AI作品と文字書きの違いはどこにあるのか?

ひなた華月

AI作品と文字書きの違いはなんなのだろうか?


今、話題のAI作品投稿について自分なりの感想です。


まず、おそらくは自分のことなど知らない方々も目にすると思いますので、軽く経歴を話させて頂きます。


著者は10年程前に某ラノベ文庫から作家デビューし、有難いことに今はゲームシナリオライターとして活動させてもらっています。


一応、プロという立場ではあるのですが、しがない物書きのあくまで個人的な感想として呼んで頂けますと幸いです。



では、そろそろ本題へ向かいましょう。


おそらく、多くの人が目にしたのは「カクヨムの日間ランキング1位がAI作品になった」というニュースだと思います。


そして、例に漏れず自分もそのポストを見て衝撃を受けたのですが、同時に「ついにこういう時代が来てしまったか……」という複雑な心境です。


ただ、業界の方々はこういう事態がいずれ来るだろうと、ある程度予見はしていたことだと思います。


はっきり言ってしまうと、もうこの流れは止められないと思います。


なんなら、PV数と作品数を担保できるAI作品は、めちゃくちゃ優秀なツールでしょう。実際に作品として評価されているわけですからね。その点は結果を残している以上、認めなくてはいけません。



では、私たちのような文字書きはAI作品と戦わなくてはいけないのか?



自分個人の感想となりますが、あらゆる『数字』と『分析』いう面では、ほぼ100%勝てません。どれだけ優秀な文字書きさんでも、多分2万文字を書くのがやっとでしょう(もっと書ける人もいるでしょうが、多分その人はレジェンド級の化け物です)。


それがAIだと100作品とか平気で書けますからね。そりゃあ「パ、パワーが違いすぎるっ!」って言いたくなりますよ。


なので、僕個人の見解としては「まともに戦ったら勝てない」です。


ただ、それがイコール「生身の文字書きはいらない」となるでしょうか?


それは、断固としてノーです!


まず、僕たちのような文字書きがどうしてお話を書いているかというと、もうそれは非常にシンプルな理由です。



「お話を書くのが楽しい」



本当に、ただそれだけで書いているんです。


もちろん、生活などもありますから報酬は必要ですし、「嫌だ!今日は書きたくない!」と仕事をサボりたくなる日もあります。


締切なんて滅びればいいと思うことは一度や二度ではありません。


でも、この10年間仕事をしてきて、何よりも嬉しい報酬は、作品を見てくれた人が喜んでくれたことです。



ライトノベルが発売したとき、当時のTwitterでDMで感想を送ってくれた人がいました。


ゲームのシナリオを書いた時、感動して涙が出たというユーザーさんのポストを見ました。


朗読劇を書いた時、現場で自分の書いた台詞で息を呑んでくれた観客の方がいました。



この経験は、僕にとっては何よりの宝物で、本当に今の活動をしてて良かったと思う一瞬でした。


そんな一瞬が、僕を文字書きとして今まで生かしてくれました。


他にも、仕事を通じて知り合った人たちに沢山助けられて、今の僕がいます。


ならば、自分がやるべきことは一つしかありません。



読んでくれる、楽しみにしてくれる人がいる以上、お話を書くのを止めないこと。



それが、自分がAI作品に対抗できる唯一の手段だと思っています。


だから、もし同じように悩んでいる人がいたら、僕は声を大にして言いたいです。



大丈夫。

きみの作品も、きっと誰かの心に届いているよ。



というわけで、自分なりの昨今のAI作品に対しての向き合い方を綴ってみました。


もし、偉そうに聴こえたらごめんねっ!


ではでは、しがない文字書きのお話でしたとさ!


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