崎の目が大きく揺れた。


「……そうだ。

 君の母の“続きを”……俺は……まだ……書ける……」


「でもね」


あかりは、そっと黒崎の手を取った。


その手は震えていて、ひどく冷たかった。


「ママは“未来を書きたかった”んです。

 “私”の未来を。

 黒崎さんとの過去じゃなくて」


黒崎の瞳に、はじめて――

迷子の子どものような影が揺れた。


「あかり……」


あかりはそっと、黒崎を抱きしめた。


図書室中の時間が、止まったようだった。


「黒崎さん。

 ひとりで苦しい物語を抱えてきたんですよね。

 母と想いは通じ合えず、それでも母が好きで……

 でも、もう……大丈夫です」


黒崎の肩が震えた。


「……やめろ……そんな……優しく……するな……

 俺は……君の未来を奪おうとしたんだぞ……!」


「ううん。

 未来を奪うほど、苦しかったんですよね。

 過去に取り残されたまま、生きてきたんですよね」


黒崎の目から、ぽろりと涙が落ちた。


悟が静かに呟く。


「……あかりさん。あなたは本当に――結に……結さんに似ている」


黒崎は胸の奥で崩れ落ちるように、あかりの肩に顔を埋めた。


「……結……

 もう……俺はどうしたらいい……」


あかりは黒崎の背中をそっと撫でた。


「言いますね、黒崎さん。

 “母の続きではなく、貴方の物語を新たに紡いで下さい”

 私じゃなくて――あなた自身として。貴方の物語を、幸せに生きて。苦しい思いをさせて、ごめんなさい。そしてありがとうございます」


その時あかりの陰と結の面影が再び重なり、黒崎の呼吸が止まった。


図書室の空気がやわらかく揺らぐ。


悟の体が、淡い光に包まれる。


水城は小さく微笑んだ。


「ああ……これでようやく……物語が“動き出す”」


黒崎は、涙を拭いながら立ち上がる。


そして小さく――

でも確かに、あかりに微笑んだ。


「ありがとう。君に……救われた。そして……申し訳なかった……」


その瞬間。


――ギィィ……ッ。


図書室の奥。


“記録庫”の扉が、勝手に開いた。


水城が顔を強ばらせる。


「……黒崎が長年蓄えた“歪み”が動いている……!」


悟の光がいっそう強まった。


「あかりさん……黒崎さんを救えた今こそ、

 本当に向き合う時です。

 あなたが選ぶ“未来”のために」


黒崎も頷いた。


「一緒に行こう。

 俺が始めてしまった物語なら……俺も責任を取る」


道都、寛、水城。

そして悟と黒崎。


全員が記録庫の扉の前に立つ。


あかりは深呼吸し、拳を握った。


(この先にあるのは……

 ママが遺した最後のページ……

 そして――私が選ぶ未来)


“選択の物語”の最後の1ページが、いま開こうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る